コトドリの本当の声
世界は、暗闇に満ちていた。
私は小さな、田舎の国の王子だった。
王子と言うのもおこがましいような、本当に小さな国だった。
けれど、森に囲まれた、穏やかな国は、私にとって、とても大切な場所だった。
誇りにさえ、思っていた。
それが奪われたのは、もう何年も昔のこと。
私がまだ、幼かった頃。
大国に突如として襲撃を受け、私の国は、一夜の内にその形を失った。
私は両親と引き離され、一人何処か知らぬ場所へと連れられて行った。
せめて、国を守る為にこの命を散らせていれば、幸せだったのではないだろうかと、一体何度思ったことだろう。
悪意に満ちた瞳で見下され、意思にそぐわなければ、すぐに打たれる。
最低な日々だった。
そんな日々も、また知らない国へと連れて行かれると聞かされた時、変わるかもしれないと、期待していた。
満足な食事も摂れず、訳の分からない暴力に怯える日々も、きっと今日で終わるのだと。
けれど、そんな期待は間違いだった。
それまでは、ただ鎖で縛られていただけだったから、もしかすると、もう少し成長すれば、隙を見て逃げることも出来たのかもしれない。
しかし、引き渡された先の国王に与えられたのは、見えない鎖。
それを千切ることは、例え成長しても不可能であると思えた。
打たれた訳でもないのに、命令に背くと、全身が締め付けられるような痛みに襲われ、意識を失おうが、強制的に目覚めさせられる。
魔術で縛るだけに飽き足らず、物理的にも攻撃を受ける。
私の精神は、最早限界であった。
逃げようなどと、考えることすらしなくなった。
だから、私はその国の王子に従うようにと言われても、何とも思わなかった。
私の一族は、声真似が得意であったから、それが王子の玩具に相応しいと考えたのだろうとは思えたが、それだけであった。
いや、常に声真似をするように、魔術で縛られたことが、非常に辛いことだとも思っていた。
私にとってこの声は、最早会うことも出来ないのであろう一族を思い出して哀しい気持ちになる上に、私に残された誇りであるのに、強制的に使わされると、とても無力感に苛まれるようになるのだ。
私は、度重なる暴力や、食事を抜かれたことで空っぽになりながら、王子と出会うことになった。
またいつものような暴力が待っているのかもしれない。
今思うと、そのようなことを考えていた気がするが、私はただ命令だけを求めていた。
何かを直接命じられた方が、気楽だった。
けれど、王子は…エリオ様は、私に何もお命じにならなかった。
わざわざ命令権を自らに移して尚、大した命令はなさらない。
私は、随分と久しぶりに、痛みに怯えない時間を過ごしていた。
それでも、期待してしまえば、もしまた同じような時間が訪れた時、きっと耐えられないだろうから、私は出来る限り考えないようにしていた。
だと言うのに、辛くもない命令が来る度に、私の心はゆとりを覚え、やがては安心さえ感じるようになって行った。
もしも、安心しきったところで裏切るつもりなのならば、エリオ様は、相当な策士で、父親以上の鬼畜と言わざるを得ないと思えた。
しかし、そのような考えは、無駄であった。
エリオ様が私を、何か辛い目に遭わせるようなことは、一度たりともなかった。
時折、国王の前で辛く当たらなければならない時があれば、その後、必ず気遣うような言葉をかけてくれた。
それはとても分かりにくく、一度だけでは、私のことを使えないと、そう言っているようにも聞こえただろうが、そうではないのだ。
エリオ様は、何故か自分が悪いのだと周囲に思わせたい様子なのだが、決して国王や王妃のように、悪い人ではない。
或るいは二人に表立って逆らうことを恐れているのかもしれないが、素直に優しさを表してくれるような人ではなかった。
本当は、とてもお優しい方なのに。
エリオ様の優しさを理解した私は、それからずっと、誠心誠意エリオ様にお仕えして来た。
いよいよエリオ様が王となられる時、危うく放逐されてしまうところだったが、食い下がって、お側にいることを許された。
