07.門番長は憎悪の中
「まぁ、こんなものか…」
レイが調達して来てくれた服に袖を通す。
些かサイズが大き過ぎるような気がしないでもないが、上から更に大きめのジャケットを着てしまえば、問題はないだろう。
サイズが合っていないせいでどうしても出てくる、服に着られている感じが、多少は子供の可愛らしさを演出する一助になってくれて、寧ろ良いかもしれない。
何も言わずに普段の服を着ていると、どうにも僕は悪役のように見えてならないものだから。
「ほら、レイ。遅れないで。さっさと行くよ」
「「はい」「すみません」「分かりました」「うん」」
くるりと振り向いて、レイに呼びかける。
レイは相変わらず怯えたような目で僕を見ている。
それでも、偶には目が合うようにもなったし、最初よりは僕の指示にすぐに従えるようになった。
これで納得するべきなんだろう。
そうでなければ、一体僕は彼に何を求めるのだろう。
不可能に決まっている。
自分の意思でもって、僕の言うことを聞いてくれて、すぐに実行に移してくれて…そんなもの、可笑しいではないか。
自分の意思で行動するように許可を出すのは簡単だ。
でも、その後は?
否。
その後を求めるなんて、かえって僕の両親よりも残酷ではないか。
囚われるのならば、真綿の檻より、鉄格子の方が良かろう。
僕のやや後ろまでやって来て足を止めるレイ。
僕が歩き出せば、彼も付いて来るだろう。
良いじゃないか。
僕が命を長らえるまでの、彼は道具だ。手段だ。
断じて、友人などになれる関係ではないのだから。
ジッと顔を眺めていると、レイは不思議そうに首を傾げる。
こんなに大きな図体で、何故小鳥のような動きが出来るのだろう。
僕はボンヤリとそう考えて、そう言えば彼も僕も、鳥であったな、と思い出す。
このような、羽ばたきの一つも出来ない翼、何の価値も意味もないのに。
…考えても仕方のないことだ。
僕は軽く溜息をつくと、ゆっくりと歩き出す。
すると、同じくらいのスピードで、後ろをレイが付いて来る。
もし歩くスピードを変えたら、レイもそうするのだろうか。
またしても思考が逸れていることを自覚しながら、僕は結局試すことなく、正門へと到着した。
「エリオット王子」
「やぁ。調子はどうかな?門番長」
すべてが国王に支配されたこの国で、門番など必要はないのだろう。
それでも、彼は此処に配置されていて、門番長という職を持っている。
何の為に、彼は此処で門を守っているのだろうか。
そのような、ある意味で彼に失礼なことを思いながら、僕は笑みを向ける。
勿論、僕は門番長と親しくはない。
と言うよりも、門番長の方が、僕などと交流を持つのはお断りだろう。
彼もまた、奴隷であり、心の声を聞く限り、かなり酷い仕打ちを受けて来た様子なのだ。
そんなことは、心の声を聞かずとも分かるだろうが。
何しろ、彼の紫紺の尾は、途中でぷっつりと断ち切られているのだから。
事故で切れた筈がない。
父か母に、故意に切られたのだろう。
特に、僕らや門番長のように、人間の特徴が色濃く表れる獣人にとって、獣としての特徴は、誇りになることが多いと聞く。
その誇りを、彼は奪われたのだ。
根こそぎ千切られている訳ではないが、中途半端な尾は、意味を成しているかも分からないような制服を、ピシッと生真面目に着こなす彼にとって、逆に辛いものかもしれない。
門番長は、レイと同じ年の頃に見える。
高校生か、大学生か。
けれど一方で、その瞳の強さが、彼を大人びて見せてもいる。
レイは体格の割に子供っぽく見える。
それはきっと、いつもビク付いているからだろう。
「極めて、普段通りであります」
キッと、つり上がった濃い水色の瞳が、僕を見る。
ギラリと光るその瞳の奥には、どれ程の憎しみを秘めているのだろうか。
隠しているだろうに、漏れだしている程なのだから、相当のものがあるだろう。
いつ、それが牙をむくのか。
僕は、今か今かと、恐れている。
