12.成らぬ、革命
「声」が聞こえる。
「(何だ?一体何が起きている!?これはどういうことだ!?何故、我が城が炎に呑まれようとしているのだ!?)」
暗い憎しみの炎の向こう側。
怨嗟の鎖の行き着く先。
幾重にも折り重なる人々の屍を作り続けていた悪王は、事態を飲み込みかねている様子だった。
否。
事態は理解してはいるが、その理由が理解出来ない様子であった。
「(奴隷共の仕業か?いや、ならば、何故私の命令が届かない。何故、止まらないのだ!?)」
焦燥。怒り。苛立ち。
父王は必死で、民たちの遡上を食い止めようとする。
本来であれば、息をするよりも簡単に出来る筈の命令。
しかし、今日だけは、まったく意味を成していなかった。
父王を恐れ、反旗を翻せなかった者と、ごく一部の、父王のお陰で甘い汁を啜っていた者たちだけが、父王の味方をする。
人数は…正確なところは分からないが、ほんの10か20か…。
その程度で、父王を守り切れる筈がない。
悪逆の限りを尽くして来た父王にも、年貢の納め時が来たようだ。
他人事のように言うものだが、そうさせたのは僕である。
目を…この場合は耳を、だろうか、逸らしたい衝動に駆られるが、僕が導いた終わりは、この耳できちんと確認しなければならないだろう。
煤の香りが漂って来て、鼻孔をくすぐる。
それが妙に煩わしくて、僕は紅茶を嗅いだ。
それでも、拭い去れない不快な残り香がまとわりつく。
この香りは、きっと一生忘れることは無いだろう。
あの日見てしまった光景と同じだ。
眠りにつこうとする僕を、永遠に苛み続けるのだ。
「(くっ、奴隷如きが主に逆らおうとするなど有り得ん!私は偉大なるフェリアス王であるのだぞ!!何故止まらん!!)」
止まれ、どうして、止まれ、どうして、止まれ、どうして…。
自身の優位を、疑いもしなかった彼の頭に、不安が過ぎる。
父親からすれば、まさに寝耳に水だったのだろう。
何故、このようなことになったのかも、何故、命令が届かないのかも、すべて想像すら出来ない。
悲鳴が響く。
恐らくは、本当の声でも悲鳴を上げていることだろう。
僕の耳はそれを捉えることはないが。
轟音の中、かき消されるだけ。
「(…エリオ、ット…。せめて、お前だけでも、……)」
斬られたのか。殴られたのか。刺されたのか。
見ることの出来ない僕には、分からない。
少なくとも、此処でかろうじて生き延びていたところで、結局は衆目の前で見せしめのように殺されてしまうのだろうから、ここで命を落としてしまった方が、幸せなのかもしれない。
いずれにせよ、終わりだろう、と思わしきタイミングで、父親が考えていたのは息子である僕の無事だった。
ああ、本当に下らない物語だ。
どうして、悪い人ならば、最後まで悪い人で居てくれないのか。
僕の罪悪感を刺激して、どうしようと言うのか。
僕のことなど、思い出してくれなくて良かったのに。
僕の身など、案じてくれなくて良かったのに。
結局、そんな一見普通なことを考えたところで、優しい一面を持っていたところで、奪って来た誇りも、尊厳も、命も。
どれも、返って来ることはないのだから。
贖うことは出来ないのだから。
母親も、似たようなものだった。
最後に、僕の安全を祈って、意識を失っていた。
生きているのか、死んでいるのかは分からない。
二人とも、自分の命を危険に晒す原因を作ったのが、まさか息子であるとは思ってもいないようであった。
どうしようもない物語だ。
つまり、この世界で一番腐ってるのは、僕だと言うことだろう。
僕にとって一番良い道が、今の両親を犠牲にする道ならば、躊躇おうがそれを選び取る。
腐っていると言わずして、何と呼べば良いのだ。
「おい、貴様。話を聞いているのか!?」
目の前にあった剣が近付いて来た気配を感じて、薄っすらと目を開く。
このようなタイミングで考え事を始めてしまって、申し訳なかっただろうか。
そんな風に、どうでも良いことを考える。
「答えろ!」
眼前に突きつけられていた剣には、血がこびりつき、滴っていた。
男は、苛立ったように更に剣先を僕に近付ける。
その動きに合わせて、ポタリ、ポタリと血が伝い落ちていく。
床に落ちると、緋色の染みが広がって行く。
ともすれば美しいとさえ表現できそうなその光景を、僕はぼんやりと眺める。
これは果たして、誰の血だろうか。
数少ない王族派の人の血?
それとも、誰か別の?
