10.土台に繋がる導火線
「ええと…粗茶ですが…」
何度か家具か何かを倒すような騒音が響いた後、ヨロヨロとマリアがお茶を持ってやって来た。
香りを嗅ぐと、あまり嗅いだことのないものだと思った。
城で飲むような紅茶とは、モノが違うようだ。
強いて言うのであれば、紅茶よりは日本茶のような渋みのある香りだ。
そう言えば、紅茶も日本茶も、同じ葉っぱから出来ていて、ただ精製方法か何かが違うだけらしいが、本当だろうか。
そのような、どうでも良いことを考えながら、カップを手に取る。
「別に期待してないから良いよ」
「は、はぁ…」
カインも生意気だけど、この子も相当なものね…などと聞こえてくる。
聞こうと思わなければ聞かないようにすることも出来るものではあるのだが、こうして直接素直な悪口を聞いてしまうと、あまり気分は良くない。
ここ数年、浴びせられる罵詈雑言は、この程度のものではなかったから、逆に実感がわかなかったのかもしれない。
死ねとか、殺してやるとか、地獄に落ちるが良い、とか。
そんな言葉ばかりだった。
生意気、程度の言葉でここまで衝撃を受けるとは、予想外だった。
僕は、内心の動揺を押し殺すようにカップに口を付けた。
質の良い茶葉を手にすることは出来ないのだろう。
苦みと渋みが前面に押し出て来ている。
しかし、僕は元来お茶は苦めの方が好みだ。
肉体が変わっても生まれ変わっても、どうやらそれに変わりはなかったようで、僕は予想外にも、このお茶を美味しいと認識した。
「どうだ?最っ高にマズイだろ、マザーのお茶!」
「ん?」
「ちょ、ちょっとカイン!?」
一口目を飲み切ったのを確認して、カインは楽しそうにそう尋ねて来た。
そんな彼に顔を向けると、その横に立っていたマリアが、ギョッと目を見開いているのも見えた。
カインは悪戯を仕掛けた子供のように、ニヤニヤと口角を上げている。
「マザーが、何でコイツにビビってんのか知らねぇけどさ、そのお茶出す方がよっ
ぽど失礼だっつの。なぁ?」
「嘘!?だって貴方たち、いつもいっぱいお代わりするじゃないの!」
不味い、と評されるとは想像もしていなかったようで、マリアの顔色は、真っ青に変わってしまう。
思わず心配になるくらいだ。
彼女は、自分の分に口を付けて、いつも通りだけど、と首を捻っている。
「なんつーか、苦いっつーかさぁ。そう思わないか?」
「そうだね…。こんなに美味しいお茶は初めて飲んだよ。有難う」
カインは、同意して欲しそうに僕を見て来る。
此処は嘘をつくのも申し訳ないかと思って、僕はニッコリと笑みを浮かべて、本音を告げる。
けれど、誠に残念ながら、彼女には真っ直ぐ受けとめて貰えなかったようだ。
非常に訝しげな表情を浮かべている。
しかも、頭の中では、馬鹿にされているわ、などと考えている始末だ。
これは、僕の顔が悪いのだろうか。
僕が何を言ったところで、やったところで、顔の印象のせいで、悪い結果しか生み出さないということか。
可能であるのならば、まず先に全身整形を行いたいところである。
「えぇー?お前、舌おかしいんじゃねぇの?」
「普通だよ。ねぇ?」
控えているレイにも飲むように指示をする。
レイは黙ってお茶に口を付けて、そして眉を顰めて渋い表情になる。
それでも、僕の言うことには同意しようと、必死で首を上下に動かしている。
このような会話、軽い世間話なのだから、別に僕に逆らったところで怒るつもりはないのだが…ここで訂正するのも面倒だ。
僕は無視して再びカップに口を付けた。
口の中に広がる、芳醇な苦み。
僕は美味しいと思うのだが…どうやら、王道の意見ではないらしい。
「おや。どうやら、僕だけみたいだね。美味しいと思うのは」
そう呟くと、僕はお茶を飲みきった。
とりあえず喉は潤った。
ここはひとつ、本題に入るべきだろう。
「さて。そんなことよりも、聞きたいことがあるんだけど、構わないかな?」
「ええ…構わないけれど」
「何だ?」
マリアは不安げに、カインは期待に目を輝かせて、俺の問いを待つ。
街の他の人では、そもそもこうして面と向かうことすら出来ないだろう。
そう思うと憂鬱にもなるが、ひとまず彼らの話を聞いたら、もう少し話が出来そうな人も探しておくべきではあろう。
これからの予定も考えつつ、僕はゆったりと口を開いた。
「此処はお前の家だと言っていたけれど…さっきマリアは、此処で親のいない子供の世話をしていると言っていたが、そもそもどういう場所なんだ?」
「溜まり場だよ。知らねぇのか?」
カインは即答と同時に、何でそんなことを聞くんだ、と首を傾げた。
