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殿下の全力














パリンという音と共にグラスだったものは使い物にならなくなった。



「デジャヴかしらリュカ様、そんなショックだからと言ってグラスを割るのはおやめになってくださいな」

「すまない…」



今日のグラスは落とすことなくヒビが入るにとどまった。胸がムカムカとしてつい力が入ってしまったのだ。グラスにはすまないと思っている。


オーウェンなる人物は端正な顔立ちにすらりと長い足、金色の髪は遠目に見ても彼女の好きなサラサラとした髪質であることは間違いない。周りのご令嬢がちらちらと彼を気にしている様子は上にいる私たちからでもよく見て取れる。

美しく着飾った彼女の隣に立つのに似合いの男であるのは認めざるをえなかった。




「エミリー嬢、姉上を呼び出すことは可能かな」

「もちろんそのつもりですわ。この部屋になさいます?それとも裏庭にいたしましょうか?」

「この部屋にお願いするよ」

「リュカ様……姉が来たら部屋の前で待機させていただきますので肝に命じてくださいませ、と言いたいところですが私はオーウェン様を引きつけておかねばなりません。わかっていただけますね?」

「…君の信頼に応えると約束するよ」



リュカとてなにも既成事実に持ち込むつもりはない。だがあの二人を見た今気持ちを完全に抑え込む自信もあまりないことは黙っておいた。



腰に回された手


微笑み合う二人


ダンスはもう踊ったのだろうか




自分の立場が王子なんてものでなければ怒鳴り込むまではしなくとも割って入って彼女を攫ってしまいたい。

彼女は怒るだろう。僕が王子らしからぬことをするのを彼女は嫌うから。

彼女はいつだって僕のために怒る。

他の誰が言えないようなことも堂々と正面から伝えてくれる。

そんな彼女の代わりなど誰もいない。



(手放すものか)



彼女のような存在がどれだけ貴重なことか彼女はわかっていない。彼女以外がそのように振る舞うのを許すことだってしない。















エミリー嬢が部屋を出てしばらくするとコンコンと控えめなノックが部屋に響く。エミリー嬢の「ここよ」という声も聞こえた。

僕はゆっくりドアの方に振り返る。

彼女が入ってきた。






「…ここでなにをされてるのです」






彼女の目が大きく見開かれる。

きっと彼女はこの後怒るだろう。ここは城ではなく侯爵邸の一室だ。

人様の屋敷の一室で男女が二人きりなど悪い噂の火元になる可能性しかない。さらに言えば今夜の夜会に僕は表立って招待をうけたわけでもない。

彼女がわざわざそういう夜会を選んでいたのだから当たり前と言えば当たり前。父上の名前を使って呼び出し怒らせたばかりだというのに今度は妹をダシにしたのだから当然と言えば当然だ。

それでも今夜は彼女と話をしなければならない。







「何か僕に言うことがあるだろう?」







なりふり構うつもりはない。

先程見せつけられた光景が瞼に焼き付いている。

いつもと違う僕の様子に彼女は珍しく言葉を飲み込んだ様子で身をかたくした。



「彼は君の持っていた絵本の王子様に似ているね」



彼女の指がぴくりと動いた。



「貴方には関係ありません。このような場所に呼びつけてどういうつもりですか」

「引き止めに来た」

「な、にを…」



僕は彼女の目の前まで一気に歩み寄る。

彼女は一歩下がろうとしたけれどそうさせないようにぐいっと腰を引き寄せた。



「やめて!」

「なんで誤魔化そうとするの?」



片手は腰にもう片方で彼女の顎を掴みうつむかせないようにする。彼女のこんなに焦った表情を見るのは初めてかも知れない。当たり前か、こんな強引なことをするのは今夜が初めてだ。



「僕の婚約者は君だよ、ずっとずっと前から」

「なにを言っているの?私なんてただの婚約者候補の一人じゃない…それに私は貴方には相応しくないと言ったでしょう?私は貴方に酷いことばかり言ってしまうのよ、知っているでしょう?治らないの!貴方のためにだってならないのよ…私の前では貴方はいつも昔の貴方になってしまうじゃない…みんなの前では立派な王子様なのに…」



