06.間諜は何処
夢の中で、怪しげな人物との邂逅を果たした僕。
あれからというものの、僕の焦りは、日ごとに増していた。
僕はこれまでずっと、内側の敵にしか目を向けては来なかった。
即ち、城内か、或いは広げたところで、国内の、両親に対して多大なる恨みを持つ人々が、一斉に蜂起する。
その危険性についてしか、考えて来なかったのである。
けれど、あの出会いによって、僕は気付いてしまったのだ。
もしかすると、もっとそれ以外の何処かからの圧力によって、虐げられる可能性は、存在しているのではないか、と。
何故、考えなかったのか。
この国が空に浮かんでいると言って、どうして安全だと思う?
相手だって空を飛べるかもしれないし、空に対して攻撃する手段だって持っているかもしれないし、高度な政治手腕を持っていれば、支配されてしまうことだってあるかもしれない。
そうなった時、王族である僕の待遇は、果たしてどうなるものか。
戦争となれば殺されるだろうし、支配されれば、あまり良くない扱いを受けるに決まっている。
元々の支配者の息子など、厄介以外の何ものでもないだろうから。
国民の一斉蜂起だけですら、大層な問題だというのに、僕を悩ませる問題は、僕が考える以上に、もっとずっとたくさん存在したのだ。
その事実は、僕を大いに焦らせた。
非人道的だなんだと言っている暇は無い。
早急に準備を進め、急いで他国や、他の何処かからの接触に関する防衛手段を考えて、実行に移さねばならない。
…ここで必要になって来るのが、質の良い情報だ。
僕の耳…力と言えば良いのか、はかなりの声を聞き分けるが、だからと言って、場所も知らない他国の声までは聞こえない。
順当に考えれば、間諜のようなものを出すべきだろう。
けれど、僕には手駒を所有していない。
実力は折り紙つきで、信用出来る間諜など…今から準備をして、果たしてすぐに手に入れることが出来るものだろうか。
そこまで考えて、はたと気付く。
もし父親が、優秀な間諜を所有しているのであれば、その所有権を奪ってしまえば良いのではないか、と。
これは良いアイディアのように思われた。
何しろ、実力さえ確かならば、僕は勝手に父親の命令を上書きすることが出来るのだから、裏切られる心配は一切ない。
未だにこの魔術を解除出来る手段が一切存在しない、という確証はないが、それでも今までこの国がこうして成り立っていたことを考えれば、僕の息がかかる間諜が、偶々そのような手段を得る可能性は、微々たるもののように思える。
完全に気を抜くことは出来ずとも、それで十分だ。
今は、ある程度の危険を冒してでも情報が欲しい。
それと同時に、僕自身の目で、見ておきたいところもある。
それは、城下だ。
僕の耳は、恐らくは正確に物ごとを聞き取っていると思う。
この能力については、城の中でしつこいくらいに検証実験を行ったのだから、まずこの正確性を疑う余地はないだろう。
だから、僕ほどこの国の人々の考えに詳しい者もいないと思うが、それと実際に目にするのとでは、得られる情報はまったく異なって来る筈だ。
それに、直接会って質問を重ねるだけで、簡単に新しい情報が手に入ることもあるのだ。
準備のこともあるし、事が始まるよりも前に、速やかに見ておきたい。
本当ならば、もっと緻密に準備を重ねて、慎重に事に当たりたかったのだが、そうも言っていられない。
僕には、どれ程の時間が残されているのか、まったく分からないから。
「「ご主人様」「何処行くの?」」
「まずは父様のところだよ。お前もおいで」
「「分かった」「分かりました」「かしこまりました」「お供致しましょう」」
急に立ち上がった僕に驚いたように目を瞬きながらも、レイは忠実に動く。
僕は彼がいつものように、他の使用人に先触れを頼むのを横目で確認すると、逸る気持ちを押し殺して、ゆったりと歩を進め始めた。
焦りは禁物だ。
それによって、今まで積み重ねて来たものを無駄にすることは出来ない。
特に、間諜の件については慎重に行わねばならない。
僕は今まで、父親からそのようなことをにおわされたことはない。