「ねぇ、門番長」
「はっ」
「お前の種族は何だったかな?ああ、あと、名前」
「…は?」
ふと気になって尋ねてみると、門番長は隠すことなく怪訝そうに眉を顰めた。
彼のこういうところが、僕は嫌いではないのだが、一方で心配にもなる。
支配欲の著しい父親は、反抗的な態度を認めないだろうし、加虐欲の激しい母親は、そのような反応を徹底的に詰るだろう。
門番長は、僕の質問の意図をしばらく考えて、やがて、答えたくらいでは、自分にとってマイナスにはならないだろう、との判断から正直に答えてくれた。
「種族は、虎人。名は、ファウロ…と」
こじん…確か、虎の人か。
確かに、頭にちょこんと生えている二つの耳は、虎のように見える。
ただ、毛色が紫紺というのは、なかなか変わっていると思った。
すると、丁度そのタイミングで、チラリと門番長…ファウロが、その流れを思い出すところだった。
ファウロは、その珍しい毛色に目を付けられて、幼い頃に誘拐されたようだ。
変わっている、と思った僕の感想は正しかったようだ。
このようなところで、両親と同じような感覚を持たなくても良かったのだが。
「そうか。…良い名だな」
「っ!!」
何の気なしに褒めた瞬間、ギッと睨まれた。
言っておくが、照れ隠しなどという可愛らしい睨み方ではない。
憎悪が爆発寸前になったかのような、背筋に走るものがある程の強さだ。
彼の心の中を駆け巡る、これは記憶だろうか。
僕は、言葉を聞くことが出来るだけだから、憎しみに染まって、我を忘れかけている彼が思う言葉は取り留めがないせいで、具体的には分からない。
ただ、どうやら名前は、彼にとって非常に重要なものであると分かった。
意図せずして、彼の琴線に触れてしまったようだ。
これでは、両親のことを言えない。
否。
両親ならば、分かった上で刺激して楽しむだろうから、そこまでクズではないと思っておきたいところではあるか。
「「門番長」「やめて」「気を付けて」「落ち着いてください」」
「…琴鳥の…」
レイが、慌てたように割って入って来る。
僕が、彼を咎めるとでも思ったのだろうか。
だとすれば、少し心外である。
そのような些細なことで、どうして怒るのか。
ファウロは、肩で息をしながら、チラリとレイを一瞥する。
どうやら、頭に血が上り切っている訳ではなさそうだ。
状況が見えるのなら、それで良い。
僕は、ゆっくりと口を開いた。
「門番長。忘れた訳ではないよね?ここで僕に殴りかかるのは、得策ではないよ」
「…」
ギリギリと、唇を噛むファウロ。
頭の中で、僕のイメージが最悪なことになっているのだが、何故だろう。
僕は、親切にも忠告してあげただけなのに。
主である国王が…僕の父親が定めた人に対して、反抗したり、或いは暴力を振るおうとした瞬間に、その人は激しい苦痛を受けることになる。
最悪は、死に至ることすらあるそうだ。
僕は事前にそれを止めた訳だから、感謝されたって良いくらいではないか。
…彼にとっての敵の息子に、感謝などしないか。
「滅相も、ございません」
様々な葛藤を乗り越えて、ファウロはようやくそれだけを絞り出した。
どうやら、ここで殴りかかられるような事態は避けられたようだ。
とは言え、そうなった瞬間、逆にファウロが倒れることになったのだろうが、いずれにせよ、僕の時間が取られてしまうことになっていた筈だ。
僕は今から町に下りる必要がある。
ここで変に時間を取られるようなことにならなくて本当に良かった。
僕は、未だに頭の中で僕への恨み言を延々と考えながら、それでも表向きは何とか頭を下げるファウロに、軽く声をかけて門から外へと向かう。
ファウロは、それ以上何も口には出さなかった。
何かを言ってしまえば、それが余計なことに繋がるだろうと、危惧している様子であった。
彼の様子を見ていれば、そう思うのも当然だと思える。
相手が僕だからまだ良いけれど、彼はあんなに物ごとを看過出来ないで、本当に大丈夫なのだろうか?