マリアは口ごもりながらも、そのようなことも知らないなんて、と僕に対する評価を、またひとつ下げたようだ。
これ以上下がることを防がねばならないイメージなどない。
僕は気にしないようにして続ける。
聞くは一時の恥、知らぬは一生の恥である。
「まぁね。…溜まり場、か。それは、王様に命じられてやっていること?」
「…自主的にやっているわ」
マリアはそう言って笑うが、チラリと頭の中を巡った「声」からすると、やはり僕の父親から命じられたことであるようだ。
カインの手前、そうは言えないのだろう。
これ程真っ直ぐに信頼されながら、まさか誰かに言われてやっているなど、真面目に取り組んでいたところで、罪悪感が生じて、言い辛いだろう。
「マリアも翼人族みたいだけど、どうしてこんな外れに住んでいるんだ?」
「それは…」
元々泳ぎ気味だった目線が更に遠のく。
どうやら、答えてくれる気はないらしい。
それは当然だろうな。
僕は彼女にとっては憎い相手の息子だ。
僕に不平不満を話せば、父親に伝わると、そう思うのは自然な流れだ。
「この子たちの面倒をみるのに、広い場所が必要だったから」
しばらくして、無難な答えを見つけたらしく、そんな答えが返って来た。
言葉の上ではこれで十分だ。
僕は軽く頷く。
その一方で、僕は「声」に耳を傾けていた。
マリアの頭の中では、僕の質問で揺り起こされたらしい記憶が回っていた。
考えることに慣れているのか、彼女の「声」は非常に分かりやすい。
イメージまでもが伝わってくるかの如く、状況が把握出来た。
やはりマリアは、僕の腹違いの姉で間違いないようだった。
かつては城で過ごしていたが、一度街に下りた際に見つけた、親のない子供を憐れんで、同情的な言葉を発したが最後、両親の怒りを買ってしまい、城を出されたようだった。
こう言うと不幸そうではあるが、かえって暴力的な両親から離れたことで、マリア自身は幸せに感じている様子である。
この辺りは、同情する必要はないのだろう。
強いて同情出来るポイントがあるとすれば、それは両親を失った子供たちの世話をしながら、国王への報告義務を、未だに負わされていることだろうか。
怒って追い出した相手に対して、そのような仕事を任せるなんて、信じ難い。
とは言え、彼女の「声」を読みとれば、まず間違いない筈。
人を…否、彼らからすれば道具を、使うことに慣れているのだろう。
昨日怒ったところで、自分にとって有用と思えば、掌を返したように利用する。
僕にはとてもではないが、真似出来そうにない。
マリアは、何度か世話をしていた子供を奪われているようだった。
体力的に優れている者、見目麗しい者…。
両親の欲しい基準に達した者が、軒並み奪われて行く。
無力感に泣いた日も多かったみたいだ。
僕が同情したところで、彼らはもう帰って来ないだろうが。
城の中に居れば良いが、この国の主要産業は奴隷売買。
既に売り払われている可能性の方が高い。
残念ながら、僕はすべての奴隷を把握している訳ではない。
助けるなど危険を冒してでもやろうとは、まったく思えない。
「そう。なら、カイン。お前も、親を亡くしているんだ?」
「オレ?良く分かんねぇや。気付いたら一人だったし…でも、マザーに拾われてからは毎日楽しいぞ!兄弟もいっぱい増えたしな!」
幸せそうに笑うカインが、多少羨ましくはある。
けれど、このような退廃的な国で、幸せも何もあったものではない。
他国の情報はなかなか入手出来ないが、危険がないとは言えないのだ。
安心を手に入れるまでは、僕はきっと、幸せになんてなれない。
「つーか、お前さっきから何が聞きたいんだ?聞いたことを、王子様に報告するのか?何か気になることがあったら報告するって言ってたけどさ」
脈絡も無く尋ね過ぎたか。
カインは疑っている、というよりは不思議に思っているようで、何度も目を瞬いている。
マリアは僕の意図を量りかねて、戸惑っている様子だ。
今までのは、単なる興味本位なんだが、それを言う必要もないだろう。
僕は軽く微笑んだ。
「いや。報告する気は一切ないよ。ただ、聞いてみただけ」
「そうなのか?」
当然嘘ではないのだが、二人ともすんなりと信じてくれたようだ。
カインは単に僕の言っていることを信じて、マリアはこの程度のこと、報告する価値もないのだろう、と判断して信じてくれたようだ。
両親がああだと、本当に僕自身の信頼度にも響くのだな。
ここから上がって行くことは出来ないだろうが、それでも、せめてマイナススタートだけは勘弁してほしかったものだ。
言っても詮無き事ではあるが。
「あと一つ二つ良いかい?」