彼女は身をよじる。

もちろん男女の力の差は歴然。

無駄な足掻きでしかない。

彼女からすれば“それ”が治ってもらっては困るなんて思いもしないんだろうな。

僕が必要なのはそんな彼女だ。それが愛おしくて仕方ないのに彼女はてんでわかっていない。

学院を卒業して再会した時、僕は彼女に成長した僕を見て欲しくて他人の前でいるような“正しい王子様”の態度を取った。すると彼女はこちらに目を向けることもなく立場をわきまえたご令嬢の態度で僕に接した。あの他人行儀な態度にどれだけ傷ついたかきっと彼女は知る由もないだろう。

懐かしい、苦い記憶。






「君の前でも王子様でいろというならそうするよ」

「…え?」

「直すから、僕の側にいてくれ」





僕は淡々と言ってのけた。

君の知っているリュカが気に入らないなら彼を殺そう。それで君が側にいてくれるなら僕はそうする。




「君の憂いは取れたかな?」

「…なんで」




なんではこちらのセリフだよ。




「ノア、なんて顔してるのさ」




なんでそんなに傷ついた顔するの。

なんで泣きそうになってるの。




「…リュカのバカ…」

「悪いけど僕は主席卒業だよ」





「リュカのデブ…」

「もう太ってないよ、これでも毎日鍛えてる」




「ならもう貴方に言うことなんてないわよ」

「僕はあるよ」





懐かしい。

でも今の僕は昔とは違う。

僕は彼女の顎から手を離し両手で彼女を抱きしめた。

ノアは顔を真っ赤にさせて逃げようと身をよじるけれどそれは許さない。



「確かに僕はグズで太ってたし頭も悪いと君に毎日言われた。でもそれは君からだけじゃない、周りがみんなそう囁いていたことなんて知ってる。面と向かって言ってきたのは君だけだけど。かけらも期待されなかった僕の妻になるんだと君は信じて疑わなかったね。僕に変われと言いながら君は隣で見守り、時には一緒に努力し励ましてくれた。学院に入ってからは会えず遠くにいる君に迷惑をかけないよう自分でも欠点を探して克服するようになった…けれど再会したと同時に君は僕に何も言ってくれなくなった」



彼女の動きが不意に止まり、力を抜いたのがわかる。

腕の中の彼女はもう抵抗することはない。



「怖くなったよ…だから君の前ではまだどこかダメな僕でいようと思ったんだ。それでも君は僕から距離をとった。呼び出してもお茶会くらいしか来てくれないし、そのお茶会も君は友人と話して僕には目もくれなかった。そのうち姿を見ないと思えば他の男と庭園の奥で密会するようになったし…ましてやその男は君が嫌いだったはずの太った男だ。彼は良い人だったけれどあの時のショックったらないよ。血迷って太らなければと暴飲暴食に走り胃を壊す始末。でもあれは君がお見舞いに来てくれたから嬉しかった。あの時の君は昔のように僕を叱ってくれた。」



腕の中でもぞりと彼女が俯く。

ようやく彼女が遠慮がちに口を開いた。




「叱られて、嬉しいなんて…貴方はやっぱり馬鹿なのよ…」

「そうかもしれない。でもね、ノア。僕が変われたのも、認めてもらえるようになったのも全て君のおかげなんだよ。」





本当に辛かった。




知らない大人たちから腫れ物扱いで失望される日々、期待に応える術を知らない僕にとっては掌から砂がこぼれ落ちて行く様な絶望。大人たちの目が日に日に冷めていくあの感覚。





「君は覚えてる?君は何を言った日もいつも必ず最後に“わかってるの?貴方は私の旦那様になるのよ!”って言ってたよね」




小さい頃のノアを思い出すだけで嬉しくなる。可愛くて勇ましい小さな女の子。

腕の中の成長した彼女は頬を濡らす程度に泣いていて、背中をさするとほんの少しだけ肩が震えた。






「僕の奥さんになると信じてくれてありがとう」





どれだけ救われたかわかるかい?

僕の居場所は常に君の隣にあったんだ。

見放すことなす、寄り添ってくれた君は昔からどこの誰よりもとっくに僕の奥さんだった。



僕は彼女の頬を伝う涙を指で拭ってやる。そうして彼女の両手を握りしめて彼女の前に跪いた。





「どうか僕と結婚してください」














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