養蜂家の青年は、孤島の鐘を鳴らす
孤島は湖の真珠とも呼ばれている。
古くより、さまざまな地方から貴族が観光を目的に集まり、街の財政は潤っていた。
けれども、各国で起きた革命により、貴族社会は崩壊。近年、やってくる客はぐっと減っていた。
よく晴れた日には、孤島が湖に映し出される。水面に波紋がない瞬間が、もっとも美しい。けれど、その様子を見られるのは稀だ。
今日は残念ながら風が吹いているので、お目にかかれないだろう。
船を船着き場に横付けし、打ち付けてある杭に縄をかける。
先に下りて、アニャへ手を差し伸べた。行きとは違い、軽やかな様子で下りてくる。
「こんなところに、教会があるのね。どうして建てたのかしら?」
「孤島に教会があったら、美しいだろうから。なんて話を、船漕ぎのおじさんから聞いたことがあるけれど」
「たしかに、美しいわ」
「本当かどうか、わからないけれどね」
孤島の周囲は木々に囲まれ、まず目に飛び込んでくるのは高くそびえる白亜の鐘塔。教会の真っ赤な屋根も、湖水の色に映えてとてもきれいだ。
まず、教会にたどり着くためには九十八段の階段がある。
「ここで行われる結婚式では、新郎が新婦を横抱きにして階段を上るんだよ」
そんなわけで、古き良き伝統に挑戦してみる。
アニャを横抱きにして、九十八段の階段へ挑んだ。
「ちょっ、イヴァン。腰を悪くするわよ」
「大丈夫、大丈夫。たぶん」
「たぶんって、あなた……」
最初は平気だと思っていたが、だんだんと辛くなる。アニャは止めるように言ったが、意地で登り切った。
頂上にたどり着いた瞬間、アニャをそっと下ろし、大地に膝をついた。
「イヴァン、宿に戻ったら、蜂蜜湿布を塗ってあげるわ」
「うっ、さすが、蜜薬師……!」
今日以上に、アニャが蜜薬師でよかったと思う日はなかっただろう。
四つん這いの状態からなかなか起き上がらない俺に、手を差し伸べる中年男性が現れた。
黒の祭服姿の、神父様である。
にっこりと微笑みながら、入場料をせがんだのだった。
助けるために、手を差し伸べてくれたわけではなかったようだ。
人生、甘くない。
「今日は他に人がいないので、ついていますよ」
神父様のあとをついていく。チップを多めに渡したからか、教会の歴史について語ってくれた。
なんでもここの教会には、〝七回鳴らしたら願いが叶う鐘〟があるらしい。
「かつて、ブレッド城に住んでいた女性が、亡き夫を想って家中にある金属を使い鐘を作ったようです。それを運ぶさい、鐘を運ぶ船を嵐が襲って、鐘ごと沈没してしまいました。女性の死後、話を聞いた法王が涙し、この教会に鐘を贈ってくださったのです」
鐘は高くそびえる鐘塔にぶら下がっている。そのため、足を踏ん張って力いっぱい縄を引かないと鐘は鳴らないらしい。
「イヴァン、一緒に引いてみましょうよ」
「そうだね」
アニャとふたりで縄を握る。鐘としっかり繋がった縄は、一筋縄ではいかない気がした。
「イヴァン、何を願う?」
「家族みんなの幸せ、かな」
「ふわっとしたお願いね」
「アニャは何かある?」
「家族みんなが、健康で元気で暮らせますように、かしら?」
「さすがアニャ。具体的だ」
家族の健康であり、この先ずっと元気で暮らせるようにという願いを込め、アニャと一緒に縄を引いた。
「いっせーのーで!」
ふん! というかけ声と共に縄を引く。
「ぐうっ、お、重たい」
「本当に」
ここまで船を漕ぎ、アニャを抱いてきた腕が悲鳴をあげる。こんなに腕の筋肉を酷使する日はないだろう。
ガラン、と鐘が音を鳴らす。
「はっ、鳴った!」
「イヴァン、あと六回よ」
「が、頑張れ、俺の腕の筋肉!」
「ちょっと、笑わせないでちょうだい」
「真面目に応援しているんだけれど」
歯を食いしばり、腕の筋肉を信じて縄を引く。
なんとか七回、鐘を鳴らすことに成功した。
これだけ大変な思いをしたのだ。きっと、願いは叶うだろう。
しかしながら、腕も体力も限界である。
またしても、床に膝をつくこととなった。




