養蜂家の青年は、あと処理を行う
熊は倒した。
驚くなかれ、俺が猟銃で倒したらしい。なんだか記憶が曖昧だった。
ぼんやりとは、覚えている。
アニャとツヴェート様を守るために、鉈を握って熊に振りかぶったり、猟銃を持って外に飛び出していったり。
今振り返ると、ゾッとしてしまう。あの行動力は、どこに眠っていたのだろうか。信じられない。
猟銃を二発撃ち、見事熊に命中させたそうだ。
この辺は、完全に覚えていなかった。
熊を仕留めたあとの俺は失神してしまい、五分ほど眠っていたようだ。
「なんだろう。家族を守るために、体が勝手に動いたのかもしれない」
「どちらにせよ、熊を前にあそこまでの立ち回りができたのは、すごいことだわ」
「本当に」
ひとまず、熊は死んだ。もう、心配はない。
よかった、よかったと、安心しきっていたら、ツヴェート様が信じがたいことを告げる。
「さっさと、血抜きの処理をしてしまおう」
「ちぬき?」
「そうだ。野生の獣肉は、血抜きを素早くしないと、臭くて食えたものじゃないって、話を聞いたことがある」
「それは、そう、だけれど。その、熊さん、食べるの?」
「食べるわよ」
アニャは当然とばかりに、言葉を返した。
山で得た命は大事に。いつも、マクシミリニャンが言っている言葉である。
「大丈夫よ、イヴァン。熊の血抜きは、お父様と一緒にしたことがあるから。イヴァンは、灯りでも持っていてちょうだい」
「お、おお……!」
なんて頼もしい妻なのか。
そんなわけで、熊肉をおいしくいただくため、血抜きを開始する。
仕留めた熊は、思っていた以上に大きかった。
マクシミリニャンと同じくらいの大きさだろうか。
この大きさでも、若い個体だとアニャが言っていた。
四年、五年と育った熊は、さらに大きいらしい。
「そんなのが家にやってきたら、もう生きていけないよ」
「大丈夫よ、イヴァン。大きな熊ほど、慎重なの。そういう個体は、冬になったら冬眠するし、人の生活圏には入ってこないのよ」
慎重に生きているからこそ、大きく育つのだという。
警戒すべきは、体の大きな熊ではなく、未熟な若い熊なのだとか。もしくは、子育て中の母熊。
「熊社会も、いろいろあるんだなー」
「そうなのよ」
熊は完全に息絶えているようだった。
それでも、近づきたくないほどには恐ろしい。
熊は舌をだらりと垂らし、白目を剥いていた。
銃弾が当たったのは、アニャが当てた額。俺が当てた後頭部と首筋の三カ所である。
まず、銃弾を取り除く。
アニャは躊躇うことなくナイフを入れて、銃弾を引っこ抜いていた。
次に、皮を剥ぐらしい。
「アニャ、やっぱり俺も手伝うよ」
「いいの?」
「うん」
銃弾をあっさり通さないほどの毛皮だ。簡単には剥げないだろう。
ツヴェート様に灯りをふたつ持ってもらい、俺も皮を剥ぐ作業に参加した。
思っていた通り、皮を剥ぐ作業は力がいるものだった。アニャひとりでは無理だっただろう。
しかしまあ、俺ひとりでも難しかったと思われる。
何度、吐き気を催してご迷惑をかけたか。
途中から、ツヴェート様に背中を優しく撫でてもらいつつ、作業したくらいだ。
そのあと、お腹を切って内臓を取り出す。この辺は、見ていられなかった。
アニャとツヴェート様にお任せしてしまう。
情けなくて、本当にごめんと百万回は心の中で謝罪する。
ここで、熊をソリに乗せて斜面まで引っ張り、血抜きを行う。
しばし放置したあと、熊肉は部位ごとに切り分け、殺菌作用のある葉っぱに包んで保管する。
「……死ぬほど疲れた」
「お疲れ様」
「アニャも」
ツヴェート様がお風呂を沸かしたので、入るように言う。
「イヴァン、先に入っていいわよ」
「アニャが先に入っていいよ。俺より、血まみれだし」
「私はあとでいいわよ。今日の功労者は、熊を仕留めたイヴァンだから」
「そんなことないって。アニャが最初に額を撃たなかったら、仕留められなかったと思う」
だから、お先にどうぞ。なんて言っていたら、ツヴェート様より叱咤が届いた。
「何を譲り合っているんだい! お湯が冷めてしまうだろう! 夫婦なんだから、一緒に入りな!」
え、そんなツヴェート様……。と思ったが、アニャは「それもそうね」なんて言っている。
「え、アニャさん、いいの?」
「ええ。さっさと入ってしまいましょう」
「やったー!」
「言っておくけれど、変なことはしないからね!」
「えっ、変なことって、なんだろう? 具体的に説明してくれないと、わからないな」
「さっきまでしょぼくれていたのに、どうしていきなり元気になるのよ」
「なんでだろうね」
そんなわけで、アニャと一緒にお風呂に入る。
非常に有意義で、楽しい時間だった。
このときばかりは、熊さんありがとう、と思ったくらいである。




