ナニかがいる。
ある夏の日、俺は過労で倒れた。
どの町にも大抵ある所謂、市民病院と言う奴に運ばれた。
本当は個室が良かったんだが金もないから4人部屋での入院生活となった。
最初の2日は食欲もなく、あまり御飯が食べられず24時間点滴と言うのをしていたが、正直、俺の頭はボーっとしていてあまり覚えていなかった。
3日目にになってようやく頭がハッキリしてくると、仕事を休んでいる事にゾッとして気が付いたら会社に電話を掛けていた。
電話に出た相手はAさん。
丁度同じグループだったのでこちらの現状を伝えると、電話相手が部長に変わった。
「過労か・・・まぁ、労災は下りると思うが、そんなに仕事がきつかったのなら打ち明けてくれ、でないと私も困るんだよ」
そんな感じで非難されそうになったので課長には詳細を伝えていたが取り合って貰えず人手も納期も無茶振りだらけである事を伝えると電話越しでもわかるくらい部長の雰囲気が変わった。
「ふむ、すまなかった。その件はこっちで少し調べておくよ。
君は暫らく療養していてくれ」
部長はそう言うと電話を切った。
・・・
あの課長も年貢の納め時か・・・
こんなにあっさり話が通るとは・・・もっと早く部長に直接相談すればよかったか?
そう思ったが、俺が過労で倒れたからこそ部長も動いたのかもしれない。
課長には散々言っていたから、責任の擦り付け合いにでもなるのかな?
まぁ、今の俺には関係ない。
暫らくのんびり休んで体を直すとしよう。
そう意気込んで休んでいたが、やる事が無さ過ぎる。
5日目にもなると24時間点滴も終わり、ベットでゴロゴロするのにも飽きてきた。
「暇だな・・・」
そうポツリと独り言を零すと、隣から返事があった。
「ですよねぇ」
間仕切りになっているカーテンを開けると、隣のおじさんが俺に手を振って来た。
「こんちは、お隣さん」
「こ、こんにちは」
それがサイサキさんとの初コンタクトだった。
その後も暫らくサイサキさんと話していると、向かいのベットから「うるさいなぁ~」と若い声が聞こえた。
「おっとすまんね」
そう言ってサイサキさんがカーテンを開けると、斜め向かいのベットには高校生くらいの少年が居た。
「す、すみません」
ゲーム機で遊んでいた少年は急に畏まって謝った。
なんという内弁慶だ。
「少年も暇なら話でもしないか?」
そう言ってサイサキさんは少年ことミドリカワくんも仲間に引き込んで話し始めた。
まぁ、最初は無難な時事ネタから始まるが年齢は違えど男3人が話し出せば自ずと下ネタになり易く、そして夏であれば怪談になる事もある。
「知ってるか?
この病院にも怪談があるんだぜ?」
そう話し始めたのはサイサキさんだ。
なんでもこの病院のある場所では何かが見えるらしい。
だが、その何かは人によって違うようで殆んどの場合は人間に見えるとの事。
ただ、人間に見えても人によって人数が違っていたり、年齢・性別・体型もバラバラらしい。
そしてそれらが見えてしまうと数日の内に亡くなる。
と言うよくある怪談話だった。
俺はうそ臭さ満点の語りに吹き出しそうになったが、ミドリカワくんは本気で怯えているようでカタカタ震えていた。
怖がりなのかな?
そんな感じで話が怪談話の流れになったので俺も知っている怪談話を1つ話すと、ミドリカワくんが怖がって布団を被って隠れてしまったのでやり過ぎた事を謝り、その場はお開きになった。
まぁ、その後も2人とはそれなりに話をするようになり、俺も少しずつ体調が良くなって来たので院内でのみ散歩の許可が下りた。
俺は久しぶりに1階に下り院内のコンビニで缶コーヒーとタバコ・・・は無かったので代わりにスナック菓子を買った。
そのままエレベーターで戻り、病室に戻ろうとすると廊下で固まっているお婆さんを見付けた。
何をやってるのかな?と思ってみていたが、時々震えるだけで全く動かなかったので声を掛けてみる。
「どうしましたか?」
「ひぇっ?!あ、あぁ?誰?」
「驚かせてしまったようですみません。私は向こうの方の病室に入院している者ですが、どうかしましたか?」
「い、いや、あ!そうだ。
あんた、あそこに2人組の男が見えるだろう?
