03.世界の管理人さんが言うことには
視界いっぱいに、暗闇が広がっている。
明かりの一つもなくて、自分の身体だって見えないような状況なのに、どうしてか、見下ろすと前足ではなく私の腕が見えた。
人間の私の腕。
懐かしくて嬉しいけど、そんな訳はないかと自嘲する。
あんな壮大な夢落ちなんて、流石にないと思う。
だからこれは、逆に今が夢なんだろう。
そう思って溜息をつくと、きちんと空気が震える音も聞こえた。
随分細かい夢だなぁ、なんて、思わず感心してしまう。
「こんにちは、聞こえますか?」
ぼんやりと辺りを見回していると、小さな女の子みたいな声が聞こえて来た。
それは、最初は遠過ぎたのか、良く聞き取れなかったけど、段々ハッキリと聞こえて来て、最終的にはちゃんと意味を持った言葉として私に届いた。
「うん、聞こえてるよ」
「良かった…」
こんな状況なんだから、警戒の一つもすべきなんだろうけど、不思議とそんな気持ちにはならない。
多分、女の子が本当にホッとしたみたいな声をしていたからだと思う。
「時間が限られているので、手短にお話しします」
「うん」
何を?とか、貴方は誰?とか、幾らでも聞くことは思いつく。
だけど私は、結局何も聞かないまま、彼女の話を聞いた。
「私はこの世界「ネダーグ」の管理人です。気付いているかと思いますが、貴女が元々いた世界とは、異なる世界になります」
手短と言いつつ、結構ちゃんと説明してくれるみたいだ。
知りたい情報は、これで得られるだろうか。
だけど、何の気なしに説明してくれた言葉で、私は既に躓きそうだ。
異なる世界って…異世界?
それって要するに、漫画とかに出てくるみたいなもの?
「うーん、混乱してらっしゃいますね。無理もありません。貴女は元々、そういったサブカルチャーには明るくないのですね…」
「えと、ごめんなさい」
ただ考えていただけの言葉に反応があった。
この世界の管理人ってことは、神様みたいなものなんだろうし、きっと私の考えを全部読んでいるんだろう。
プライバシーも何もあったものじゃないけど、今はそんなものどうでも良い。
そう思っていると、管理人さんは苦笑した。
「此方こそ、勝手にズカズカとプライバシーに踏み込んで申し訳ありません。しばらくは我慢して頂けますか?」
「大丈夫です」
「恐れ入ります」
年齢にしては、やけに言葉が硬い。
声が幼いだけで、結構大人の女の人なんだろうか?
気にはなるけど、そんな疑問は何よりもどうでも良いだろう。
私は首を軽く横に振って、次の説明を促した。
「異世界は…まぁ、物語の中の世界、とでも思っていて頂ければ」
「良く分からないけど、分かりました」
道理で、あんな兵士とか、イノシシ?の化け物がいると思った。
まさか、ヨーロッパなら居るとか、そんなことある訳ないもんね。
トップシークレットな最新の生物兵器とかだったら、あるかもしれないけど…。
「さて、それでは本題に入ります」
「うん、分かりました」
「簡潔に申し上げます。この世界は、今深刻な攻撃を受けています」
「攻撃?戦争が起きてるってこと?」
私の単純な質問に、管理人さんは軽く溜息をついた。
私の質問が、あまりにも馬鹿だから…じゃなくて、どうもそれくらいならまだ良かったんだけど、みたいな溜息らしい。
…馬鹿にされたのかと思って、ちょっとドキドキした。
「世界が成り立つ為の不文律さえ侵そうとしているのですよ」
「?ふぶんりつ…」
「本来一定の長さで終わる筈の戦争を、永遠に起こし続けようとしていると言えば良いでしょうか?それだけではありませんが…」
「えっ、そ、そんなことがあるんですか!?」
終わらない戦争なんて、怖い。
私にとって戦争は、教科書でしか知らないようなものだから、実感は薄いけど…
それでも、それが大変なことだっていうことくらいは分かる。
「ええ。そうすることで、犯人には目的があったようですが…それはどうでも良いことです。問題は、結果だけ」
戦争を起こし続けて、得るものなんてあるんだろうか?