否。
大丈夫ではなかったから、あれ程の恨みを募らせることになったのだろう。
出来るのであれば、彼も…彼だけでは無く、すべての奴隷たちを救いだしてあげられたら良いと思う。
けれど、所詮凡人である僕に、そのような力は無い。
相手の考えを読めるとは言っても、それだけだ。
僕に出来るのは、せいぜい自分が生き延びる手段を探すくらいのものだ。
綺麗事は言わない。
僕は、自分が可愛いのだ。
結局僕だって、両親と何も変わらないのかもしれない。
「「ありがとうございました」「申し訳ございませんでした」「門番長見逃してくれたんだね」「嬉しかったです」」
しばらく歩くと、レイがそのようなことを言い出した。
僕は思わず、素っ頓狂な声を上げてしまった。
「はぁ?」
まったくもって、意味が分からない。
何故、感謝されるのか。
何故、謝罪されるのか。
「僕は、見逃した覚えはないけど?」
「「怒らないでいてくださいました」「そうだよ」「怒ってはいらっしゃらなかったのですか?」「どういう意味ですか?」」
レイも良く分からないようで、不思議そうな顔をしている。
お互いに言っている意味が分からないなんて、バカバカしい。
いや、一応僕はレイが言いたいことも分かっている。
ただ、認めるのが癪なだけだ。
レイが謝罪するのは、ファウロの主である国王の息子…即ち僕に対して、失礼な態度を取ったこと。
同じ立場として、謝らずにはいられなかったのだろう。
これは別に構わない。
謝ってくれようが、気にしないでいてくれようが、どちらでも。
しかし、もう一つ。
レイが感謝するのは、上記のように失礼な態度を取ったファウロを、僕が責めるなり、怒るなりせずに、そのまま看過して来たこと。
同じ立場として、感謝せずにはいられなかったのだろう。
分かる。
気持ちは分かるのだが、これを認めるのは非常に癪である。
何故ならば、この気持ちを認めれば、レイが僕は奴隷があのように憎しみを態度に出せば、怒り狂うと思っているのだと、認めることになってしまうからだ。
今更誰に嫌われようが、憎まれようが、最早どうでも良い。
僕自身の命と天秤にかけて、選ばなかった方なのだから。
けれど、だからと言って積極的に悪の王子を目指している訳ではないのに、目の前でそういうイメージを抱かれていると、自ら認めて嬉しい筈がない。
断固として、僕は認めない。
僕は確かに、他の誰の幸せを切り捨ててでも、生き残る道を選んだ。
正真正銘、あの両親の血を引き継ぐ、悪の王子なのである。
だが、決して他人を虐げて、支配して、喜ぶような趣味は持っていない。
「別に。アイツがどうなろうが、僕の知ったところではなかっただけだよ」
若干投げやりに答えると、レイはチラリと、どうでも良いと思ってくれるだけで有難いと、そう考えた。
それもまた、癪に障る。
だが、思想も思考も、個人の自由だ。
僕はそれを読みとって自分の為に利用はするが、好き勝手に弄ぶ予定もない。
せいぜい、好きなように考えていると良いさ。
僕だって、好き勝手に考え事をしているのだから。
「そんなことより、早く町に下りるよ。時間がなくなってしまう」
「「はい」「うん」「かしこまりました」「只今」」
幾分か緊張が解けた様子のレイの返事は明るい。
勝手に悪いイメージを持って、勝手に良いイメージに転換しないで欲しい。
僕もまったく、複雑怪奇なものだ。
こんなに捻くれた性格であったつもりはなかったのだが。
あまりにも殺伐とした生活を続ける内に、性格が歪んでしまったのだろうか。
そのくらいでないと生きてはいけないだろうし、歓迎すべきことなのだろうが。
…いや、そのようなことはどうでも良いことだ。
それよりも、早く町に下りて情報を収集しなくては。
予想外にファウロとの話で時間を取ってしまった。
それはそれで、良い情報を得られたような気はするが…当初の予定からはズレてしまっているから、早く予定通りに戻らなくてはならない。
残念ながら、僕はスケジューリングが苦手だ。
突発的な対応力もないし、出来る限り、立てた計画に準拠しなくては。
僕はまた、複雑な気持ちを抱きながら、歩調を早めた。
ロスした時間以上に、貴重な情報が得られることを期待しながら…。
ファウ「本当に、いつ話しても不気味な少年だ…なぁ、琴鳥の」
レイ「「不気味?」「違います」「不思議な人です」「良く分からない方ですよ」」
ファウ「分からない、か。まぁな…俺も、そう思うがな」
レイ「「毎朝起きるとダンス」「カクカクした動きをします」「何なのでしょうか、あれは」「ラジオタイソウと仰っておりましたが。本当に不思議な方です」」
ファウ「…やっぱり不気味ではないか!」