養蜂家の青年は、義父の帰宅に安堵しまくる
熊が割った窓には、布が当てられている。ツヴェート様が応急処置を施してくれたようだ。
ガラスの破片も、回収したようだ。
なんていうか、疲れた。
椅子に座り、がっくりとうな垂れてしまう。
アニャが暖めた山羊のミルクに、蜂蜜を垂らしたものを持ってきてくれた。
「山羊の乳、終わったかと思ってた」
「また、お乳が張っていたから、もらったの」
「そうだったんだ」
山羊の乳は短くて三ヶ月、長くて一年以上出るらしい。
ありがたく、飲ませていただく。
以前までは山羊のお乳は苦手だったのに、今では大好きだ。
なんていうか、濃くて、優しい味がする。
いつもはここでホッとするところだけれど、いまだ心はざわついたまま。
アニャも、少しだけ表情が暗いように思えた。
だって、いきなり熊に襲われたのだ。無理もないだろう。
「アニャ……なんていうか、とんでもない目に遭ったね」
「ええ」
これが、山で暮らすことなのだと、アニャは呟く。
「でも、こういうふうに、熊に襲われたのは、初めて。覚悟はあったはずなのに、いざ直面すると、大した行動はできないのね」
「いやいや、アニャは十分冷静に行動できていたよ」
何はともあれ、皆、怪我もなく生きている。
熊を倒すまでの手順に間違いはあったのかもしれないが、今回はよくやった。
そう、思っておく。
ツヴェート様がお風呂から上がってきた。さすがの彼女も、疲れ果てているようだった。
「あの、みんな、お願いがあるんだけれど」
「なんだい?」
今日は、どうにも心が落ち着かない。だから、一緒に眠ってほしい。
そう言うと、ツヴェート様は呆れた表情となる。
「あんた、小さな子どもじゃないんだから」
「そうなんだけれど」
お願いしますと頭を下げたら、ツヴェート様は「仕方がないねえ」と言ってくれた。
そんなわけで、今日は居間に布団を敷いて、三人で並ぶ。
普段、アニャの寝室で丸くなるヴィーテスもやってきて、一緒に眠っていた。
眠れないのではないかと思ったが、ヴィーテスを抱き枕に、あっさりと眠りに落ちてしまったのだった。
◇◇◇
翌日――ついにマクシミリニャンが戻ってくる。
大荷物を背負い、帰ってきた。
「お、お義父様ーーーーー!!」
もう、一番に抱きつきに行ってしまう。マクシミリニャンはやってきた俺を、抱き返してくれた。
「お義父様、二度と、俺から離れないでー! 一生家にいてー!」
「何かあったのか?」
その問いかけには、あとから追いついたアニャが答えてくれた。
「熊がでたのよ」
「な、なんだと!?」
アニャは納屋を指差す。
扉は半壊状態で、中に置いていた家畜の餌が荒らされている状態だ。
「熊は、逃げたのか?」
「いいえ、イヴァンが仕留めたわ」
「イヴァン殿が?」
マクシミリニャンの、頭をよしよしと撫でる手がピタリと止まった。
「イヴァン殿、熊を、撃てたのか?」
「偶然にも」
そう答えるや否や、ぐんと体が宙に浮いた。
マクシミリニャンは俺の体を、軽々と持ち上げていたのだ。
子ども相手に高い高いするみたいに、上下に揺らされる。
「熊を仕留めるなんて、素晴らしいぞ!! やればできる男だと、思っていた!!」
「いや、最初にアニャが額を撃ち抜いていたんだ」
「それでも、暗い状況で銃の扱いに慣れぬイヴァン殿が、熊を仕留めたというのは偉業である」
「大げさだなあ」
昨晩、切り落とした熊の頭部を見たマクシミリニャンは、ひと目で状況を察したようだ。
「若い熊が、冬眠もせずに好奇心からやってきたのだろうな」
「そうだったみたい」
対策を取らなければならないだろう。
マクシミリニャンは開墾時に伐採した木を使って、塀を作ったらどうかと提案する。
「たしかに、わかりやすい人工物があれば、熊も警戒する、かしら?」
「うーん、どうだろう」
昨日の熊みたいに、人間を天敵だと思っていない個体は気にせずに侵入してきそうだ。
「このようなことは、滅多に起こらないのだがな。我らが安心して暮らせるよう、何か対策を考えておこう」
これまでのほほんと暮らしていたが、これからは気を引き締めつつ、生活を営む必要があるのだろう。
互いに干渉しないように、生きていけたらいいなと思った日の話である。