番外編 ロマナの独白
母は過労で死に、父は賭博と酒浸り。家にある品を少しずつ売って暮らすような毎日だった。
父は暴力的で、短気で、何もいいところなんてなかった。
ついに家から売れるような物がなくなると、父は私に向かって、母のように体を売って来い、と言うようになる。
夜の街で客引きをしようと初めて出かけた日に、私はイヴァンさんと出会った。
彼は私にしつこく、何をしているのかと聞いた。
同じ年代の異性に、体を売るために客引きをしている、なんて言えるわけがない。
黙っていたらいなくなるだろう。そう思っていたのに、彼は立ち去らなかった。
挙げ句、こっちに来いと言って、家に連れ帰ったのだ。
彼の母親は私を見て驚き、よほど汚かったのかお風呂に入れてくれた。
お風呂からあがったあとは、傷の治療を施してくれた。
私の体は、青あざだらけだった。誰にやられたのかと聞かれても、言葉がでてこない。
父から「生意気だから言葉は喋るな!」と怒られていたので、いつしかまともに会話もできなくなっていたようだ。
言葉も喋らず、怪我だらけという不審でしかない私を、イェゼロ家の人達は保護してくれた。
彼らは養蜂を営んでおり、働く代わりに衣食住を私にもたらしてくれたのだ。
この家も、私の家と変わらない。女達が働いて、男達はだらだら過ごす。
けれども、私を助けてくれたイヴァンさんは違った。
率先して働き、汗を流していたのだ。こんな男性がいるなんて――と驚くばかりである。
イヴァンさんの双子の兄サシャさんもまた、時折ふらっと養蜂園に現れてせっせと働いていた。
美しい双子の兄弟は、何か不思議な縁で結ばれているような、特別な雰囲気だった。
だから、ふたりでいるときは絶対に近寄らなかった。
特に、サシャさんが恐ろしく感じた。彼は、イヴァンさんに近寄る者が総じて気に食わない様子だった。
おかみさんが言っていたのだけれど、双子は独自の世界の中に生きているらしい。鏡に映ったもうひとりの自分のように、相手を思っているようだ。
だから、深く関わらないようにしよう。そう思っていた。
それなのに、イヴァンさんはとても親切で、父が死んだという話を聞いた晩も、意味もわからず涙する私を励ましてくれたのだ。
いつしか、どんどん惹かれていく気持ちに気づいた。
私はイヴァンさんに恋していた。
けれども、イヴァンさんは私にまったく興味を持っていなかった。
私だけではない。街でもてはやされるような美人に声をかけられても、あっさりした態度で返す。
そのため、イヴァンさんの恋人は蜜蜂達だ、なんて噂が囁かれるようにもなった。
私も年頃になり、結婚話が浮上する。
街の男性が、私を妻にと望む声があるとおかみさんが話していた。
その話は、どれも断った。
求婚する彼らは、養蜂園で働く私を見て結婚したいと思ったと聞いたから。
働き者と褒められても嬉しくはない。母は働きすぎた挙げ句、過労で亡くなったから。
求婚してきた彼らは、私の労働を評価し、同じように働いてほしいのだろう。
そんな要望など、我慢できない。
結婚するならば、イヴァンさんみたいに一緒に汗水流してくれる男性がいい。
そう思っていたのに、私はサシャさんと結婚していた。
イヴァンさんはいつまでも、私に興味を持たなかった。
だから、妻にと望んでくれたサシャさんと結婚した。
それが間違いだった。
サシャさんはイヴァンさんの双子の兄で、顔はそっくり。けれども、中身はまったく違った。
父ほどではないものの、暴力的な一面があって、私の扱いも雑だった。
イヴァンさんだったら、こんな行為など絶対にしないのに。
きっと、罰が下ったのだろう。サシャさんでいいなんて、妥協するように結婚したのだから。
愚かなことに、私はサシャさんと結婚しても、イヴァンさんを愛していた。
彼に一度抱いてもらったら、想いは断ち切れるのかもしれない。
そう思っていたが――私の浅はかな行動は、これまで見たこともない壮絶な兄弟喧嘩を招いてしまった。
結果、イヴァンさんは家を出て行ってしまう。
私も、もうこの家にいられない。
そう思ってイェゼロ家から飛び出し、修道院に身を寄せた。
それからは、信じられないほど静かな日々を過ごす。
祈りを捧げ、奉仕する。
罪深い私にはもったいないくらいの、満たされた毎日である。
もっと早く、修道院に行くべきだった。
私には学が足りず、修道院の存在さえ知らなかったのだ。
静かに暮らす日々の中で、私は妊娠していることを知った。
いつの間にか、サシャさんの子をお腹に宿していたようだ。
産むべきではないと思ったものの、堕胎は罪深いこと。
他のシスターやおかみさんの勧めもあって、産むことにした。
日に日に大きくなるお腹を見つめていると、私のなかにありもしなかった母性というものが目覚める。
私は、母になる。母になれるのだ。
暗闇を歩むような人生だった私の道筋に、光が差し込んだような気がした。
この子を育てることは、シスターである私には許されない。けれども、母となったら強く生きられるような気がした。
この子に恥じないような人生を送ろう。
なんて決意していたのに、子どもは産まれる前に死んでしまった。
この子のために生きようと思っていた。
死んでしまうなんて、想像もしていなかった。
もう、生きる価値なんてないのかもしれない……。
冷たい湖に身投げをしたら、あの子に会えるだろう。
そう思って飛び込んだ。だが、私は死ねなかった……。
再び私の命を救ったのは、新婚旅行で街を訪れていたイヴァンさんだった。
彼は結婚し、可愛らしい女性と一緒にいた。イヴァンさんの妻らしい。
死のうとしていた私を、イヴァンさんの妻だという女性が叱咤する。
彼女は子どもが産めない体だった。けれども、生きている。
子どもがいないから生きる価値なんてないと言うなと、怒られてしまった。
続けて彼女は主張する。
別に、自分が産んだ子どもが子どものすべてではないと。
大人として、導ける者すべてが子どもだという。
その言葉は、不思議と私のなかで腑に落ちた。
私が気づいていないだけで、この世界には子ども達がたくさんいる。
悲しむあまり、視野が狭くなっていたのだろう。
暗闇だった世界が、一気に明るくなった。
それからというもの、私は孤児院の子ども達の世話で忙しい。
皆私を、母のように求めてくる。
ああ、なんて満たされた毎日なのか。
神様に、そして私に人生の喜びを教えてくれたイヴァンさんとアニャさんに、深く感謝した。




