番外編 アニャとアンニュイな雨の日
雨の日は、明らかにアニャの元気がなくなる。
表情が暗くなり、言葉数も少なくなるのだ。
その原因は、マクシミリニャンにあると、義父本人が申告していた。
なんでも、雨の日にアニャの母が亡くなったので、それを思い出して暗くなっていた。つられてアニャも、元気がなくなってしまったという。
さらに、アニャの母は雨に濡れて病気が悪化した。そのため、雨の日に外に出たアニャをきつく叱ってしまったらしい。
そのため、アニャは雨の日になると、過去を思い出してションボリしてしまうのだという。
雨の日は家の中でできる手仕事を行う。
今日、アニャは乾燥させた植物を乳鉢でごりごりとすり潰していた。薬を煎じているのかと思いきや、お茶を作っているらしい。
その表情は、どこか悲しげであった。物憂いな横顔は、見ていて辛い。
俺は雨の日に備えて、アニャが楽しくなるものを考えていた。
今日、実行する日が来たのだ。
「アニャ、そろそろ休憩にしない?」
「ええ、そうね。お茶でも淹れてくるわ」
「いや、今日は俺がする!」
「そう? じゃあ、よろしく」
昨日、ツヴェート様が「雲が厚いから、明日はきっと雨だねえ」と言っていたので、準備ができたのだ。
アニャが元気になる奥の手――それは、力の限りふくらませたメレンゲを使って焼いた、ふわふわ蜂蜜ケーキである。
お菓子作りが上手なマクシミリニャンから教えてもらい、昨日、こっそり作ったのだ。
これで、アニャは元気になるに違いない。
「アニャ、見て! 昨日、ケーキを焼いたんだ」
「まあ、すごいわ!」
アニャは想定以上に喜んでくれた。
「こんなにふわふわ膨らんだケーキは初めて。とってもおいしいわ」
「よかった」
アニャは元気になった。やはり、甘いものの力は偉大だ。
ホッと胸をなで下ろしていたが、作業を再開させるとアニャの雰囲気は途端に落ち込んだものとなる。
食べている間は元気になるが、その状態は長くは続かない。
アニャは俺のように単純ではないようだ。
次なる作戦も、もちろん考えていた。
「アニャ、息抜きにカードでもしない?」
「カード?」
「そう」
ミハルが送ってくれた、息抜きアイテム。街で流行っているカードをやろうと提案してみた。
「私、やったことないわ」
「簡単だよ。ルールはすぐに覚えられる」
もっとも簡単な遊びは、絵柄当て。カードを捲って裏の絵柄を合わせるというシンプルなゲームだ。
「それだったら、私にもできそう」
「だったらやろう」
敗者は勝者の言うことを聞く、というルールを追加し、アニャと絵柄当てを開始した。
これは幼い甥や姪とよく遊んでいたものだ。
ひとり勝ちすると泣かれるので、時おり手を抜きつつやっていた。接待及び忖度ゲームである。
アニャに対しては真剣勝負――と思っていたが。
「う、嘘だろう……!?」
アニャは記憶力抜群で、俺がひっくり返して外したカードの位置まで正しく覚えていた。
そのため、アニャが圧勝だったのだ。
「けっこう簡単な遊びなのね」
「いや、これ、簡単じゃないよ。シンプルなように見えて、難しい」
「そう?」
何はともあれ、アニャの勝利だ。俺はアニャの命令ならば、なんでも従わないといけない。
「肩揉みでも、お茶汲みでも、踏み台でも、なんでも命令してほしい」
「なんか変なのも混じっていたけれど……。まあ、いいわ」
アニャが何を命令してくるのか、ものすごくドキドキする。
幸い、家の中でできることは限られている。
外にピラミッドを建設しろとか、暴君のような命令はしないはずだ。
「あのね、イヴァン」
「う、うん」
アニャは頬を染めつつ、ぐっと接近する。
耳元で、こそこそと囁いた。
「指先にキスして」
「えーーー!! それ、ご褒美じゃん!!」
「いいから、しなさいよ」
なんでも、物語の騎士が姫君に忠誠のキスをするシーンに、とんでもなくときめいてしまったらしい。同時に、憧れてしまったと。
ただ、そういうキスをしてもらう機会などない。
「そういうわけだから、イヴァンには私の夢を叶えてもらうわ」
「はい、よろこんで!」
床に片膝をつき、アニャの手を取る。
「生涯、私はアニャ姫を守ることを誓っても、よろしいでしょうか?」
「ええ、許すわ」
付くか、付かないかくらいの口づけを、アニャの指先に落とす。
そっとアニャを見上げたら、嬉しそうに微笑んでいた。
「今後は、アニャの下僕として、生きる次第です」
「下僕じゃなくて、騎士よ!」
「そうでした」
雰囲気が台無しだと言い、アニャは大笑いする。
この笑顔が見たかったのだ。
思いがけず作戦は大成功。
楽しい雨の日を過ごしたのだった。




