08.城下街、畏怖の視線
城は、浮島の中央にある小高い丘の上に建っている。
入り口は、東西南北にそれぞれ一つずつ存在している。
また、街は方角ごとに区画が分かれており、従事している仕事によって住む場所が振り分けられているとのことだ。
未だ実際に確認したことはなかったが、知識としては知っているし、「声」も聞いたことがあるから知っている。
いずれにせよ、どの区画にも、基本的には奴隷の民しか住んではいない。
初めて知った時には、それはそれは衝撃的だったものだ。
城からは資料が無くなっているのか、そもそも存在しないのか、少なくとも見つけることが出来なかった為、どういう経緯でこうなってしまったのかは、知ることが出来なかったのだが、この国には、純粋な国民というものが、殆ど存在しない。
王族は、両親と僕以外には親戚が数人いるくらいで、僕には兄弟もいない。
腹違いの兄弟ならばたくさんいるが、彼らは両親曰く、そもそも人ですらない、らしいので、カウント出来ない。
そして、大臣などの主要な役職に就いている人が数人とその家族。
街の方にも、10あるかないかくらいの家。
それが、我が国の純粋な国民の数である。
途方も無い数の、父の奴隷に比べて、なんと微々たるものなのだろうか。
こんな国、どうして出来てしまったのだろう。
本当に、物語の主人公であれば怒り、壊して然るべき、とさえ思える程の国だ。
残念ながら、僕はそのような高尚な存在ではないから、積極的な意味で壊すつもりはないのであるが。
「さて、レイ。街に降りたら、お前はひと言も口を聞いてはいけないよ」
「「かしこまりました」「うん」「分かりました」「決して口は開きません」」
理由を問うこともなく、レイは深く頷いた。
僕は軽く頷き返して、再び街に向けて歩を進める。
今日は、具体的にどの区画を見る、という目的はない。
すべてを満遍なく見て回って、それから時間が許す限り、気になった箇所を更に重点的に見回る…そんな予定だ。
確認したいのは、この国の実情。
本当の姿だ。
僕は今まで一度も街に下りたことはなかったが、それは両親がいたからだ。
両親と共に、仰々しく街に下りては、本当の姿など見えてくる筈もない。
それではいけない。
僕は、この国の抱える時限爆弾が、あとどれくらいで爆発するのか、それを知りたいだけなのだから。
「…それにしても、静かなものだね」
次第に住居の数が多くなって来る。
しかし、人の姿は殆ど見えない。
国力の増強を図ってのことなのか、それとも他に狙いがあるのか、父親は常に彼らが数を増やし続けるように促している。
普通の国であれば、何らかの政策を行って、実際に増えるまで時間がかかるが、この奴隷大国において、国王の命令は絶対である。
だから、目を通した資料にはあまり書かれていなかったけれど、実際にはもっと多くの奴隷たちがいる筈である。
しかし、殆ど姿が見えない。
時間が時間なのだから、働いているのだろうか。
そうも思ったが、気配は感じるし、何よりも「声」が煩い。
「(翼人種の子供…?どうして街に居るんだ?)」
「(翼が白い…王族ではないのかしら…)」
「(頼むから、これ以上厄介事を持って来ないでくれ…)」
失念していた。
僕の背にある価値の無い翼。
これが、住民たちの警戒心を高めているようであった。
考えてもみれば、両親が翼人種を奴隷にすることは極めて稀だ。
レイは、その極めて稀なケースに当てはまってしまったようだが、普段両親は、如何に翼人種が他の種族に比べて優れているかを滔々と語って聞かせて来る。
街の人からすれば、翼を持つだけで、畏怖の対象となってしまうのだろう。
だからと言って、今更翼をどうこうすることは出来ない。
と言うか、時間があったところで、隠せるような代物ではない。
それが出来るのであれば、僕はとっくにやっている。
どうしても、ただの日本人であった時の感覚が強くて、違和感しかないからだ。
「うーん…」
僕は、ピタリと足を止める。
困ったものだ。
「声」は頻繁に聞こえていたから、てっきり両親が街に居ない時は、普通の街のように賑やかなものだとばかり思っていた。
