ウルシのご主人様は変人である。
わたしの主、クロード様兼ユリアナ様兼偶にブラック様は、本当に変な人だ。
「よー、ウルシ!おっはー!早速だけど、髪イジらしてー」
「はい」
貴族…しかも、公爵とか言う、国で王様の次くらいにエライ立場の人の子どもでありながら、使用人の誰より早く起きて、好き好んで使用人の髪の毛のセットをしようとする人なんて、他にいないと思う。
「いやぁ、マジでウルシの髪は触り心地最高だよな!」
「はぁ、どうも」
「おいおい、反応冷た過ぎ。俺ヘコんじゃうぜー」
「勝手にヘコんでいて下さいませ」
「絶対零度の瞳!でも分かってる!いつかデレるんだよな、ウルシ!」
大袈裟なリアクションを取る貴族も、わたしは知らない。
鏡越しに見てみると、外見だけは、普通の貴族みたいだ。
サラサラの黒髪に、鋭く赤い目。
自分にも他人にも厳しそうな雰囲気。
何処か漂う品みたいなものは、街の人にはないものだ。
特に目は、人を陥れることばかり考えていそうな、意地悪な光を湛えているように見えるが、この人の場合はまったく違う。
寧ろ、周りから陥れられそうなことばかり考えている。
外見ばかりが、まるで悪の親玉のように、美しく妖しく整っている。
本当に、ご主人様には勿体ない外見だと思う。
ご主人様は、ご両親に感謝すべきだ。
そう言えば、初めて会った日も、その外見に惹きつけられた記憶がある。
わたしは、物ごころついた頃にはもう既に一人で街中を彷徨っていた。
両親は無く、仲間も無く。
誰かの庇護を受けることを、妙に悔しく思っていたわたしは、それで構わないのだと考えながら、日ごと一人で盗みを働いて、空腹をしのいでいた。
あの日は、運悪く近くにお節介な冒険者がいた。
後にそれが、冒険者ギルド「終焉の狼」の代表、リューゾであると知るのだが、この時はまだ知らなかった。
とは言え、代表についてはどうでも良い。
問題はご主人様だ。
代表は、お節介で子供好きで正義感が強いから、わたしを捕まえて、注意しようと思ったらしく、わたしの予想以上に粘着質に追いかけて来た。
わたしは盗んだ剣を懐に隠したまま、何とか逃げ切ろうとしたけれど、大人と子どもの追いかけっこで、子どものわたしに勝ち目はなかった。
もし代表が冒険者でなければ、小道に詳しいのはわたしだし、わたしは逃げ切ることが出来たのかもしれないが、冒険者相手では分が悪かった。
そうして追いつめられたわたしは、何とか逃げ切れないかと、辺りを見回していたのだが、そこで視界に飛び込んで来たのが、何事かと興味深げに此方を覗き込んでいたご主人様だった。
当然、ご主人様の人柄など分かる訳がないから、わたしはこの時、寧ろ周囲に屯す人々の中で、最もご主人様が助けを求める意味がない人だと思っていた。
厳しくつり上がった目は冷たくて、とてもではないが、助けてくれるような人には見えなかった。
それでもわたしは、ご主人様に駆け寄った。
理由は分からない。
でも、恐らくは、作り物みたいなご主人様の美しい顔に、惹かれたのではないだろうか。
このまま生きていては、きっともう二度と会うことの出来ないような人。
ここで捕まるのであれば、せめて最後に、この人の声が聞きたい。
捕まったら、あとは浮浪児など殺されるか売り飛ばされるのみだと思っていたわたしは、これが最期だとばかりの決意を持っていたように思う。
わたしとこの人など、似ているところは髪の色しかない。
今思えば、そのような手段を取っても、誰も信じないだろうことが分かる。
けれどあの時は、それしか思いつかなくて、わたしはご主人様を兄と呼び、助けを求めた。
そして、予想外なことに、ご主人様は外見を裏切るような普通の反応を見せた。
更には、わたしの手を取って、一緒に逃げてくれた。
