番外編 蜂蜜カフェを開こう 第三話
女性が猛追してきたらどうしようかと思っていたものの、振り返った先には誰もいなかった。ホッと胸をなで下ろす。
「イヴァン、腕、握りしめすぎ!」
「え、あ、ごめん」
荒ぶるミハルを強制連行するため、無意識のうちに力いっぱい握っていたようだ。
息を整えたあと、草むらに腰を下ろす。
腰ベルトに吊していた、革袋に入れた蜂蜜水をミハルへ渡す。
全力疾走で喉が渇いていたのだろう。ごくごくと気持ちがいいくらい飲んでいた。
それから、ごろりと寝転がる。
俺も、同じように草むらに身を委ねた。
美しい青空と白い雲が、どこまでも広がっていた。とてものどかである。
そんな中で、ミハルは独り言のように呟く。
「はーーーー……だめだな、俺」
いつも晴れ晴れと明るいミハルであるが、今日みたいにむしゃくしゃしている日もあるだろう。
ポンポンと、励ますように肩を叩いておく。
「イヴァンは、イライラするときってあるのか?」
「そりゃあるよ」
「どんなふうになるんだ? そういや、怒っているイヴァン見たことないや」
「うーーん、どんな、と聞かれても、回答に困るんだけれど」
口数が少なくなって、ずーんと暗く落ち込んでいるような態度になるのかもしれない。
「お前は誰かに当たり散らすってことは、しないんだろうな」
「あると思うけれど」
「いや、想像できない。お前さー、なんかされても、言い返さないし、やりかえさないし。前まで心配していたんだよ」
「その節は、ご迷惑をおかけしました」
「一時期は、恐怖を抱いていた時期もあった。なんか、いつか感情を爆発させて、やばいことをするんじゃないかって思ってさ」
でも、ミハルは恐怖を抱いたまま終わらなかった。俺に、どうして怒らないのかと聞いたらしい。
「イヴァン、なんて答えたか覚えているか?」
「いや、記憶にない」
「お前はな、こう言ったんだ。怒ったら、お腹が空くからって」
「なんだそりゃ」
「俺もそう思った。でも、こいつは考えもなく怒らないわけじゃないんだって、妙に納得してしまって。お前との付き合いは今に至るというわけだ」
「なるほどー」
その後、恐ろしいという認識はなくなり、いつの間にか大親友になっていたというわけ。
「まあでも、まったく怒らない、というわけではないから。一応、人並みには腹は立てているよ」
「あんま顔に出ないけれどな」
アニャと喧嘩するのか、という質問も受ける。
「喧嘩というより、アニャにうわーっと怒られて、ごめんなさいと平謝りする感じかな。激しく言い合うことはないかも」
「あー、イヴァンっぽいなー」
「俺っぽいって何?」
「わからん」
「なんじゃそりゃ」
「俺自身の感情でさえわからないのに、イヴァンについてわかるわけがない」
現在、ミハルは自分の感情に、戸惑っているのだという。
誰かを困らせたいと思う気持ちはまったくないのに、苛立ってきつい言葉を投げかけてしまうと。
「ミハル、それって反抗期なんじゃないの?」
「二十歳過ぎて反抗期がくるとか、恥ずかしいにもほどがあるな」
「たぶん、ミハルは思春期の反抗期がなかっただろうから、遅れてやってくるのは仕方がないよ」
「反抗期かー」
周囲の人達の言うことを聞きたくなくて、苛ついて、反抗したくなる。
まさに、家を出ると決めたときの俺に似ていた。
あれも、ある意味反抗期だったのかもしれない。
「一回家を出て、ぶらぶら目的もなく旅してみるとか、いいのかもしれないね」
「旅か。それもいいかもしれないな」
「なんか珍しい物を発見したら、買い付けたり、メモを取ったり」
「うわ、楽しそう」
たぶんミハルは、繰り返しの日々の中で、どこか変化を求めていたのかもしれない。
けれどもそれは、結婚ではない。だから、結婚を勧める家族に腹を立ててしまったのだろう。
「ここにきて、よかった。なんだか、家から逃げたみたいで、心のどこかで嫌悪感を抱いていたんだけれど。イヴァンと話をして、スッキリした」
「そっか、よかった」
ミハルは起き上がり、ニカッと微笑む。太陽みたいな、明るい笑みだった。
先に立ち上がったミハルの手を借りて、起き上がる。
「さっきのお嬢さんにも、謝らなきゃな」
「明日ね」
「そういえば、なんか誘っていたな。来ると思うか?」
「どうだろう?」
身なりや発言からして、帝国からやってきた没落貴族、といった感じだろう。
かなり怒っているご様子だったので、来るかは謎である。
「今は、謝りに行かないほうがいいんだろうな」
「うん。たぶん、謝罪しても火に油を注ぐような感じになると思う」
「だったら、明日、機会があったら、だな」
「それがいいよ」
まあ、早く謝るに越したことはないが、今回は特殊な例ということで。
「よし、イヴァン、戻って仕込みをするか!」
「するかー!」
気分転換できたようでよかった。ホッと胸をなで下ろす。
本日から、新連載が始まります。
『スライム大公と没落令嬢の案外しあわせな婚約』という作品です。
よろしくお願いいたします。
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