番外編 蜂蜜と日常
実家にいたころ、蜂蜜は毎日のように口にしていた。紅茶に垂らしたり、パンに塗ったりと、食生活には欠かせなかった。
しかしながら、山の上での暮らしはこれまで以上に蜂蜜に密着していた。
朝――歯磨き粉が切れたと大騒ぎをしていたら、アニャが手作りしてくれる。
それは、蜂蜜とシナモンパウダーを混ぜたものだった。
「え、蜂蜜と……シナモン!?」
「そうよ」
蜂蜜は抗菌力に優れているので、歯磨き粉代わりになる、という話は耳にしていた。それに、シナモンを加えるのはなぜなのか。
「シナモンにも抗菌作用があるの。口臭予防効果もあるから、蜂蜜と合わせることによって、強い効果を発揮するのよ」
「そ、そうなんだ」
シナモンについては、マクシミリニャンから伝授された知識らしい。
なんでも、幼少期のマクシミリニャンは水とシナモンスティックを入れた鍋を沸騰させ、冷ましたものを洗口液として使っていたのだとか。おかげで、虫歯知らずだったという。
蜂蜜にシナモンを混ぜて練ったものを、歯ブラシに付着させる。それを、口に含んだ。
「うっ、おいしい!」
「イヴァン、食べたらダメよ。歯を磨くの!」
「舌先が、味わうモードに入っているんだけれど」
「歯ブラシを貸しなさい! 私が磨いてあげるから」
「えっ……だったらお願いします」
「嫌がって磨くと思ったのに、まさか受け入れるとは……」
「アニャに歯を磨いてもらう機会なんて、たぶん二度とないから」
「仕方がないわね」
そんなわけで、アニャに膝枕されつつ、歯を磨いてもらう。
アニャは優しい手つきで、歯を磨いてくれた。
「イヴァンは歯並びはきれいだし、どこも欠けていないわね。虫歯もないみたいだし」
お褒めにあずかり、光栄です。
歯磨きが終わり、口をゆすぐと――サッパリしていた。
「歯がツルツル! さすがアニャ!」
「シナモンと蜂蜜の力よ」
「いやいや、アニャの力もあるって」
ちなみに、歯磨きの買い置きはアニャが探したら物置部屋にありました。
探し物って、探しているときには見つからないものなんだよね……。
◇◇◇
夏が盛りとなると、スズメバチの活動が活発になる。
スズメバチの駆除は攻撃力が低下する初夏に行いたい。けれども、一年の中でもっとも忙しい流蜜期と被るので、なかなか難しいのだ。
攻撃性が高まる夏――蜜蜂たちを守るために、スズメバチの駆除を行うのだ。
アニャやマクシミリニャンはピンセットで捕獲するという。
ツヴェート様も庭によく巣があり、スズメバチと果敢に戦っていたらしい。そのため、駆除の方法は把握しているようだ。
なんでもツヴェート様は直接捕獲せずに、罠を作るようだ。その方法を、伝授してくれるという。
「使うのは、これだよ」
ツヴェート様がテーブルに並べるのは、三種類ほどの果実酢。
「これを混ぜてしばし放置したものを、瓶に入れるんだ」
スズメバチの栄養源は、樹液や花蜜。匂いにつられて、やってくるらしい。
穴を開けた蓋で瓶を塞ぎ、スズメバチが好む樹の近くに設置するという。
「アニャやマクシミリニャンのように、直接捕獲するのは素人には危険だ。イヴァン、あんたは絶対に真似するんじゃないよ」
「うん、あれは職人の技というか、かなり無茶というか、なんというか……」
とにかく、よい子は真似しないようにと、注意して回りたい。
翌日――瓶を見に行ったら、スズメバチがたくさん引っかかっていた。
うごうごと生きているスズメバチは、そのまま蒸留酒に沈められる。
以前アニャに聞いたスズメバチの蜂蜜漬け同様、栄養たっぷりのお酒になるらしい。
さらに、蜜蜂に刺されたときの薬にもなるようだ。
今年はスズメバチの女王も捕獲したようで、アニャやマクシミリニャンは嬉しそうだ。 スズメバチの女王は蜂蜜漬けとなる。疲労回復効果があるという。
「スズメバチの女王の蜂蜜漬けができたら、村長が高値で買い取ってくれるの」
「そ、そっか」
我が家で消費する分ではないようで、ホッと胸をなで下ろす。
いまだに、スズメバチの成分入りの蜂蜜を口にするのは抵抗があるのだ。いつか慣れるのだろうが、ひとまず今は無理。
村長、ありがとう。心の中で感謝したのは言うまでもない。