知ったところで、意味など存在しないのだが。
そう。
これもただの、感傷だ。
「お前は言葉を理解出来ないのかな?」
僕は、誤魔化すようにニッコリと笑みを浮かべてみせた。
数年経って、更に増した悪役の雰囲気を、際立たせてならない、嫌いな顔。
その凄みに押されてか、男は一瞬だけ言葉に詰まった。
それでも、負けてはいられないと思い直したのか、すぐに再び睨んで来る。
「分かっているから聞いている」
「そうか。てっきり、僕の答えが理解出来なかったのかと思ったよ」
「言葉は理解している。だが、貴様のことは理解出来ないな」
「人とは互いに、完璧には理解し合えないものだよ」
何を言っているのかと、眉を顰める男。
僕だって、良く分からない。
これもすべて、感傷の導いた戯言だ。
今まで溜めこんで来た分、誰でも良いから聞いて欲しかったのかもしれない。
「だからこそ、言葉を交わし、心を繋げようとする…」
「何が言いたい?」
男は、場にそぐわぬ態度を続ける僕を、酷く不愉快に思っていた。
先程から、「声」がそのように訴えている。
だが、聞こえない振りだ。
否。
本来聞こえるようなものではないのだから、振りも何もないか。
「そう急ぐなよ。もう結論だ」
「……」
チラリと、男の他の人にも目をやる。
部屋に入って来て以降、微動だにしない少年がいる。
真っ赤な髪の、生意気そうな少年。
驚愕に目を見開いている彼は、昔一度だけ会った筈だ。
名前は…カイン、だったか。
僕の腹違いの姉は、元気にしているのだろうか。
…やはり、感傷的だ。
一度しか会ったことのない者の心配をするなど。
意味なんて、無いと言うのに。
「僕はお前と繋がろうとは思わないのでね。…僕に同じことを二度言わせるな」
カップから手を離すと、僕は男を睨みつけた。
男が僕を腹立たしく思っているように、僕だって思っている。
それで僕が正義だ、などと言うつもりはない。
悪は、僕で間違いないだろう。
けれど、僕もそれなりに腹にすえかねているのだ。
決して、自分から切り離したとは言え、両親を両親と思っていなかった訳ではないのだ。
一緒にして欲しくはない程嫌いでも、屑だと思っていても。
それでも、簡単に手を離せる存在でもなかった。
そんな存在に牙をむいた。
もし僕が、何も恥じることのない人生を歩んでいたら、きっと、恨みごとの一つでも言っていたことだろう。
ただ、今の僕に言う資格はない。
両親を殺すのは、僕だ。
だからこれは、ただの八つ当たり。
それでも、言わなければ分からないから。
僕はひっそりと心の中で、恨みごとを呟くのだ。
「ああ、そうだ。ついでに教えておくと、お前達の謀反は失敗する。この僕に牙をむくことは不可能だ。今の内に、剣を引いた方が良いんじゃないのかな?」
「何を、馬鹿なことを…」
グッと剣の柄を強く握りしめる男。
子供の戯言だと笑って流して、斬りかかれば良かったのに。
そうしたら、すぐに終わりだった。
…否。
目撃者が、カインだけでは弱い…か。
「レイ」
「はっ」
「少し、バルコニーの方へ出るよ。ついておいで」
「かしこまりました」
今日集まった全員に、僕の優位を理解させなければならない。
どうして父親は、このような仕事を嬉々としてやれたのだろうか。
僕は胃痛で吐いてしまいそうだ。
簡単な指示を出すことでさえ、ストレスだと言うのに。
目の前の剣を、近くに置いてあった本で軽く避けると、僕は立ち上がった。
それを見て、男はギョッと目を見開く。
どうやら予想外の行動だったようだ。
「ど、何処へ行く!」
「バルコニーって言っただろう?聞こえなかったの?」
「そうではない!理由を尋ねている!」
次第にやり取り自体が億劫になって来た。
とは言え、これからの僕は、このようなことばかりするのだろう。
死なない為には、しなければならないのだから、慣れるしかなかろう。
「皆に、僕が新しい王になると、宣言しに行くんだよ。だから、どいてくれる?」
軽い、命令ともつかぬ言葉。
けれどそれが、男にとっては何よりも強い拘束具となる。
男は全力で抵抗しようとしているように見えた。
それでも、彼は意思に反して剣を引き、数歩後ろへと下がった。
「いや。もう僕が新しい主だ。…知らなかった?」
微笑んで見せると、男は頬を引き攣らせた。
その絶望に塗れた、愕然とした表情に、少しばかり胸がスッとする。
そのような感想を抱いてしまうとは、僕は本当にあの両親の子だな。
もしかすると、誰かを虐げることも、その内快感になるのかもしれない。
それだけは、御免だと思うが。
「さ、行こうか」
僕を止めようとしても、動くことの出来ない男を無視して、僕は席を立つと、最早扉の原型も留めていない入り口へと向かった。
「待てよ!」
そんな僕に、声がかかる。
今まで無言だった、カインである。
