番外編 イヴァンの人生
今日は生まれ育った湖畔の街で蜂蜜を、ミハルの実家の店の前で出張販売することとなった。
ミハルがバス乗り場まで迎えにきてくれた。
「おう、イヴァン、それからアニャさん、久しぶり」
「久しぶり」
「ごぶさたしております」
まずはホテルに荷物を置いて、そこからミハルの家に向かう。
「イヴァン、蜂蜜を運んでくるの、重かっただろう?」
「まあ、ほどほどにね」
「だから送れっていったのに」
「でも、少しでもお手頃価格で売りたいからさ」
ミハルは先に蜂蜜を送るように言っていたのだ。けれども、輸送費を考えたら、自分達で持っていったほうがいい、という話になったわけである。
「しかし、五年経っても街はあんまり変わらないねえ」
「まあ、街を変える金もないから、無理もないさ」
この変化のなさが、逆に落ち着く。故郷に帰ってきたという気持ちになるから。
店の前には、ツィリルが待ち構えていた。
「イヴァン兄~~!!」
走って飛びかかってくるツィリルを、必死になって受け止める。
ツィリルはもう十三歳。昔のように、小柄の可愛らしい少年ではないのだ。
「いや、ツィリル、また背が伸びた?」
「うん、そう!」
「俺より高くなりそうだな」
「なったらいいなー」
いつまで俺に抱きついてくれるのか。
いや、まあ、二十歳あたりになって抱きつかれても困るのだけれど……。
ずっと可愛いツィリルであってほしいが、いつかは大人になってしまうのだ。
「イヴァン兄、家に帰るの?」
「ん、まあな」
いい加減アニャを紹介しろと、母に手紙で責められていた。
あれからもう五年も経った。養蜂園も元通りになっているようだし、アニャを紹介してもいいのではないかと思ったのだ。
「これから向かおうと思っている」
「そうなんだ」
だったらと、ミハルはツィリルも一緒に帰るといいと特別に許可してくれた。
そんなわけで、アニャ、ツィリルと共に家に帰る。
「イヴァン兄、うちの蜂蜜、とびきりおいしくなったんだよ」
「それはよかった」
話しているうちに、花畑が広がる養蜂園が見えてくる。
そこでは、女性陣があくせく働くのがいつもの光景だった。
今は――兄や甥達も交えて、イェゼロ家の人達全員が働いていた。
ツィリルは俺みたいに毎日働くのではなく、ミハルの実家の店を手伝ったり、ミハルのお爺さんと漁に出かけたり、最近はボート漕ぎの仕事もしているという。
夢を叶えるために、頑張っているようだ。
そんなツィリルは、花畑に駆け寄って大声で呼びかける。
「みんなーー! イヴァン兄が帰ってきたよーー!」
働いている皆の注目を、一気に浴びてしまう。すると、こちらに駆け寄ってきた。
静かに帰りたかったのに、大賑わいの帰宅となってしまう。
麦わら帽子を被り、汗を掻きつつ働く兄の姿はとても新鮮だった。
「イヴァン、帰ってきたのか!」
「よく、顔を見せてくれた」
「う、うん」
母もやってきて、勢いのままに俺を抱きしめる。
「イヴァン、おかえりなさい……!」
「ただいま」
家族は出て行った俺を責めるのではないかと、少しだけ心配だった。けれども、誰ひとりとして責めることはない。
アニャと俺のためにごちそうを用意して、歓迎してくれた。
特に母は、俺とアニャの結婚を喜んでいた。
意外な人も、祝福してくれる。
「よお、イヴァン」
そう言って琥珀色の酒瓶を押しつけてきたのは、サシャだった。
なんでも最近は、蜂蜜酒を造って売っているらしい。自分で工房を建てて、日々生産しているようだ。
サシャも変わった。少しだけ、顔付きが優しくなったように思える。
兄達も酒好きなのは相変わらずのようだが、加減というものを知ったようだ。
最後に、母に感謝される。
「あなたのおかげで、家は本当によくなったわ。イヴァン、ありがとう」
「いや、俺のおかげっていうか、皆できるのにしなかっただけというか」
「そうね」
今後、イェゼロ家がどうなるかは、皆の働き次第だろう。
兄達から助言を求められたが、蜜蜂を見習ってせっせと働けとしか言いようがない。
皆、楽しそうに笑っている。
もう実家は心配ないようだ。
ホテルに戻り、アニャを労る。
「ごめんね、うちの家族、賑やかで疲れたでしょう?」
「いいえ、楽しかったわ」
「だったらよかった」
アニャとふたりで、サシャから貰った蜂蜜酒を飲む。
甘くて、ほんの少しだけ苦い。まるで、俺の人生のようだった。
「おいしいわ」
「そう言ってくれると、嬉しいな」
俺の人生には、アニャがいる。
彼女ならば、苦しみもきっと一緒に分かち合ってくれるのだろう。
こんなに幸せなことはない。
今後も、アニャと一緒に歩んで行こう。
そう思いながら蜂蜜酒を飲み干した。




