番外編 ツィリルが遊びにやってきた!
今日、ツィリルが遊びにくる。
なんでも、自分で働いたお金で街までやってくるらしい。
これまではミハルと一緒に遊びに来ることはあったものの、ひとりでやってくるのは初めてである。
幼かったツィリルも、もう十三歳。ツヴェート様は俺よりしっかりしていると褒めていた。完全同意である。
山の麓までは、マクシミリニャンが迎えに行ってくれた。
マクシミリニャンはツィリルを、孫のように可愛がっている。ふたりが楽しそうにしていると、俺も嬉しい。
畑でジャガイモを収穫しつつソワソワしていたら、遠くから元気のいい声が聞こえた。
ツィリルがやってきたのだろう。
湧き水で手を洗い、声が聞こえたほうへと走って行く。
「あ、イヴァン兄!」
「ツィリル、よくきてくれたね」
「うん!」
ツィリルは全力で駆けてきたものの、一度俺の前でピタリと止まってから、優しく抱きしめてくれた。以前、勢いよく抱きついてきたツィリルにより、俺がぶっ飛ばされそうになったので、このように抱擁したのだろう。
この技を、いったいどこで覚えてきたのやら。
ツィリル、恐ろしい子……!
数ヶ月前に会ったときよりも、ツィリルは背が高くなっていた。追い抜かされるのも時間の問題だろう。
俺達の声を聞きつけ、アニャがやってくる。
「あら、ツィリル、いらっしゃい」
「アニャさん、お邪魔します」
お土産を買って持ってきたようで、アニャに手渡していた。
「これ、クリームケーキ!」
「まあ! 嬉しい」
乳製品がなかなか手に入りにくい我が家では、クリームが使用されたお菓子は高級品である。非常に嬉しいお土産を、ツィリルはチョイスしてくれたようだ。
俺達がワイワイ騒いでいるうちに、ツヴェート様がお茶を淹れてくれたようだ。
早く来いと、家の中から呼ばれる。
「ツヴェートおばあちゃん、久しぶり」
「驚いた。しばらく見ないうちに、大きくなったんだねえ」
「うん。近所でも、イヴァン兄にそっくりだって評判なんだよ」
「たしかにそっくりだ」
ツィリルの父であるミロシュより俺に似ていると言われるらしい。俺とミロシュはそっくりなので、ツィリルが似てくるのもまったく不思議ではない。
「疲れただろう? ベリーパイを焼いたから、たんとお食べよ」
「やったー! おれ、ツヴェートおばあちゃんのお菓子、大好物なんだ」
いつも厳しいツヴェート様も、ツィリルの前ではにこにこ笑顔である。
ツィリルは嬉しそうに、ツヴェート様が焼いたベリーパイを頬ばる。
「うわっ、すっごくおいしい!」
「そうかい。よかったよ」
あまりにもツヴェート様がすてきな微笑みを浮かべるので、俺もツィリルの真似をしてみた。
ベリーパイを食べて一言。
「うわー、世界一おいしい!!」
「イヴァン、黙ってお食べ」
「ツヴェート様、俺のときだけ酷くない!?」
「あんたは声が大きいんだよ」
「な、なるほど」
ツヴェート様は今日も厳しい。けれどもツィリルやアニャにウケたので、よしとする。
その後、アニャ特製の昼食を堪能し、そのあとは大角山羊に乗る練習をする。
ツィリルが跨がるのは、アニャの相棒クリーロ。大人しく、賢く、乗りこなすのが比較的簡単なのだ。
以前も大角山羊は紹介したものの、改めて目の前にしたら目を丸くしていた。
「でかいなあ」
「山の奥地に棲む、優しい山羊さんだよ」
「そんな感じがする。顔が優しいもん!」
アニャが俺に教えてくれたように、ツィリルに大角山羊の乗り方を教える。
飲み込みが早く、ツィリルはすぐに乗って歩かせることに成功していた。
しばし庭を歩いたあと、山へと誘う。
さすがに、急斜面へは案内しない。軽い岩場を上る程度にした。
「わ、わ、すげー! 嘘みたいに岩を登って、どわー!」
「ツィリル、動いているときに喋ったら、舌を噛むからね」
「わかった!」
山の養蜂場も案内した。周囲に花がないのに、蜜蜂がせっせと蜜集めをしていない様子に驚いていた。
「イヴァン兄、ここの蜜蜂って、どこから花を集めているの?」
「ここにある樅の木から、蜜を集めているんだよ」
「え、本当に? 樅の木、花とかないじゃん」
「樹液を吸ったアブラムシが出した蜜を、蜜蜂が集めているんだ」
「ええ~~!!」
俺もマクシミリニャンから聞いたときに驚いた記憶が鮮明に残っている。
ツィリルは俺以上にびっくりしているようだった。
「蜂蜜ってすごいんだ。花だけじゃないんだ」
「そうなんだよ」
帰宅後、ツィリルは「尻が痛い!」と騒ぎ始める。
大角山羊に乗っていると普段使わない筋肉を使うのだろう。若いので筋肉痛もすぐにやってくるというわけだ。