私の弱い想像力では、被害が増えて行くようにしか思えない。
それでも、世界の戦争がなくならないってことは、私には分からないような、何か魅力みたいなものでもあるんだろうか。
…分かりたいとは思わないけど。
「貴女が、突然この世界へとやって来てしまったのも、その者の起こした事故に原因があります。巻き込まれた形ですね」
「そんな…」
「原因となった者…主犯は既に抑えてありますが、実行犯が抑えられません」
「ええ、危ないよ!?」
「その通りです。ヤツを野放しにしておく訳にはいきません。ネダーグの何処かに潜伏していることだけは掴んでいますが…」
「…見つかってないんですね」
「ええ」
管理人さんの声のトーンが沈む。
自分が面倒を見ている世界に攻撃されてて、不安じゃないはずがない。
きっと、この世界の将来を心配しているんだろう。
放っておいたら、滅びちゃうかもしれないってことのはずだし。
「そこで、貴女に頼みたいことがあります」
「何?」
ゴクリと、喉が鳴る。
私に、こんな大きな問題に関われるだけの力なんてあるだろうか?
自分で言うのもなんだけど、頭の出来は普通だし、体力とかセンスも大してないし、見た目だって多分悪くはないけど、良くもない。
そんな私に、管理人さんが頼みたいことって、一体なんだろう。
「そう緊張しないでください。貴女に頼みたいのは、物作りです」
「…物作り?」
思わず拍子抜けしてしまう。
えっと、世界が危ない!とか、そういう話から、どうして物作りに行くの?
混乱する私に、管理人さんは説明を続ける。
「私は、この世界を不必要に乱されることを望んではいません。何としても防ぎたい…。だから、ネダーグへやって来てしまった貴女達へ、それぞれ能力を与えました」
「貴女たちって言うと…」
「ええ。貴女以外の方も、かなりの数が此方へ来てしまっているようですね」
と、言うことは、私の他にも日本人がいるってことだろうか?
それとも、外国人?
何でも良い。
私、地球の言葉が聞きたい。
少しだけ脱線したけど、何だか少しだけ元気になる。
「えっと、能力って言うのは…」
「貴女は昔から色々な物を作るのが好きだったようですね。そこで、貴女には特別に物作りの才能を与えました」
才能って、与えられるようなものなのか…。
管理人さんを神様と考えれば普通なのかな?
良く分かんないけど、それより問題がある。
「私が豚の姿なのは…」
「…その辺りに、私の意図は介在しておりません。不慮の事故のようなものです」
「豚の姿で物は作れるかな…?」
サラッと答えてもらったけど、解決策はない。
豚の手じゃ、何も作れるような気がしないんだけど…。
「才能と言っても、魔術…魔法のようなものです。特別な何かをする必要はありませんよ。どういったものを作りたいと考えれば、作れます。…と言っても、細かい発動条件などは、与えた私にも良く分からないので、色々と試してみてください」
神様だって、出来ないことくらいあるよね。
本当に何でも作れるんなら、私みたいな普通の子でも、誰かの役に立てるのかもしれない。
少しだけ自信が出て来た。
「因みに、人間の姿には戻してくれないの?」
「そうして差し上げたい気持ちは山々なのですが…残念ながら、それだけ大きな力を使ってしまえば、逆に私の居所が実行犯に知られてしまうので却下です」
「そ、そうですか…」
もしかして、出来ないのかな?
管理人さんでも出来ないとなると、私、もう人間の姿に戻れないのかな…。
こうして話していると、疑問が続々と沸いて来る。
手短に、と言いつつまだ付き合ってくれるみたいだし、聞いておこう。
「あと、私…というか、この世界に来ちゃった私たち、ちゃんと元の世界に…日本に帰れる?」
「…それは、」
それまで、割とスムーズに答えてくれてた管理人さんが、初めて詰まる。
これは…聞いちゃダメな話だったかな。
ということは、帰れない?
