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養蜂家と蜜薬師の花嫁  作者: 江本マシメサ


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養蜂家の青年は、家族と夜を過ごす

 ツヴェート様に急かされながら、家の中へと入る。

 ちょうど、アニャが揚げパイを食卓に置いているところだった。

 こちらを振り返りに、ふんわりと微笑みかけてくれる。


「イヴァン、おかえりなさい」

「ただいま」


 それは、家族の間で当たり前のように毎日交わされる言葉である。

 けれども、実家にいたころは、俺が帰宅しても「おかえりなさい」なんて声をかける人はいなかった。

 最初は、アニャやマクシミリニャンから「おかえりなさい」なんて言葉をかけられると、照れくさかったのを思い出す。


「ぼんやりして、どうかしたの?」

「ここは、温かいなって思って」

「さっき、暖炉に火を入れたの……って、イヴァン、あなた、そんな薄着で外を出回るから寒いのよ!」


 そういう温かさではないが、アニャにとっては家族に対しての温かさはあって当たり前のものなのだろう。

 薄着で寒がっていると勘違いされ、笑ってしまう。


「ヘラヘラしている場合じゃないから。この前あげた、毛糸の外套はどうしたの?」

「屋根を塗るから、汚したらいけないと思って」

「汚していいの! 防寒のためなのに、意味ないじゃない」

「そうだね」


 アニャはこちらへ駆け寄り、冷え切った手を両手で包み込んでくれた。


「こんなに冷えきって、可哀想に」

「アニャの手が冷えるよ」

「そういうことは、気にしないの」


 しばらく手を揉み込んで温めようとしていたようだが、いっこうに冷たいままだった。

 アニャは俺の手を口元まで近づけて、はーと温かい吐息を吹きかけてくれる。


「アニャ、ありがとう。温かい」

「ぜんぜん温まっていないじゃない」

「温まったよ」


 手先は冷たいままかもしれないが、心はホカホカだ。それだけで、十分である。

 アニャがあまりにも優しいので、涙が出そうになった。奥歯を噛みしめ、堪える。


「あんた達、何をしているんだい」


 ツヴェート様が呆れた目で俺達を見る。


「イヴァンったら、薄着で働いていたの。手を温めてあげようと思って」

「暖炉に当たればいい。人間同士温め合っても、キリがないから」


 もう少しでスープが煮えるという。それまでの間、暖炉に当たらせてもらった。


 今宵は、マクシミリニャンがいない夜。

 戻ってくるのは、明後日の昼くらいか。冬は日照時間が短いので、山を登り下りできる時間も限られている。そのため、村の滞在も長くなるのだ。

 風が窓枠をガタガタと揺らす。

 あっという間に、太陽は沈んでいったようだ。

 どうしてだろうか。マクシミリニャンがいないだけで、胸がざわつく。たぶん、屋根の塗料を塗る作業が思うように進まなかったから。

 きっと、マクシミリニャンだったら終わらせていただろう。

 雪が降ったら、仕事ができなくなる。そのため雪のない冬の期間は大変貴重だ、という話を聞いていたのだ。


「イヴァン、どうかしたの?」


 スープ鍋を手にしたアニャが、小首を傾げて質問する。


「あ、いや、お義父様がいないと、寂しいなーって思って」

「イヴァンは、本当にお父様のことが大好きなのね」

「そうそう、大好き」


 スープは練ったトウモロコシの団子をトマトスープで煮込んだもの。

 他に、ウサギ肉の香草焼きに、豚ひき肉の揚げパイ、チーズの蜂蜜がけ、ツヴェート様特製の薬草酒。今晩もごちそうだ。

 神に祈りを捧げたあと、食事にありつく。


 トウモロコシ団子のスープを飲むと、体がじんわりと温かくなった。トウモロコシ団子はもちもちしていて美味。ツヴェート様が真心を込めて作ってくれたらしい。

 アニャが作った揚げパイの中身は、塩漬けしていた豚ひき肉に刻んだタマネギ、それから砕いたナッツが混ざっている。

 生地はサクサク、中は肉汁がじゅわーっと溢れてきて、ナッツの香ばしさも感じた。とってもおいしい。

 ウサギ肉は、マクシミリニャンが捕獲してきたものだ。

 冬のウサギは、秋に木の実やキノコなどをしっかり食べ、むっちりと肉を付ける。そのため、脂が乗っていて最高においしい。


 お腹いっぱい食べると、先ほどの不安な気持ちもどこかへ行ってしまった。

 寒さと空腹は、精神を暗黒面に突き落としてくれるのだろう。


 よかったよかったと思いつつ、苦い薬草酒を飲む。

 あまりにも苦いので、チーズの蜂蜜がけと一緒に食べるのだ。

 口の中が甘くなったら、再び薬草酒を一口。


「それでイヴァン、何を悩んでいたんだい?」


 危うく、口に含んだ薬草酒を噴き出しそうになった。

 ごっくんと呑み込み、急いでチーズの蜂蜜がけを食べる。


「な、悩み?」

「さっき、深刻そうな表情で、窓の外を眺めていただろう?」

「ああ、それね。えっと、なんていうか、お義父様のいない夜は不安だなって、思っていたんだ」

「いつも、不安に思っているのかい?」

「ううん、今日だけ」


 お腹いっぱいになったら、その不安も吹き飛んだ。だから、気にしないでほしい。

 そう言ったのに、ツヴェート様の眉間の皺は深くなるばかりだった。


「何かの、虫の知らせかねえ」

「いやいや、気にしないで」

「いいや、そういうのは、気にしたほうがいい」


 俺の不安なのに、自分のことのようにツヴェート様は断言する。


「何かが、起こるかもしれない」


 ツヴェート様の呟きと同時に、ドーン!! という大きな音が鳴った。


「え、何?」

「納屋のほうから、音が聞こえたわ」


 雷が落ちたような音ではない。何か巨大な存在ものが、納屋にぶつかったみたいな。そんな物音である。

 ゾッとした。



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