私を最低な日々から救い出して、挙句、自由をくれたエリオ様。
今尚、国民の殆どすべてを支配しているが故に、国王と王妃を断罪しようが、憎まれ続けているエリオ様。
味方はとても少ないが、私はずっと、味方でいるのだ。
「あ、レイ!丁度良いところに通りかかってくれたわね」
「……リュミネール、殿」
エリオ様の指示を受けて、幾つかの資料を持って行く最中、水色の髪を揺らし、明るい笑みを浮かべた女性が、声をかけて来た。
彼女はリュミネールという名で呼ばれる、間諜である。
ヘラヘラと能天気そうな表情だが、油断のならない人物である。
気が付くと、いつの間にやら会話に混ざっていたり、知らない情報など一つもないと言えるほど、耳が速かったり。
私と同じように、前国王に縛られていた身でありながら、そう感じさせないこの明るさが、私はとても苦手に思っている。
「もうっ、そう逃げないでよ。ちょっと聞きたいことがあるんだけれど」
「今でなくては、なりませんか?」
「そうね。出来れば殿下…じゃなかった、陛下のいないところで聞きたいわね」
金色の瞳が、探るように細められる。
この目が特に苦手だ、と思う。
何も言わなくても分かる癖に、わざわざ揺さぶって、余計な感情まで、引っ張り出そうとしているみたいに見えて。
「…エリオ様に急いでお渡ししなくては」
スッと目を逸らして、私は彼女を避けて目的地へ向かおうとする。
その私を見つめながら、リュミネール殿は呟いた。
「レイ。貴方、もしかして陛下に恩義を感じている?」
「?」
エリオ様の話題だと分かった瞬間、反射的に足を止めてしまった。
次に、質問の内容が頭に入って来て、理解した瞬間、答えてしまう。
「勿論です」
「そうなの」
ああ、しまったと彼女の満足そうな笑みを見た時に思った。
何でも良いから答えてしまえば、彼女との会話が続いてしまう。
関わりたくないのなら、無視して進むべきだった。
「…失礼します」
「待った待った。ねぇ、それで?どうして陛下に恩義を感じるの?」
グッと腕を掴まれ、引き留められてしまう。
無理矢理引き離すことは、出来ないでもないかもしれないが、あまり気は進まないし、わたしは溜息をついた。
「……救って頂いたからです。エリオ様は、穏やかな時間をくれた」
あまり大きな声で答えたくはない。
むやみやたらに言いふらすようなことでもないから。
けれど、恐らく答えなければ、リュミネール殿は腕を離してくれないだろう。
「でも、貴方も一応王子だったんでしょう?このままで良いの?」
「はい。もう決めましたから」
即答すると、リュミネール殿は意外そうに目を丸くした。
このままエリオ様の下に甘んじていて良いのか、という問いだったのだろうが、ついて来る一族の一人もいない王子の立場など、守る誇りがあろうものか。
「私は、最後までエリオ様にお仕えするのです」
「…そう。なら、良いのよ」
リュミネール殿は、何処か嬉しそうに微笑む。
私が、エリオ様を裏切るとでも思ったのだろうか。
彼女は頭が良いみたいだから。
あらゆる可能性を考えるのは、当然なのかもしれないが…きっと、だからこそ私は、彼女が苦手なのだろう。
可能性だけでも、そのようなこと、考えて欲しくはなかった。
「ふーん。やっぱり、物語からは逸れて来てるのね。…良い傾向だわ」
「?何か仰いましたか?」
「いーえ、何でも!それより早く行きましょう。陛下が待っているのでしょう?」
「あ、ちょっと!」
リュミネール殿が、私から資料を奪って駆け出す。
これは私が命じられたことなのだから、私がこなさなければならないのに。
慌てて後を追いかける。
…穏やかな時間など、所詮は幻のようなものだろう。
エリオ様は、分かっていて、敢えて、険しい道を行こうとなさっているから。
私の命も、いずれはエリオ様の為に散らすことになるのかもしれない。
それでも、決めたのだ。
私はあの方の為に、この身を削るのだと。
ああ、せめて少しでも。
仮初めの平穏が、続くように。
願っている。
エリオ「…資料、遅いなぁ…」