ようやく状況が整理出来たのかもしれない。
僕は足を止めて、彼を見る。
「お前が、エリオット…?」
「ああ、そうだ」
「昔、マザーの不味いお茶…美味いって飲んだ、お前だよな?」
「他にそのような奇特な人がいなければ、そうなんだろうね」
そう言えば、彼女のいれてくれたお茶は、美味しかったような覚えがある。
歪なバランスの中に成り立っていた、小さな楽園。
この数年で、きっともっと、子供は減っているのかもしれない。
僕は他の子供には会っていなかったから、分からないが。
「ならっ…なら、どうして!!」
悲痛の声が僕に向かって来る。
声も、「声」も、僕を責めるような色を孕む。
彼はどうやら今でも、裏も表も無く、真っ直ぐなようだ。
本当に、ヒーローのような少年だ。
性格も、立場も。
ただの孤児の子が、どうして此処に斬り込んで来ることになったのか。
きっと、物語のように彼を押し上げる力でも働いたのだろう。
そう考えると、僕も彼と似たようなものか。
自分の意思以外の強制力が、強いという面から言えば。
「どうして、マザーを売ったんだ!!」
「売る…?」
何の話だろう。
読みとりたいところではあるが、混乱しているのか、彼の「声」からでは、状況がイマイチ伝わって来ない。
他にどうしようもない。
僕は、煽ることが分かっていて、首を傾げた。
「何のことかな?」
「とぼけるな!ユレイアさんがそう言ってたんだよ!」
「…ユレイア…?」
僕の予想通り、怒らせたのは怒らせたらしいが、それよりも気にかかるのは、突然出て来た人名だ。
聞いたことのない名前。
普通であれば、それだけでも留意すべき情報ではあるが、この国においては、それ以上の意味を持つ。
「誰のこと?」
僕が知らない名前。
そんなものは、あまり存在しない。
確かに僕の物覚えは、あまり良いとは言えない。
けれど、命がかかっているともなれば、話は別だ。
何としても覚えなければならない。
そのようなつもりで、僕は必死でこの国に存在するすべての人物を覚えた。
…覚えた、と言うのは少し誇大表現かもしれない。
名前を聞けば思い出せる、という程度か。
それでも、まったく思い出せない筈がない。
「マザーの友達だよ」
「ふぅん…」
カインの「声」は、今も昔も言葉通りだ。
彼から何かを読みとることは出来ないだろう。
人として、好感度は高いが、情報源としては微妙なところだ。
僕は少し考えてから、小声で呼びかける。
「リュミネール」
「(はい、殿下。残念ながら、私も把握しておりません)」
「そう…」
僕の意図を正確に読んだリュミネールは、「声」で僕にそう報告して来る。
それにしても、いつの間にやら、誰に気付かれることもなく姿を消しているのだから、流石としか言いようがないな。
「ユレイアという人のことは分からないけれど…残念ながら、僕は誰かを売り飛ばしたことはないよ。まぁ、信じないと思うけどね」
「っ…じゃあ…じゃあ、マザーは一体何処にいるんだ……?」
どうやらカインは僕の言葉を信じたらしい。
こんなにあっさりと信じてしまうのであれば、そのユレイアとかいう人の言葉の信ぴょう性は分からないままだな。
マザーのことも気にはなるが、今は暴動を抑える方が先だ。
僕は、それ以上何も言わないカインと、未だに僕に剣を向けようともがく男を無視して、バルコニーへと向かう。
そこは、まだ火の手が回ってはいなかった。
そして、その下にはたくさんの人の姿。
主である僕の命令を受けて、暴動に参加した者すべてが集合したのだ。
これも、数年がかりで、父親の命令を塗り替えて行った成果だ。
彼らはすべて、僕の物。
困惑に満ちた「声」が響く。
僕の命令ひとつで、彼らの未来は決定される。
それでも、僕が酔い痴れることがないのは、「声」の影響だろう。
頭の中を満たす、多数の「声」は、僕を現実に引き戻してくれる。
僕がやろうとしていることは、決して、正しいことではないのだと。
「よく集まってくれたね。お前たちは、悪王を弑する為に集まった、誉れ高き英雄であろう。だが、僕を超えることは許さない。この国は、今も昔もフェリアスであり続ける。僕こそが、今宵よりお前たちを支配する、新たな王である。僕に従え」
僕を責め立てる、無数の「声」。
今日から何かが変わるのか、変わらないのか。
いずれにせよ僕は、きっと今日も眠れない。
リュミ「やだぁ!殿下ったら、悪役みたい!」
レイ「そのようなことは…」
リュミ「というか、ダークヒーロー?見てよ、あのあくどい笑顔。あの裏に、壮絶な決意とか、拭い切れない罪悪感とか、純粋な想いとかが詰まってるのかと思うと、ゾクゾクしちゃう」
レイ「…よく分かりません」
リュミ「二人とも可愛い!食べちゃいたいくらいよ、うふふっ」
エリオ「…今、なんか寒気が…」