養蜂家の青年は、家族と対峙する
「待って、待って。サシャの顔、めちゃくちゃ怖い!」
「イヴァンと同じ顔だよ」
「いやいやいや、酷いよミハル! 俺、あんな悪魔みたいな顔付きなんてしないでしょうが!」
「腹減っているときのイヴァン、わりとあんな感じだけれど」
「知らなかった!」
普段、自分がどんな表情をしているのか、案外知らないものだなとしみじみ思ってしまう。
と、ミハルとほのぼのと会話している場合ではなかった。
「ミハル、悪い。俺、アニャと一緒に逃げるから!」
「ちょっ、待てよ」
「待てない」
立ち上がって逃げようとしたら、すぐ後ろにアニャの姿があった。驚いた表情で、やってくる兄達を凝視している。
「イ、イヴァン、気のせいかもしれないけれど、イヴァンに似た人が、やってきているの!」
「アニャ、あれ、俺の兄さん達」
サシャは双子の兄なのでそっくりなのはもちろんのこと、五つ年上の兄ミロシュも結構似ていると言われていた。
「お兄さん、達?」
「そう。目つきが悪いほうが双子の兄サシャ。背がヒョロッとしているほうが、ツィリルの父親でもある、ミロシュ」
「ふたりとも、イヴァンにそっくりだわ。それにしても、ツィリルのお父様、若いのね」
「結婚が早かったからね。十六か、十七の頃だったかな」
なんて話をしているうちに、ふたりの兄達がたどり着いてしまった。
思わず、ミハルの陰に隠れる。
ゆっくりと歩いてきたので、とっちめるつもりはないのだろう。
わかっていても、真っ正面から向き合うつもりはなかった。
「イヴァン……」
先に声をかけてきたのは、ミロシュのほうだった。遠慮がちな、声色である。
「イヴァン、少し、話をしたい」
ツィリルの件だろうか?
それとも、家を出たことについてなのか。
どちらにせよ、直接話をするつもりはない。
何か不都合があれば、この前やってきたマクシミリニャンに伝えていたはずだ。
「イヴァン、悪かった。反省している。だから、少しだけ、家に戻ってきてくれないか?」
「いや、お兄さん、そのお願いはあんまりにも勝手じゃないっすか?」
ミハルが責めるように言う。今まで聞いた覚えがないくらいの、低く鋭い物言いだった。
「他人の家の事情にああだ、こうだと口を出すのはどうかと思っていたんだけれど、あまりにも酷いから、言わせてもらいます。イヴァンはずっと、文句も言わずに、ひとりで頑張ってきました。仕事をたくさん押しつけられても、へとへとになって帰ったのに夕食がなくても、寝床が甥や姪に占領されても、一度も誰かを憎まなかった。そんなイヴァンを、お兄さん達は、本当に愛していたんですか? 出て行くまで、便利な存在って、思っていたでしょう?」
ミハルの指摘に、ミロシュは黙り込む。図星だったからだろう。
実際、俺は家族にとって都合がいい、便利な存在だった。
「イヴァンがいなくなって、蜂蜜の品質が落ちたから、戻ってきてもらって、またこき使おうとか、考えているのだろうけれど、甘すぎる!」
「ち、違う。これからは、俺達も一緒に働いて、いい、蜂蜜を作りたい」
ミロシュは言う。自分達だけでどれだけ頑張っても、以前のような蜂蜜はできなかったと。
「イヴァンが、必要なんだ……。これまでのことは、謝る。だから――」
深く深く、頭を下げた。
家族は皆、同じ思いだという。俺に、帰ってきてほしい、と。
「戻ってきてくれるのであれば、養蜂園の半分を、イヴァン、お前に渡すと、兄達は話していた」
「そっか。みんな、そこまで、考えてくれていたんだ」
アニャとマクシミリニャンを連れて、暮らせばいい。家は、新しく用意しよう。
なんて、これまでにない待遇で迎えてくれるようだ。
アニャを振り返る。顔を伏せ、こちらを見ないようにしていた。
たぶん、誘っても街で暮らすことはないのだろう。
山での生活が、大事だから。
さらに、引き留めるつもりは、さらさらないのだろう。アニャは、そういう女性だ。
俺という存在を強く望む家族と、逆に望まないアニャ。
対照的だった。
「おい、イヴァン!!」
ミハルが怒りの形相を向け、しっかりしろと怒鳴りつける。
わかった、わかったと、ミハルを抱きしめた。
「お、お前、ふざけたことしやがって!」
「いや、怒っている人には、これが一番なんだよ」
マクシミリニャンがそう言っていた。ミハルは「優柔不断なお前に怒っているんだ!」と叫んでいたので、はっきりと気持ちを伝えることにする。
ミハルから離れて、まっすぐミロシュを見つめた。
「俺、兄さん達の待つところに、帰るつもりはないよ。帰るべき家は、山の上にあるから」
「なっ……!?」
「兄さん達は、大丈夫だよ」
「な、何が大丈夫なんだ。養蜂園は、壊滅状態なのに」
「俺だって、最初から何もかも、上手くできたわけじゃない」
世話に失敗して、巣箱の蜜蜂を死なせてしまったのは一度や二度ではない。
餌やりを失敗して、まずい蜂蜜を作った覚えもある。
「何回も何回も失敗して、反省を繰り返して、やっと上手くできるようになったんだ。兄さん達も失敗を重ねて、試行錯誤したら、おいしい蜂蜜を作れるようになる。俺の手なんて借りずに、自分達だけで頑張ってみなよ。まだ何もしていないのに、できないだなんて言わないで」
ここで、水切りをしていたツィリルがやってきた。
「父さん! どうしたの?」
「あ――」
さすがに、子どもの前では食い下がることもできないのだろう。
何か言おうとしていたが、口をぎゅっと噤む。
「ツィリル、来年は、おいしい蜂蜜を作れるよな?」
「うん、頑張る! 今年は上手くいかなかったけれど、同じ失敗をしなかったら、蜂蜜はおいしくなるはずだよ。最高の蜂蜜ができたら、イヴァン兄のところに送るから」
ツィリルの言葉を聞いたミロシュは、ハッと何かに気づいた表情を浮かべていた。
何事も、失敗を積み重ねて成功を得る。
最初から、上手くできる人なんていないだろう。
「そう、だな。そんな簡単なことにも、気づいていなかったなんて……」
もう一度、ミロシュは頭を下げ、謝罪した。すまなかった、と。
そんなミロシュに、ミハルは優しい言葉をかける。
「イヴァンの兄さん、もしも困ったことがあったら、うちの親父に相談すればいいよ。仕事、いろいろあるだろうから」
「……ありがとう」
満足したのか、ミロシュはツィリルと共に帰っていった。
「イヴァン!!」
アニャが体当たりするように、背後から抱きつく。
「どわっ!!」
危うく、つんのめって倒れそうになった。
アニャ、強い娘……!
「よかった。イヴァン、家族のもとに帰るんじゃないかって、心配で」
「ごめん」
よほど、優柔不断な態度に見えたのか。
ミハルが怒るくらいだったので、アニャは相当不安な気持ちになっていただろう。
「さっきも言ったけれど、俺の帰る場所は、山の上にある家だから」
アニャは返事をする代わりに、ぎゅっと抱きしめてくれた。
ホッとしたのもつかの間のこと。
腕組みしたサシャが、残っていた。
「うわ……」
ミロシュやツィリルと一緒に帰っていたと思っていたのに。