「別に良いけど、それに答えたら、お前のことも教えてくれよ!」
「気が向いたらね」
「よっしゃ!何でも聞いてくれ!」
僕は誤魔化したのだが、正確に伝わっていないのだろうか。
嬉しそうに笑うカインを見ていると、何だか呆れてしまう。
横を見れば、やれやれと溜息をつくマリアと一瞬目が合った。
僕の言葉は、どうやらきちんと伝わっているらしい。
カインだけが分かっていないだけで。
「お前たちは、王様をどう思う?」
「っ」
「悪いヤツなんだろ?みんな噂してるぜ」
早速切り込み過ぎたようだ。
マリアが身体を小さくする。
本当は、是非ともマリアの意見を聞きたかったのだが、難しいか。
ペラペラと喋るカインを止めるのを忘れる程、衝撃を受けているみたいだし。
「みんな…か。特にどういう人が多い?」
「え?んー…良く分かんねぇ。マジでみんな言ってるし」
これは、予想外の答えではない。
「声」を聞いていても、殆どの国民が、奴隷たちがそう思っていたから。
けれど、子供の立場であるカインの耳に入る程とは、余程だな。
僕は改めて、この国の土台の脆さを実感する。
「…二人は、この国が変わると思うか?」
「ああ!いつかオレが変えてやるんだ!」
「お前が?」
これは予想外の答えが返って来た。
僕は一瞬目を見開いて、それから尋ね返した。
よもや、彼からそのように男気溢れる答えが来るとは思わなかった。
気骨のありそうな大人の男から、「声」として聞くことが出来れば十分収穫になると思っていたが…いや、彼でも十分だ。
子供の彼がそう思うということは、いずれ他の誰かも、そう思っている筈だ。
「そうか。それは面白いことを聞いた」
「おっ!」
「お?」
「お、お父様に、言うつもり?」
妙な声を上げたと思えば、マリアは引き攣った表情でそう尋ねて来た。
このようなことを言えば、カインが大変な目に遭うのではと、危惧しているのだろうが、それは杞憂と言うものだ。
僕は決して、報告するつもりなどない。
ただ、時限爆弾は着火しているのか。
確認したいだけなのだから。
「まさか。これは僕が聞きたいだけだから」
「あれ、王子にじゃねーの?」
「え?あ、ああ…そうよね。そうだったわよね」
「??今日、マザーおかしいぞ」
これ以上聞くのは難しいか。
別段、カインに疑われたところで痛くもかゆくもないが、彼に疑われれば、色々と面倒そうな気がする。
何だかんだと理由を問われたり、熱く説教を受けたり…。
それは御免蒙りたいところである。
「マリアは?」
「え?」
「マリアは国が変わると思うか?」
「私は…」
ここまで言ってしまえば、同じだと思ったのだろうか。
マリアは、ゆったりと視線を僕に合わせた。
僕と同じ色の瞳が、合う。
「そうね。私も…そう思うわ」
具体的なキッカケがあれば、いつの世にも、いつの世界にも、いつの時代にも、革命者は存在する。
キッカケ、キッカケか。
僕は少しだけ考えてから、ゆっくりと立ち上がる。
そしてそのまま、レイを引き連れて入り口へと足を向けた。
「あ、おい!もう帰るのか?お前の話を…」
「そうだね。覚えていたらまた次の機会に話そうか。まぁ、十中八九覚えていないだろうけれど」
「何言ってるんだよ。また来いよ!」
「気が向いたらね」
「絶対だからな!」
マリアに腕を掴まれているからか、追って来ないカイン。
それで良い。
僕はこれから、考えることが山のようにある。
「レイ」
僕達を追う気配はなく、彼らの姿が完全に見えなくなっただろう位置に来ると、僕は限りなく小さな声で呼びかけた。
レイは、深く頷く。
「もう少し街を見回ったら戻ろう。もう少し付き合って」
ひと言も話すな、という命令を律義に守って、レイは頷くばかり。
このような関係も、おかしいのだ。
けれど、僕の命を守る為には、必須のことでもある。
ただ、守らなければならないものもあるが、壊さなければならないこともある。
僕は、それらを選ぶ為に必要な情報を集める為に、街をもうしばらく、歩くことにするのだった。
カイン「結局アイツと遊べなかったなー。でも、マザーのお茶美味しいって言ってた時、ちょっと笑ってたから良かったな!」
マリア「良くないわよ!!もうっ!」
カイン「何で怒るんだ?だって、褒めてくれてたぞ、アイツ」
マリア「そういうんじゃなくて…」
カイン「マザーは美人で優しいし面白いから、アイツも楽しかったよな、きっと!」
マリア「もうっ…カインったらもう!!」
カイン「だ、だから何で叩くんだよー!」
エリオ「…何か後ろの方から痴話喧嘩みたいなぬるい空気を感じる…」
レイ「?」