…そんなまさか。
神様だって、出来ないことくらいある。
さっきそう考えたばっかりだ。
きっと、管理人さんが知らなくても、出来なくても、何処かにはその方法があるかもしれない。
そうだ。
物を作りながら、私は帰る方法を探すことにしよう。
諦めたらダメ。
諦めた瞬間に、道はなくなっちゃう。
「分かった、答えてくれなくても大丈夫だよ。ありがとう」
「…申し訳ありません」
「それより、私は物を作ってどうしたら良いの?」
気にしてないと言えば嘘になるけど、私は無理矢理に笑顔を作った。
嘘でも、笑ってたら元気になるって、誰かが言ってた。
人間なんて馬鹿なもので、思い込めばそれが現実になるんだって。
だから、病は気からの反対みたいなものだ。
笑顔でいれば、きっと幸せな気持ちになれる。
それに、やることさえあれば、忙しさにかまけて、きっと、辛さなんて忘れられるから。
「はい。とにかくたくさん作っていてください。そうすれば、貴女は自ずと出会うべき人に出会えるはずです」
「???」
運命ってヤツかな?
ちょっと感覚的過ぎて良く分からないけど…分かったことにしておこう。
「分かった。戦わなくて良いんなら、頑張る」
「本当ですか?ありがとうございます。では、任せましたよ!」
そう言うと、管理人さんの気配が、パッタリと消えてなくなる。
もう行ってしまったんだろうか。
後にはただ、暗闇が広がるだけ。
私は、ぼんやりと考える。
そうは言っても、のんびり物作り出来るような環境にないはずだ。
寧ろ、実は死んだからこんな訳の分からない空間にいるって言われたって、納得出来るくらいだと思う。
そんな状態で、私はどうしたら良いんだろう。
思わず引き受けてしまったし、そもそも引き受ける以外に選択肢がなかったような気がするけど、だからと言って引き受けてどうするんだって言われても、さっぱり分からない。
深く考えないで頷いてしまうのは、日本人だからの美徳みたいなものだろうか。
それとも、私だからこその、愚かさみたいなもの?
出来れば、美徳の方であって欲しい。
どっちにしても、これから出る結果に影響しないんなら、せめて響きが良い方が嬉しいように思う。
「ぶいー…(はぁー…)」
深い溜息をついて、瞬きをすると、景色がグルンと変化した。
さっきまで真っ暗で何も見えなかったのに、今は小さな檻の中に入れられているのが見えた。
飼い犬が入れられるような、割と隙間は広そうな、でも出られはしないだろうってくらいの幅のシンプルな檻。
その周りには、幾つもテントみたいなものが立ち並んでいる。
それで、良く見ると何人もの兵士っぽい人が歩いていて、しかも皆が皆、あのイノシシみたいな化け物顔をしている。
間違いなく、私を…助けたんだか、獲物を横取りしたんだか分からないけど、つまみ上げたあの…人?化け物?…の、仲間だ。
色々とたくさん問題はあるけど、まずは食肉にされてなかったことを喜ぶべきだろうか。
全然嬉しくないんだけど、例えばこれが全部夢だったとしても、食肉になる最期なんて体験したくないから、良いことにしておく。
「(ま、まずは此処から逃げないと…)」
物作りをするにしても、逃げないと始まらない。
どうして一人…一匹?だけ、隔離されて檻に入れられてるのか良く分からないけど、きっとチャンスだと思う。
特に見張りもいないし、逃げるなら今だ。
…アクションみたいな経験も知識もないから、どうしたら良いか全然分からないのが難点だけど。
か、管理人さん…。
せめて、逃げ方の教授くらいは、してからいなくなって欲しかった。
助けて、とまでは言わないから。
なんて泣きごとを言っても、管理人さんは戻って来ない。
これは、私だけで何とかしないといけない。
だって、エミリーちゃんが助けに来てくれるとは思えないし、かえって、私がエミリーちゃんを助けないといけないくらいだ。
…エミリーちゃん、無事かなぁ?
ううん、無事に決まってる。
私も早く此処から逃げ出して、エミリーちゃんを探しに行かないと。
それから、物作りをして、管理人さんの指示を果たすんだ。
やってみないと分からない。
私は、時折近くを通り過ぎる人影に怯えながらも、必死で脱走手段を考え始めるのだった…。
管理人「まだ今日ですから!」
子豚「ギリギリ…ギリギリだね」
管理人「はっ…私は何を。…連日の戦いで疲れているのでしょうか」
子豚「ギリギリセーフって、急にお告げが聞こえたよ。何だろうね?」