あそこから退くように言ってくれないかい?」
そう言って廊下の突き当りを指差す老婆だが、俺には何も見えなかった。
「お婆さん。誰もいませんよ?」
「はぁ?あそこにいるじゃないか!」
俺の言葉に心底驚いているような声を上げて反論してくるが、何度見ても何も見えなかった。
「いや、何も見えませんけど?」
「ちゃんといるじゃないか!どこ見てるんだい!」
急に怒鳴って来たが、俺には何も見えなかった。
「いや、誰もいませんよ?」
そう言うがそれでもいると言う老婆に俺は折れて「じゃぁ、あの突き当りまで行きますから見ててください」と言って廊下の突き当りまで歩き、これ見よがしに突き当りの壁を叩くとそのまま戻って老婆に話す。
「ほら、誰もいませんでしたよ?」
そう言うと老婆の顔色は青くなり、震えだした。
なんかヤバいんじゃないか?
そう思っていると丁度看護師が通り掛かり、老婆の事を伝えると看護士は老婆に声掛けし、嫌がる老婆を連れて突き当りの横の部屋に老婆と一緒に入って行った。
次の日、病室から運ばれる老婆を見てしまい、看護師に聞くと亡くなったと言われた。
昨日話していた人間が死んだ。
その事実は少なからず俺には衝撃だった。
ショックを受けた俺は1人で溜め込んでおける訳もなく、サイサキさんとミドリカワくんにその事を話すと、サイサキさんは「そのお婆さん、認知症だったんじゃないかな」と言った。
「認知症?」
「あぁ、簡単に言うと物事を認識できなくなったり、覚えておくことが出来なくなる症状の事だよ。
人によっては聞こえない声が聞こえたり見えない何かが見えたりするらしい」
その言葉にゾッとした。が、
「まぁ、洋式便器を昔の手洗い場の甕と勘違いして手を洗っちまう事もあるらしい」
「「「ははは」」」
そんな落ちを付け、3人で笑ってしまった。
そんな感じでなんだかんだで話は流れた。
それから3日程すると、会社から電話が掛かってきたので慌てて談話室へ向かい電話を取ると部長からだった。
「すまんな、どうも課長の奴が君等に対して不当な扱いをしていた様だ。
君以外にも何人か不当な扱いをされていた者がいたので昨日あった重役会議で課長の懲戒解雇が決まった。
本当に申し訳なかった」
そう言った内容の謝罪だった。
俺は部長の言葉を受け入れ、内心あの課長から解放される事を喜んだ。
心も軽くなっり、談話室から出ると例の老婆が立っていた場所に今度は女性が立っていた。
その女性は老婆と同じく、時々震えるが動こうとしない。
俺は気になったので声を掛ける。
「すみません、どうしました?」
「え?あ、すみません」
「何かお困りですか?」
「いえ、別に困っては・・・あー、その、あそこに女の子がいますよね?」
そう言って女性は先日老婆が指した突き当りの壁を指差しをする。
・・・
「いえ、誰もいませんよ?」
俺は老婆の時と同じように廊下の先の壁を見るが女の子どころか誰も見えない。
「そんな・・・、本当に見えませんか?」
そう言って壁の方を再度見た女性の顔色が一気に青褪める。
「え、えぇ、誰もいませんよ」
俺の言葉に体を震わせると女性は「す、すみません、体調が優れないので病室に戻ります。変な事を言って申し訳ありませんでした」と言って足早にその場を去って行った。
残された俺はジットリと嫌な汗をかいていた。
そして2日後、その女性が急変してICUに運ばれたが、治療の甲斐なく亡くなった。
何かある。
あの場所には何かある。
訳もわからず病室のベットで布団を被って震えているとサイサキさんが声を掛けてきた。
「どうしたの? 何かあった?」
サイサキさんに老婆に続いて同じ場所で同じような事を言った女性が無くなった話をすると、サイサキさんは面白いものを見付けたと言ったような顔をしてこう言った。
「ミドリカワくんも誘ってその場所、じっくりと見てみようよ」