ギャアギャア騒ぐツィリルを見守っていたら、隣にいたアニャがボソリと呟く。
「ツィリル偉いわ。あんなに痛いって声をあげて」
「そ、そうだね」
俺も大角山羊に乗ったあと、猛烈な筋肉痛に襲われた。けれども、アニャやマクシミリニャンに心配かけてはいけないと、黙っていたのだ。
歩き方がおかしいとアニャにバレ、盛大に怒られたという思い出である。
夕食のとき、ツィリルが本日の感想を述べた。
「俺、イヴァン兄みたいに山暮らしはできない。なんていうか、尊敬する」
なんでも、まず虫の多さに驚いたらしい。それから夜の不気味な雰囲気も恐ろしいという。
「ここ、熊とか出るんじゃないの?」
「まあ、出るな」
「うわー、やっぱり! 無理無理、絶対無理!」
遊びにくるならばいいようだが、街で育ったツィリルが生活を続けるのは難しいようだ。
「イヴァン兄、熊が怖いから、一緒に寝て!」
「いいけれど」
そんなわけで、今晩はツィリルとふたりで眠る。アニャはツヴェート様のところにご厄介になるようだ。
ツィリルと並んで眠るのは初めてだ。実家にいたときは、大勢の姪や甥と一緒だったから。
「いやー、まさかこうしてツィリルと一緒に眠る日がやってくるとは」
「想像もしていなかったね」
実家の近況について報告してくれた。相変わらず、みんなで頑張っているようだ。
「サシャ兄は、蜂蜜を使ったお菓子を作って、修道院に持って行っているみたい」
「あのサシャがねえ」
「びっくりするよね」
それから、ツィリルの平和な毎日を聞いていると、自然と頬が緩む。
一時期はツィリルが俺みたいになるのではと心配していた。けれども、ツィリルは世渡り上手で、誰からも愛される性格だ。
杞憂に終わったようだ。ホッと胸をなで下ろす。
「ツィリル、また、懲りずに遊びにきてくれる?」
「もちろん!」
太陽みたいな笑みを見せるツィリルの頭を撫でる。
なんとも幸せな晩だった。
養蜂家と蜜薬師の花嫁、下巻が10月20日に発売します。
書き下ろしは4万字、80ページ以上の読み応えある内容となっております。
どうぞよろしくお願いします。
8の日の更新も、本日で終了となります。
今までお付き合いいただきまして、ありがとうございました。
参考資料
養蜂大全:セイヨウミツバチの群の育成から採蜜、女王作り、給餌、冬越しまで飼育のすべてがわかる! ニホンミツバチ&蜜源植物も網羅 松本 文男 (著) 誠文堂新光社
ミツバチの教科書 フォーガス・チャドウィック (著), スティーブ・オールトン (著), エマ・サラ・テナント (著), ビル・フィツモーリス (著), ジュディー・アール (著), 中村 純 (監修), 伊藤 伸子 (翻訳) エクスナレッジ
ミツバチ―飼育・生産の実際と蜜源植物 (新特産シリーズ) 角田 公次 (著) 農山漁村文化協会
ミツバチとともに―養蜂家・角田公次 (農家になろう) 農文協 (編集), 農山漁村文化協会= (編集), 大西暢夫 (写真) 農山漁村文化協会
飼うぞ 殖やすぞ ミツバチ (現代農業特選シリーズ) 農山漁村文化協会 (編集), 農文協= (編集) 農山漁村文化協会
Dr.クロワッサン はちみつが健康と美容に効く! (マガジンハウスムック) マガジンハウス (編集) マガジンハウス
自然治癒はハチミツから ハニー・フルクトースの実力 (健康常識パラダイムシフトシリーズ8) 﨑谷博征 (著), 有馬ようこ (著) 鉱脈社
毎日がしあわせになるはちみつ生活 木村 幸子 (著) 主婦の友社
自然が一番!ハチミツ健康レシピ―毎日使える料理&おやつメニュー (SERIES食彩生活) 吉田 瑞子 (著) 素朴社
ひとさじのはちみつ 自然がくれた家庭医薬品の知恵 前田京子 (著) マガジンハウス
ヤギ―取り入れ方と飼い方・乳肉毛皮の利用と除草の効果 (新特産シリーズ) 万田 正治 (著) 農山漁村文化協会
完全版 自給自足の本 ジョン・シーモア (著), 宇土 巻子 (翻訳), 藤門 弘 (翻訳) 文化出版局
手仕事―イギリス流クラフト全科 ジョン シーモア (著), John Seymour (原著), 川島 昭夫 (翻訳) 平凡社
世界の草木染め ワイルドカラーの魅力 ジェニー・ディーン (著), 箕輪 直子 (監修), カレン・ダイアディック・カッセルマン (その他), 澁谷 正子 (翻訳) ガイアブックス
スロヴェニアを知るための60章 (エリア・スタディーズ159) 柴 宜弘 (著, 編集), アンドレイ・ベケシュ (著, 編集), 山崎 信一 (著, 編集) 明石書店
スロヴェニア語入門 金指 久美子 (著) 大学書林