07.名前
「そう言えば、まだ名前教えてなかったよな?」
「ぶ?」
私を抱き上げて、歩くことしばらく。
ふと男の子が思い出したように呟いた。
確かに、言われてみれば私は彼の名前を知らない。
ずっと男の子って言ってた。
言葉が直接伝わらないと、なかなか名乗るって発想にならないよね。
私だって、近所の猫ちゃんに会った時に名乗ってたかって言われたら、あんまり思い出せないけど、名乗ってなかったと思う。
撫でたりするのに必死だったし。
「俺はロインって言うんだ。お前は…名前があったところで、分からないか」
文字が分かれば、何とか地面に書いて教えてあげられただろうけど、じゃあどの名前を教えるのかって問題もある。
エミリーちゃんにはベルって呼ばれてたから、ベルって名乗るべきなのかもしれないけど、今も感覚的には双葉だから、自分から名乗るにはちょっと抵抗がある。
「そうだな…俺が付けても大丈夫か?」
「ぷう!(はい!)」
変に頑張って伝えようとするよりも、ロインくんに付けてもらった方が良いような気がする。
私はロインくんの問いかけに、元気良く頷いた。
結局喋れないから、抵抗したところで、同じ結果に終わったと思うけど。
もしくは、豚って呼ばれ続ける。
…どっちも勘弁してほしいから、これで良いよね。
「と言っても、俺は名前なんて付けるのは得意じゃないからな…」
ロインくんは、そう呟くと考え込み始めてしまった。
ひと言も話さないで、真剣な表情のまま歩いて行く。
抱き上げられてる状態の私は、気が気じゃないんだけど、ロインくんは木々の合間を上手に縫って歩いていて、ぶつかることはない。
うーん、器用だ。
「…豚足…」
「ぶっ!?」
考え込むロインくんを見上げていたら、何だか不穏な単語が聞こえて来た。
今は、私に付ける名前を考えていたはずだけど、いつの間にそんな、食べ物の話になっていたのだろうか。
まさか、名前の案じゃないことを祈っている。
「なぁ。豚足って名前はどう…」
「ぶぶぶぶぶぶ!!!!(嫌です嫌です嫌です嫌です!!!)」
「そ、そこまで嫌がらなくても…」
全力で首を横に振ると、ロインくんはちょっと残念そうに眉を下げる。
折角付けてくれようとしているところ申し訳ないけど、それだけは断固として拒否させてもらわないといけない。
そうじゃないと、私ペットじゃなくて非常食扱いになっちゃうだろうし。
それは嫌だ、響きも嫌だけど。
首を横に振るまくる私に、ロインくんは再び悩み始める。
可愛くなくても良いから、せめてもう少しペット的な名前にしてもらいたい。
「豚丼…」
「ぶぶぶぶぶ!!!!」
「ん?嫌がってるってことは…お前、豚丼なんてマイナーな料理知ってるのか?」
「ぶ?」
ロインくんが、私が嫌がっていることに驚いている。
あれ、普通に反応しちゃったけど、もしかすると、この世界では普通豚丼なんて料理知らないんだろうか。
変な反応を見せてしまっただろうか。
緊張から身体を硬くしていると、ロインくんは首を傾げる。
「何処か遠くの島国だけに伝わる、独特な調理法って聞いてたけど、意外と有名なのか?それとも、お前が博識なだけか…」
「ぶぅ」
「動物は人の気持ちに敏感って言うし、俺が食べ物って思いながら言ったから、嫌がったってだけだよな。きっと」
ふっと笑って、ロインくんは私の頭を撫でてくれる。
そうです。
私は至って普通の子豚さんです。
変な化け物みたいに思って、退治したりしないでください。
「だとすると…ポチ?」
「ぶぶっ!?」
「これも嫌か?困ったな。…昔、知り合いがペットに付けるなら絶対ポチって言ってたから、良いかと思ったんだけどな」
別にポチは嫌じゃない。
ただ、ロインくんの口から「ポチ」だなんて日本人が付けそうな名前が出たからビックリしただけだ。
ロインくんは、話してる内容からして日本人ではなさそうだけど…豚丼と言い、ポチと言い、昔の知り合いが日本人なのかな…?
