養蜂家の青年は、熊肉を調理する 後編
酒に漬けた熊肉は、そのあと水でごしごし洗われる。
なんていうか、力強い。洗濯物を洗うような勢いだ。
続いて、熊肉のあく抜きをするという。
鍋にたっぷり水を張り、臭い消しの薬草と一緒に煮込むのだとか。
しばし、鍋の番をしていたのだが、沸騰する前からあくがじわじわ浮かんでくる。
沸騰したら、泡立った石鹸みたいにぶくぶく滲みでていた。
「うわ、すごいあく」
「熊は野生肉の中でも、特にすごいな」
鍋から漂う臭いも、強い。だが、これでも臭わないほうだという。
「仕留め方がよかったのだろう。以前、内臓を撃ち抜いて仕留めた熊がいたのだが、猛烈に臭かったな。食えたものではなかった」
まずくてたまらなかったようだが、薬だと思ってアニャとふたり一生懸命食べたらしい。
その年、アニャは熊肉が大嫌いになったようだが、翌年仕留めた個体はおいしかったので、大好物となったようだ。
熊は仕留め方、血抜きの仕方で味わいが大きく変わる。迅速な行動が、肝となっていたのだろう。
「だから、熊を仕留めた日の夜、アニャが必死になって血抜きをしようって言ってきたんだね」
「そうだな。人間の技量で肉をまずくしてしまうのは、もったいない。せっかくいただく命だ。おいしく食べたほうがいいだろう」
十分ほど煮た肉は、茹でこぼす。二回、三回と繰り返すうちに、だんだんとあくがでなくなってきた。
「ふむ。これくらいでいいだろうか」
鍋に熊肉を入れて、赤葡萄酒をひと瓶、惜しげもなく注ぎ入れる。香味野菜に香辛料、薬草などもどんどん追加していった。この状態でしばらく煮込み、途中からトマトの水煮、塩、コショウなどを入れて、さらに煮込む。
最後にバターを加えたら、熊肉の赤ワインスープの完成だ。
「熊肉は、滋養強壮にいいという。食べると体が温まるので、冬ごもりにうってつけの食材というわけだ」
これでもかと煮込まれた熊肉は、他の肉に比べて黒い。
煮込んで煮込んで、煮込みまくったのでものすごく固いのではないかと心配になる。
ただ、アニャが大好物だというので、おいしくないわけがない。
アニャとツヴェート様を呼んで、食事の時間とした。
「イヴァン殿と、熊肉スープを作ったぞ」
「わー、おいしそう!」
「いい匂いだねえ」
女性陣は目を輝かせていた。あんなに怖い思いをしたのに、引きずっていないらしい。
ふたりの強さが、羨ましかった。
俺なんかは、昨日のことのように恐怖がぶり返してくる。
夢にも、何度かでてきたくらいだ。
あの、熊が窓から「こんにちは」してきたところは、恐怖のあまり失神しなかった自分を褒めたい。
ちなみに、熊が割った窓は、マクシミリニャンが修繕してくれた。
被害は跡形もないのに、窓際で何かが過っただけでびっくりしてしまうのだ。
ちなみに、窓を横切ったのはマクシミリニャンの下着だった。驚かせやがって……。
「イヴァン殿、たくさん食べられよ」
「わーい、やったー」
自分でも驚くほどの棒読みだった。わずかに震える手で、熊肉スープが注がれた皿を受け取った。
あの日戦った熊の肉が、スープの中にぷかぷか浮かんでいる。
食卓につき、いつもより長く祈りを捧げた。
「いざ――!」
腹を括って、熊肉を匙で掬った。
赤ワインとトマトのスープの中にいても、熊肉の存在感は異彩を放っている。
そんな熊肉を、ぱくりと食べた。
「んん!?」
口に含んだ熊肉は、驚くほどやわらかい。
あんなに煮込んだのに、どうしてこんなにもやわらかいのか。
噛めば噛むほど、肉の旨みが滲みでてくる。
脂肪部分はプリプリで、とろけるようなおいしさだ。
「嘘みたい。こんなにおいしいなんて」
「そうだろう、そうだろう!」
普通の肉よりも、調理に手間暇がかかる。
苦労してでも食べたいものが、熊肉なのだろう。
「熊、おいしい。知らなかった、こんなにおいしいなんて……!」
この瞬間、熊に対する恐怖は消えてしまったように思える。
おいしさが、恐怖を上回ってしまったようだ。
「来年、熊狩りについて行こうかな」
「イヴァン、二度と熊には会いたくないって言っていたじゃない」
「この熊のおいしさを知ったら、会いたくなったよ」
なんて、食べている間は調子のいいことを言っていたが、食後は「やっぱり会いたくないかも」と思ってしまった。
乙女の恋心と、熊に会いたいと言う気持ちは、移ろいやすいのかもしれない。
そういうことにしておく。