だから、僕が街に出ても、一度も王子として顔を晒していない以上、誰に気付かれることもなく、ごく自然に情報を集めることが出来ると考えたのだ。
けれど、この状況では、計画はとん挫したにも等しい。
視線を向けただけで息をのまれたり、怯えられたり…。
最近のレイは、随分と慣れてくれて、そこまで過剰な反応はしなくなっていたから、直接そうした体験をするのは、随分と久しぶりだ。
僕自身が何かをした訳ではないのだから、普通に接して欲しい。
そう声高に叫び出したいところではあるが、出来る筈も無い。
更なるマイナスの意味での注目を集めたいのならば話は別だが。
「おい」
「…」
「おい!そこのお前ら!」
「?」
さて、これからどうしたものか。
首を捻って考えていると、誰かから声がかかった。
だが、僕等は…否、僕は現在懐疑の目で見られているところだ。
何もそんな僕に積極的に声をかけるような奇人変人がいる訳がない。
そう思って考え事を続けようとしたが、突然肩に手をおかれる。
そこでようやく、僕は僕に声がかかったのだと遅まきながら理解した。
「…見たところ、城から来たみたいだが、何の用だ?」
振り返ると、今の僕と同じ年くらいの少年が僕を睨みつけていた。
警戒心たっぷりな強い視線だが、先程の門番長の視線を浴びてからでは、子猫が威嚇している程度のものにしか見えない。
昔ならば、睨まれただけでビク付いていたものだが、僕も随分と図太くなったものだと、肩をすくめたい気分になる。
真っ赤な髪に、青い瞳。
他の奴隷たちと同じように、不健康そうでありながら、真っ直ぐに強い光を灯す瞳を、僕に向けている。
気品などを感じた訳ではなかったが、僕は何となく、物語の王子とは、彼のような存在なのだろうと思った。
恐らくは、彼も奴隷相応の扱いを受けているだろうに、腐ることのないその瞳の光は、僕だって持たないものだ。
「(見たことないヤツだな。何だ、コイツら?悪い王の手先ってヤツか?)」
どうやら、僕たち…と言うか、僕のことを訝しんでいる様子だ。
仮に僕が「声」を聞くことが出来なかったとしても、そう考えていると分かるような顔をしている。
僕が接した人々の中で、最も前向きで真っ直ぐな人と言えば、門番長だった。
それを聞けば、恐らく余所の国の人は驚くだろうと思う。
僕も正直未だに意外だ。
それ程、この国は病んでいる、ということだろう。
けれど、その歴史にも終止符が打たれようとしている。
目の前のこの少年をもってすれば、この暗雲しか存在しないようなこの国に、光をもたらすことが出来るのではないだろうか。
「?おい、何とか言えよ」
「ああ、すまない」
少年の声でハッとする。
僕も随分と疲れているようだ。
あまりにも久しぶりに、人間…なのかは分からないが、人らしい人と出会ったような気がしただけで、ここまで妙な妄想が出来るのだから。
そんな、純粋な少年が一人いた所で、国を変えることが出来る筈がない。
それこそ、物語の中でなければ不可能だ。
現実はもっと、厳しく、苦しい。
そうでなければ、どうしてこのような国が存在しているのだろうか。
「用事か。用事は特にないんだけどね」
そう答えながら、僕は少年を観察する。
奴隷と言っても、両親は清潔さを好むから、少年は普通の服を着ている。
ごく普通の、街の少年、といった風だ。
そんな彼の喉元には、重々しい首輪。枷。
この国の人に、あますことなく付いている、彼らを縛る鎖だ。
今この瞬間にも、主である国王の不敬を買えば、苦痛が生じるようになっているということを示す為の、一種イメージを具体化しただけの存在。
これに盗聴機能などが付いていなくて、本当に良かったと思う。
彼らにとってもそうだろうし、今まさに僕にとってもそうだ。
そのような機能が付いていたとしたら、僕にはもう、クーデターを起こして国を真正面から乗っ取る以外に、生き残る手段はなかったのではないか、とさえ思う。
結果としては平気だった訳だが、今日の調査如何によっては、似たようなことをしなくてはならなくなるかと思うと、憂鬱である。