興味はあるけど、今は結局聞くことも出来ない。
とりあえず、記憶の片隅にでも入れておこう。
「あとはもう思いつかないぞ。お前は…メスか。なら、知っている女性の名前…」
ひょいと身体の向きを変えられて、何ごとかを確認される。
何ごとを確認されたのかについては、気にしないでおく。
気にし始めたら、生活出来なくなってしまう。
今の私は、乙女でも女の子でもない。
ただの子豚だ。
それで済ませるのだ。
「……リチア……」
ポツリと、今までで一番良さそうな名前が出てくる。
これは良い!と思ったんだけど、ロインくんの表情は優れない。
苦しいのか、痛いのか、辛いのか、良く分からないけど、あまり良い感情ではないように見える。
私は反応に困って、そっとロインくんの様子を窺う。
少しだけ間が空いてから、ロインくんは優しげに笑ってくれた。
ただ、苦しいのを押し込めたような、痛々しい笑顔だったけど。
「これは未練がましいな。やめておくか」
「ぶう…」
「ん?心配してくれるのか。ありがとう」
わしわしと頭を撫でられる。
少し力が強い。
ロインくんは、思いがけず今の名前を呟いてしまったみたいだった。
よっぽど特別な人の名前なんだろう。
未練がましいって言うと…恋人?
でも、そういう感じでもないか。
だとすると、元カノとか…片思いの相手とか…もう死んじゃってるとか?
想像すると私まで哀しくなって来る。
私の人生なんて、この世界に来たことを除けば、平平凡凡なものだった。
もし私の想像するようなことがロインくんの身に起きたのだとすれば、やっぱりイケメンと美人は違う。
私みたいな凡人に比べて、大変な運命を背負ってたりするんだろう。
「ぶいぶい(大丈夫だよ!元気出して!)」
「ふはっ…くすぐったいぞ」
ぐりぐりと、頭をロインくんの頬辺りに擦りつける。
人間の姿だったら、随分とはしたないけど、今は豚だ。
何を気にすることがあろうか。
「…そうだな。お前にリチアは似合わないな。もっと良い名前があるよ」
どういう意味だろう。
…まぁ、相手は豚だからね。
よっぽど綺麗な人の名前だったら、私もそう思う。
でも、女子としてちょっとそれはそれで傷付くと言うか…。
いやいや、此処に女子はいない!
いるのは子豚が一匹!
「けど、俺じゃあこれ以上思いつかないな。俺はこれから冒険者ギルドに所属しようかと思っているんだ。そこにはたくさん人がいるだろうし、センスの良さそうな人を見つくろって、幾つか案を出してもらうことにするか」
「ぶぅ」
冒険者ギルドって何だろう。
寄り合いみたいなものかな?
良く分からないけど、たくさん人がいるのなら、豚足よりは良い名前が出てくるような気がする。
私が元気良く頷いて同意すると、ロインくんも満足そうにしてくれた。
あれだけ嫌がられて、普通なら怒ったり拗ねたりするだろうに、ロインくんに気にした様子はない。
なんて優しい人なんだろう。
私も見習わなきゃ。
「そうと決まったら、早く街に行かないとな」
「ぶいっ!」
こうして、結局名前は付かないまま、ズンズンと森を進んで行くのだった。
子豚「ぶぶぶーいぶいぶいぶぶぶぶーぶぶ(区切りの問題で短かったそうです。ごめんなさい)」
ロイン「ん、どうした?お腹でも空いたか?」
子豚「ぶぶぶー(ロインくんが優しすぎて胸が痛い…)」