養蜂家の青年は、双子の兄と話す
ロマナとの仲を疑われ、サシャにボコボコにされたのは遠い日の記憶のように思える。
誤解だったと謝罪なんて受けていない。
別に、謝らなくたっていい。だって、サシャだから。
少し離れた場所にいたサシャが、一歩、一歩と近寄ってくる。
正直、彼と話したいとは思わない。けれど、ここで逃げたら、一生サシャと言葉を交わさないままとなってしまうだろう。
それでいいのかもしれない。
だって、サシャは俺のこと嫌いだし。
でも、せっかく双子として生を受けたのだ。
もうひとりの自分と決別するなんて、なんだか悲しい。
と、考え事をしているうちに、サシャが目の前にやってきてしまった。
心臓が、バクバク鳴っている。
無言で殴られたらどうしようか。サシャには前科がありすぎる。
ただただ、見つめられるだけの時間が辛い。
いくら双子でも、考えていることはわからないのだ。
今日は天気がいいね、なんて話題を振ろうとしたところ、思いがけない展開となる。
アニャが、俺とサシャの間に割って入ってきたのだ。
両手を広げ、守るように立ちはだかっている。
「お前、誰?」
「わー!」
サシャがアニャに失礼な質問を投げかける。
ピリッと空気が震えたので、慌ててアニャの手を握って引き寄せた。
アニャが傷つかないよう、サシャに背中を向け庇うような状態で話しかける。
「彼女は、俺の妻。アニャ・フリバエ」
アニャは俺の脇の下からひょっこり顔を出し、サシャへ会釈していた。
そういう律儀なところも可愛い……ではなくて。
いったんアニャと離れる。大丈夫だからと声をかけたら、こくりと頷いてくれた。
ミハルにも、視線で訴える。彼もまた、見守ってくれるのか強い眼差しを返してくれた。
今度こそ、サシャと真っ正面から向き合う。
大きく息を吸って、はく。
勇気を振り絞って、話しかけた。
「あの、サシャ、なんの用?」
「……、……たくて」
「はい?」
声、小っさ。いつも尊大で、自分勝手で横暴なサシャが、蚊の鳴くような声を出すなんて。初めてだろう。
「ごめん、聞こえなかった。もう一回、言って」
「お前に、謝りたいって言ったんだよ!!」
今度は、空気がビリビリ震えるような大声である。
相変わらず、ゼロか百しかない性格のようだった。
「ロマナのことで誤解して、すまなかった」
「いいよ、別に」
「は?」
「え?」
サシャは大きく目を見開き、信じがたいという視線を向けていた。
「え、何?」
「許すって、正気か?」
「正気に決まっているじゃん。別に俺、サシャに対して怒っていないし、恨んでもいない。謝ってほしいとかも、考えていなかったし」
「なんでそうなるんだよ! 俺はお前の尊厳を、勘違いから踏みにじったんだぞ!?」
「俺の尊厳? ないない、まったくないから」
たぶんだけれど、母のお腹にいるとき、尊厳というものはすべてサシャの中に流れ込んでしまったのだろう。そうに違いない。
「俺は、お前を、理解できない」
「他人だから、当たり前じゃん」
「他人?」
「そう。俺たちは同じ姿で生まれてきたけれど、同じ存在ではない」
神様は俺とサシャを、まったく同じには作らなかった。
理解できなくて、当然なのだ。
「俺にないものを、サシャは持っている。サシャにないものを、俺は持っている。持っていないものは、自分のものではないから、わからないものなんだよ。サシャはずっと、俺をもうひとりの自分だって、思っていなかった?」
そう信じて疑わなかったから、俺が予想に外れた行動を取ったとき彼は怒っていたのだろう。
いい機会だ。ずばりと、指摘させてもらう。
「サシャは、ロマナのこと、好きじゃないのに結婚したんじゃない?」
「……」
「俺とロマナが仲良かったから、同じように仲良くなれると思った?」
サシャは自分の気持ちを認め、僅かに頷いた。
「ロマナと結婚したら、彼女を、理解できると思っていた」
けれど、サシャはロマナを理解できなかった。
挙げ句、俺とロマナが家を抜け出し、密会していた……ように見てしまった。
結果、サシャは我を忘れるほど怒ったのだろう。
「俺がサシャを理解できないように、サシャも俺を理解できないんだ。別々の思考を持った、他人だから」
「他人、か」
「そう、他人。理解できない部分ばかりだし、一緒に生きられないんだ」
幼少期から服も、食べ物も、教育や愛だって、同じ分だけ与えられてきたのだ。
同一の存在だと勘違いするのも、無理はない。
「俺、サシャのこと、嫌いじゃないよ」
「俺は……」
「嫌いでしょう?」
サシャは黙り込む。図星を突いてしまったからか。
「嫌いなわけないじゃない」
なぜか、アニャが答える。
想定外の見解だったので、思わず振り向いてしまった。
「お兄さんは、イヴァンのことが大好きなの」
「えー、大好きな弟を、顔の判別ができなくなるまで殴る?」
「それは、反省すべきことよね」
サシャは改めて「悪かった」と謝罪した。
「俺を、同じくらい、殴ってもいい」
「え、嫌だよ。手、痛くなるし。サシャも、痛かったでしょう?」
「痛かった」
痛いのは手だけではない。心も痛んだだろう。
教会に閉じ込めたと母は話していた。相当長い期間、謹慎していたに違いない。
「お前とは、もう、会わない」
「どうして?」
「他人だから。それに、会いたくないだろう?」
「うーん、会いたいかと聞かれたらそこまで会いたくないけれど、永遠の別れは寂しいかも?」
サシャは目を丸くし、それから、深く頭を下げた。
何やらポロポロと、光り輝くものが落ちていったが、気づかないふりをしておこう。
背を向け、サシャに声をかける。
「サシャ、元気で」
「あ、ああ」
「またね」
サシャがどういう反応をしているかわからないが、背中越しに手を振った。
そのまま、立ち去る。
ミハルの、「おい、俺を置いていくな!」という叫びが聞こえた。
振り返らずに、「捕まえてごらん」と言って、アニャと一緒に走る。
不思議と、清々しい気分だった。