「何で用事もなく来るんだよ」
「ああ、言い方を変えよう。王子のご意向でね。街に下りて、何か気になることがあったら報告するように、って。だから、気になることが何もなければ、僕には何の目的もないようなものなんだよ」
少年の口から、ワケが分からん、と言葉が漏れると同時に、心の声もまったく同じように聞こえて来た。
彼には、表裏というものが一切ないのだろうか。
これはまた、興味深い存在である。
「そっちのデカいのは?」
「彼は僕の補佐。でも、何もしゃべらないようになってるから、何か気になることがあれば、僕に言って。答えるかは分からないけどね」
「ふーん。…つーか、お前変わってんのな」
今も疑わしげではあるが、このたった数度のやり取りだけで、彼は態度を少々軟化させていた。
どちらかというと、今まで周囲にいなかった雰囲気を持つらしい僕に、興味がわいて来たようである。
流石は子供、と言えば良いのだろうか。
否。
子供であろうが、城に居る者たちの荒み具合は大人にも負けない。
彼が余程他の奴隷に比べて幸せな生活を送っているか、単に毎日の過酷な時間も超越して何も感じないくらいに鈍いか、どちらかだろう。
「そちらこそ、相当変わっていると思うけれどね」
「オレがぁ?」
「ああ。だって、普通の人はもっと不幸そうな顔をしているから」
「お前みたいに?」
凄く不幸そうな顔をしている、と少年は笑う。
その言葉に、僕は一瞬頷けなかった。
僕は、自分を不幸だと思っている。
けれど、それを認めて良いのだろうか。
僕よりもずっと、追い込まれている人はたくさんいると言うのに。
そんな小さな綺麗事を、自己満足を考えた自分に嫌気がさす。
今だって既に、多くの人の不幸の上に、僕の生活は成り立っているのだ。
今更、一人や二人に気がねしたところで、何だと言うのだ。
そんな感情、何の意味もない。
「僕は不幸じゃないよ。誰よりも幸せさ」
ニッコリと、僕に出来る満面の笑みを浮かべる。
すると少年は、目を瞬いて静止した。
僕は、そう言えば僕の笑顔は、どう少なく見積もっても悪役だったな、と思い出してしまった。
更に気分が落ち込んで来たが、仕方あるまい。
如何に能天気そうな少年でも、僕の笑顔の破壊力の前には成す術がなかった、ということが事実として目の前に突き付けられているのだ。
受け入れないとならない。
「ところで…」
「来い!」
「は?」
話を切り替えて、この雰囲気を壊してしまおう。
そう思って口を開きかけた時、少年が我に返ったように僕の腕を掴んだ。
その細腕の何処にそのような力があるのだと驚く程の握力である。
「ほら、早く!走れるだろ?」
「それはそうだけど…急になんなんだ?」
「良いから付いて来いって!」
「……」
歩き出そうとしない僕の腕を、グイグイと引っ張る少年。
しばらく踏ん張って抵抗してみたものの、僕の腕を掴む力が強くなるばかりで、一向に腕を離そうとしてくれない。
僕はしばし考えてから、諦めの溜息をついた。
「…良く分からないが、分かったよ。付いていけば良いんだね?」
「そうそう。あ、そこのお前もな!急げよ!」
「……」
少年の呼びかけに、レイはビクッと身体を揺らして、迷ったように僕を見る。
僕の指示がなければ、彼は動くことは出来ないだろう。
僕は空いている方の手で手招きする。
「お前に他の仕事は任せられないからね。ついておいで」
レイは、何故か嬉しそうに頷いた。
その姿に、一瞬だけ平和に過ごしていた前世を思い出した。
決して此処は、平穏な学びやではない。
レイも、僕の腕を引く少年も、学友などではない。
そのような、優しい関係ではない。
やはり僕は、疲れているようだ。
落ち着いて接しなければ、飲み込まれてしまう。
短く息を吐いた僕は、出来るだけ心のさざ波を落ち着けるように、深く、呼吸を繰り返すのだった。
少年「こっちこっち!」
エリオ「道なくないか!?」
少年「平気平気!」
エリオ「屋根の上!?死ぬよね、普通!?」
少年「平気平気!」
エリオ「うあああああ!!」