ならば、その話題について切り出すこと自体、不自然ということになる。
どうしたら、自然にその話題へと持って行くことが出来るのか。
失敗すれば、最悪気味悪がられたり、不審に思われたりして、僕の人生は終わりを告げることになるだろう。
それは避けたい。
だから、可能であれば父親を通さずに探り当てたいところではあるのだが、それは時間的に厳しいと思う。
はてさて、どうしたものだろうか。
駆け引きだとか、頭脳線だとか、そういったものについて、もう少し前世で勉強しておければ良かったのだが…。
いや、そのようなことは考えるだけ無意味だ。
もしも、など。
考える時間が勿体ない。
「父様。エリオットです」
「ああ、入れ」
「失礼致します」
トントンと、軽くノックをして部屋へと入る。
父親は、いつも通り書類に目を通したりしていたようだ。
こうして見れば、真面目な国王そのものだ。
決して、裏で奴隷たちを虐げているようには見えない。
そもそも、根本的な思考が異なっているのだ。
父親にとって、奴隷たちは人ではない。
僕達が、使い終えたペンを投げ捨てるように、その辺りの物に八つ当たりをするかのように、父親は奴隷たちを扱う。
当然と思っていることを、どうして変えられようか。
「今日はどうしたね?」
「はい、実は…」
まだどうアプローチするか決めかねてはいたが、僕は父親に促されて口を開く。
まずは当たり障りのない話題から触れて行く。
そこから徐々に、とりあえず勉強として、他国の情勢にも詳しくなりたいから、と伝えて、その辺りの事情に精通している教師はいないかと尋ねてみる。
しかし、それだけでは普通に他国について詳しい人だけしか父親の心を過ぎらなかった。
それは当然のことだろう。
すぐに間諜に思考が飛ぶ人はそうそういまい。
もしいるとすれば、その人は裏の世界の人間か何かだろう。
どういうキーワードが出れば、間諜の可能性が頭に浮かぶだろうか。
かつ、普通の子供が発言して良さそうなキーワードでなければならないのだが。
僕は、色々と考えて、最近読んだ軍記物について話題に出す。
面白かったが怖かったことと、我が国は父親がいるから絶対安心だろうけど、僕も国を守る一助になりたいこと、その為には情報が欲しいこと、を続けた。
少し語り過ぎただろうか?
否。
この程度であれば、子供でも発想することだろう。
父親は、少し驚いた様子だったが、それでもすぐに破顔した。
このように幼い内から、国のことまで考えられるなど、なんて息子は賢いのだろうかと、喜んでいるようだった。
疑われるのではないか、というのは僕の考え過ぎだったようだ。
幸いである。
それから父親は、誰に頼むべきか、と呟く。
幾つか名前が上がり、それと同時に、父親の頭の中に、それらの人物のイメージが浮かんでは消えて行く。
そして僕は、その羅列された名前の中に、求めていた人物を見つけた。
父親がチラッと考えたその人物は、まさしく間諜であった。
今は他国にいるらしいが、丁度そろそろ帰国する運びとなっているらしい。
これはタイミングが良い。
何としても、この人に接触したい。
僕は少し考えてから、名前が上がった人たちについて詳しく尋ねてみた。
勿論、子供として怪しくない程度に。
順番にどういう人か聞くくらいは、不自然ではないだろう。
父親は特に疑うこともなく、順番に説明してくれた。
件の間諜の人以外については、かなり詳細に教えてくれた。
ただ、あまりこの人に興味を持たないようにか、父親は最小限のことしか説明してくれない。
これでは、自然な流れで僕がその人に興味を持つことが出来ない。
これ以上食い下がると、疑われる危険性が発生してしまうだろう。
僕は、諦めて普通に他国の情勢に詳しそうな人を教師にしてくれるよう頼んで、その場を去ることにした。
「「エリオ様」「不満そうでらっしゃいますが…」」
次の目的地へと向かうべく歩を進めていると、レイが心配そうに尋ねて来た。
僕は一瞬だけ驚きに目を瞬いた。
僕は、自慢ではないがそうした感情は表に出にくい。
勿論、出ないようにもしているが、それにしても誰にもその辺の感情の機微を悟られずに今までやって来た。