その後しばらく話している内に、ご主人様がお金持ちだと分かったから、わたしは街の女の人たちが教えてくれたように、誰かに買ってもらうのなら、この人が良いと思った。
ご主人様はわたしを受け容れてくれて、わたしはその日から、ご主人様の使用人になった。
「ん?変な顔してどうかしたか、ウルシ?」
「別に」
「普段からただでさえツン100%だっつーのに、今日はツン要素更に強くなってねぇ?」
あれからもうしばらく経った。
最初は、この人の為に生きてみせるんだって思ってたけど、どうしてか、この人と話をしていると、イライラしてならない。
ご主人様はご主人様なんだから、バカだとか、おかしいとか、そんなこと言うのは間違っているって、わたしだって分かってる。
でも、理由は分からないけど、この人を見ているとイライラする。
とてもじゃないけど、黙っていられないのだ。
どうしてだろう。
きっと、ご主人様が普通じゃない、変な人だからだと思う。
思うんだけど、それでも、我慢しないといけないとは分かってるから、何だか余計にイライラしてしまう。
「なぁなぁ、ウルシー?」
「しつこいですよ。別に、と既にお答えしましたが」
刺々しい言葉を、聞かせたい訳ではないんだけど。
不満げに答えると、ご主人様は嬉しそうに笑う。
こんな答えでも、返事がないより、ずっとご主人様は嬉しそうだ。
本当に、変な人。
「そっか。何でもないんならいーんだけど…さっ!と、出来たー!今日は文学少女ウルシちゃん!ヘアーだぞ」
左右に編み込まれた髪が垂れている。
わたしがやろうとすると、すぐにボサボサになるから、ご主人様は器用だ。
しかも、いつも可愛らしくしてくれる。
ご主人様に感謝こそすれ、恨みごとなんて言う余地はないはずなんだけど、それでもイラッとする。
この感覚は何なのだろう。
「ホンット、ウルシはいつ見ても可愛いなぁ。流石俺のウルシ!」
「っ、煩いですよ!」
眉を下げて、幸せそうに笑って、こんなことを言う。
そんな時が、一番イライラしてたまらない。
胸のところがムカムカするというか…嫌いな訳ではないと思うんだけど、本当に何なのだろうか。
訳が分からない。
「ユリアナ様!またこのようなところに…しかも、そのようなお姿のままで…ご自分の立場を御理解くださいと、何度申し上げればよろしいのでしょうか!?」
「げっ!じゃない…お、オホホ。分かっておりましてよ、ばあや」
セリーヌ様がいらっしゃると、ご主人様は慌ててユリアナ様に変わる。
ご主人様と違って、ユリアナ様は可愛らしい。
でもやっぱり、気が強そうなハッキリとした顔立ちは、悪そうだ。
ユリアナ様のお姿の時は、少しだけイライラが落ち着く。
だから、ご主人様はずっとユリアナ様で居れば良いと思う。
以前、一度大人の姿のご主人様はさぞ格好良いのだろうと思って見せてもらったけれど、その時のイライラも相当のものだった。
何だか熱まで出て来そうなくらいだったから、物凄くイライラしたんだと思う。
「さて。ばあやにも怒られてしまいましたし、そろそろ勉強に取りかかりますわ」
「お供致します」
「ええ、よろしくお願いね。ウルシ」
微笑むユリアナ様は、わたしの知る誰よりも美しい。
こんな人に買ってもらえて、わたしは幸せだと思う。
どんな姿をしていても、ご主人様はご主人様だし、わたしの感想なんて関係ないから、何だかんだと言いながら、真面目にお勉強に取り組んだり、お節介を焼いたりするこの人を、わたしは一生支え続けようと思う。
「ユリアナ様、おはようございます。本日は私も同行させて頂くこととなりましたので、よろしくお願い申し上げます」
「あら、おはようヴェルデ。そう、勉強はもう良いのね。御苦労さま」
「はっ」
……後から入ったのに、大きな顔をする男には、負けられないしね。
クロ「いつもより話は短いけど、ウルシの髪はいつも長い」
ウル「全然上手くありませんので、ドヤ顔はご遠慮くださいませ」