俺はとてもそんな気分にはなれず、躊躇しているとサイサキさんが丁度病室に戻って来たミドリカワくんを捕まえて事情を話してしまった。
最初は嫌そうな顔をして行く事を拒否していたミドリカワくんだったが、「怖いの?」と言うサイサキさんの軽い挑発に引っ掛かり行く気になってしまった。
サイサキさんは嫌がる俺を宥めすかして例の場所に辿り着く。
「それでどの辺だい?」
そう言われたので俺は廊下の突き当りの壁を指差す。
「あっちね、へぇー・・・」
そう言って何かを言い掛けたサイサキさんの声が途中で止まる。
暫らく待っても続きが無いのでサイサキさんの方を見ると目を見開いていた。
「サイサキさん?」
「え?!あ、あー、あそこ、いるね・・・」
そう言って指を指す。
俺はそちらを見るが何も見えない。
「やっぱり何も見えませんよ」
そう答えるとサイサキさんは顔色を青くさせ、頬を掻く。
「参ったね。作り話だったのに本当だったとは・・・」
そう言って固まってしまう。
何かある。
あそこには何かある。
そうしてふとミドリカワくんの方を見ると、彼は冷や汗をかいていた。
「君も何か見えるの?」
そう聞くとミドリカワくんはビクッと飛び跳ね首を横に振るが、壁の方をじーっと凝視している。
・・・彼にも何か見えているのか?
きっと見えているのだろう。
俺は2人に努めて明るい声で病室に戻る事を促し、その場を離れた。
次の日、サイサキさんと連れだってコンビニに行こうとするとサイサキさんが青い顔をして固まる。
突き当りの壁に何が見えるのか。
いや、誰が見えるのか。
気味が悪いとは思うが聞かずにはいられない。
「また何か見えてるんですか?」
「ふ、増えてる」
「はぁ?何が増えてるんですか?」
「・・・気分が悪くなって来たから、病室に戻るよ。すまない」
そう言ってサイサキさんは震えながら病室へと戻ろうとするが、俺も心配になって来たのでサイサキさんに付き添って病室へと戻った。
病室に戻ったサイサキさんの震えは止まらず、「看護士さん呼びましょうか?」と聞いても「いや、大丈夫」と言われてしまう。
原因は明らかに突き当りの壁で見たものだろう。
気になる。
怖いけど気になる。
この時、俺の好奇心が恐怖心を上回る。
「サイサキさん。さっきの場所で何が見えたんです?
誰にも言いませんから、教えてください」
そう言って聞いてみたが中々教えてはくれず、あの手この手で何とか聞き出すことに成功する。
「あそこにかみさんがいたんだ」
「サイサキさんの奥さん?」
なんで?そう聞こうとすると、
「ああ、1年前に死んだんだけどね。
何故かあそこにいるんだよ。
それも物凄い形相で俺の方を恨めしそうに睨んでた」
俺の背筋に冷たいものが走り抜ける。
だが、サイサキさんはずっと震えっぱなしだ。
「はは、それでさっき増えたって言ったの覚えてる?」
「え?えぇ・・・」
力ない笑顔・・・いや、泣き笑いのような表情でサイサキさんが先を話す。
「実は、さっき凄い形相で睨んでるかみさんの横に・・・
死んだはずの弟が、恨みがましい顔でこっちを見てたんだ」
そう言い終わるとサイサキさんは顔を背けてベットに突っ伏した。
ゾッとした。
ゾッとしたが、それ以上に悪い事を聞いてしまったと申し訳ない思いに駆られる。
なんとも気不味い雰囲気に耐えられず俺もベットに潜り込む。
そして2日後、サイサキさんが亡くなった。
この病院には何かがある。
いや、何かがいる!
サイサキさんが亡くなった後、ミドリカワくんは布団を被りずっと震えている。
そして俺とも殆んど喋らなくなった。
俺も病室から出るのは最小限になり、病室から殆んど出なくなった。
そんな感じで怯えながら生活する内に俺の身体もだいぶ良くなり、担当医から明日退院と言われた。
やっとこの病院からオサラバできる。
お祝いに缶コーヒーを飲もう。
そう思い、エレベーターに向かうと、例の老婆がいた廊下の突き当りに人影が見えた。
「・・・課長?」
そして俺は固まった。