今は、気付かれてしまう程悔しく思っていたのか、それとも、レイが僕の感情を察することが出来るようになったのか。
…分からないが、ここで愚痴れるようであれば、とっくの昔にやっている。
僕はいつも通りに微笑んで見せた。
鏡で見ると、悪の王子に相応しいではないかと、辟易するような微笑みを。
「問題ないよ」
「「さようですか」「なら良いんだよ」「落ち込まないで」」
納得はしていない様子だが、それ以上は触れるつもりはないようだ。
正直、それは非常にありがたい。
不満そうだとは分かったところで、何故不満なのかは、恐らくレイには分からないだろうから、僕がこれ以上何かを言わない限り、レイから父親に僕の考えが漏れる危険性は0だ。
その方が、不満を分かち合うよりも、安心出来る。
「「では、」「どうするのですか?」「次は?」「何処へ行きましょう」」
僕が図書室や訓練室、そして自室以外へと足を向けることは極めて少ない。
だからこそ、疑問に思ったのだろう。
レイは話題を目的地へと切り替えた。
僕も、思考を切り替えねばならないな。
いつでも、何処でも。
何をするにしても、綱渡りだ。
油断して良い過程は一切存在しない。
「城下だよ。…ああ、でもその前に使用人の部屋に行かないとね」
「!?」
レイが、驚愕したような視線を送って来る。
意外なのは分かる。
僕が、どうして使用人の部屋に行く必要があるのか、分からないだろう。
だが、これは必須の行動だ。
僕はこれから、城下へ下りて、国民の生活を肌で感じ、この目に焼き付ける。
その為には、王子としての姿や身分は邪魔でしかない。
僕は両親の意向で、殆ど城からは出ないから、このまま出たところで、国民に王子だと気付かれることはないだろう。
けれど、万が一ということもあるし、このように上等な服を着ていては、その可能性が増してしまうかもしれない。
可能な限り、危険性は排する。
そうでないと、安心出来ない。
因みに、両親には、外出したことで怒られることはないだろう。
何故ならば、城内の入室禁止の場所は比較的多いが、外出に関して両親は、積極的に禁止してはいないからである。
僕が外には興味を持たないだろうと思ってのことかもしれないし、外に出たところで、国外でない限り、僕に危害を加える者はいないと信じてのことかもしれないが、いずれにせよ、僕にとっては都合の良いことには変わりない。
とりあえず、国民から怪しまれさえしなければ問題はない。
その為にも、庶民的な服を入手したいのであるが…考えてもみれば、僕が直接使用人の部屋に行くのも問題かもしれないな。
必要以上に怯えさせて、ただでさえ嫌われている相手から、更に嫌われる必要もないだろう。
というか、僕は決して、そのような視線を向けられて喜べる程、悪の王子という役職に染まってはいないのである。
「…レイ」
「「はい」「如何なさいましたか?」」
「やっぱり、お前が行きなよ」
「?」
ピタリと足を止めると、僕はレイを見上げた。
レイの不思議そうに開かれた目が僕を映す。
未だに奥底に怯えの色が窺えるが、それでも、目は合うようになって来た。
これくらいで構わない。
会話が侭ならないレベルでは困るが、このくらい会話が成り立てば、僕としては何の問題もないのだ。
始まりを思えば、少しだけ感慨深くもなるが、今はそのようなことを考えているタイミングではない。
「僕は城下に下りたいんだ。でも、この格好じゃ目立ってしまうだろう?適当な服を、使用人の部屋から調達して来てはくれないか?」
「「かしこまりました」「はい」「お任せください」「分かった」」
レイはすぐに、使用人の部屋へと消えて行った。
その背中に、急いで戻るように、と重ねて伝えたから、すぐに戻るだろう。
さて。
間諜についても重要だが、ここでの情報収集もかなり重要だ。
気を抜かず、油断せず。
少しでも気になることは頭に留めておかねばならない。
僕は気を引き締めながら、レイの戻りを待った。
エリオ「父様との会話がストレス過ぎて軽く死ねる」
レイ「!?」
エリオ「…冗談だから、そんな過剰反応しないで…」