04.狂った王国、慟哭
人の心の声を聞くなんて、果たして経験する人はどれ程いるだろうか。
それは、このファンタジーに分類されるだろう世界でも抱く疑問だ。
そのような魔術が一般的ではない以上、きっと、数える程しかいないだろう。
「(どうして私がこんな目に遭わないといけないの…?私、何かした…?)」
声が聞こえる。
聞こうと意識をすると、声ならぬ声が、見えない導線を揺らす。
耳から入って来るのか、それとも脳内に響いているのか。
「(痛いのは、もう嫌。苦しいのも、もう嫌。…お願い、鞭で打たないで…)」
まるで、心ごとすべてが、沁み込んで来るような感覚だ。
心の声を聞くことに慣れて来ると、対象の人物の姿を捉えずとも、自室からでも聞くことが出来るようになった。
だからだろうか。
声を聞く対象の、感情すべても引き受けたかのような錯覚を覚えるのは。
姿が見えないから、余計に、それが自分の感情であるかのように思えるのか。
「(妹を何処へやった!返せ、返せよ!オレの大切な妹なんだ!!)」
渦巻く淀んだ感情は、聞いていて気分の良いものではない。
けれど、確証に至る。
これらの声を聞くまでは、或るいは僕の父親へ向けられる強い視線は、決して恨みや憎しみではなく、僕のただの被害妄想であるのだと、逃げることも出来た。
だけど、もう遅い。
聞いてしまった以上、僕は終焉に備える必要がある。
「(憎い…憎い…憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い)」
知って、良かったのか。
悪かったのか。
知らないままいたら、いつか噴出する悪意に呑まれ、僕は呆気なく死ぬだろう。
死にたくないのなら、その日に備えなければならない。
もう既に、激情の渦は、コップから溢れんばかりに揺れている。
「(……)」
すべての感情を忘れ、空っぽな人もいる。
これは、もしかすると幸せなのかもしれない。
人形のように、何も考えない。感じない。
この状況から抜け出せないのであれば、そうなるのもやむを得ないのだろう。
僕は決して、立ち向かえなどと、強くは言えない。
立場からも。性格からも。
「(いつかブッ殺してやる!!)」
強い憎しみ。
強い殺意。
聞いているだけで、殺されてしまいそうだ。
必死で心の奥底に封じられている感情。
それが、ふとした瞬間に浮き上がる。
その瞬間の声は、本当に、筆舌にし難い勢いがある。
僕は、その声からすら、いつか逃げなければならないのだ。
「(うふ、うふふふ、あは、あはははははあは)」
すべてを失った人もいる。
感情を忘れたどころではない。
心を壊され、自分と言う個を失った人は、壊れたぜんまい人形のようだ。
引き取り手もいないままに、城の隅に捨て置かれる。
本当に、狂った王国だ。
こうして、他人の心の声を読み始めて、1年が過ぎようとしていた。
僕は、いずれ来る時に備えて、様々なことに身を入れていた。
歴史や経済に重点をおいて学び、身を守る為に武術や魔術も勉強した。
どれだけ努力しても、天才ではない僕は、何度も同じ場所を繰り返し、遅々として進まないのであるが、それでも数歩くらいは進んでいる。
この国の経済は、奴隷の売買のみで成り立っていることも知った。
地上から数メートルは離れた高さに浮いている、巨大な浮島。
それがこの国の土台であり、この国そのものでもある。
そんなこの国には、資源が一切ない。
理由はまったく分からないが、植物などは街路樹など人が整備したもの以外は存在せず、本当に島が街であり、街が島である、といった体なので、何も取れないしそもそも何も存在しないのだ。
始まりまでは分からなかったが、そんなこの国が成り立つには、人自身に付加価値を付けるより他にはなかったようだ。
そうして、この国の主要な仕事となった奴隷売買は、今や切り離すことは出来ない、重要な歯車となっているのだった。
もし奴隷売買をやめれば、この国の経済は破綻し、国民はすべて路頭に迷うことになるだろう。
それは、想像するまでもない。
そのような非人道的なことは止めるべきだ。
人々は考えるだろうが、提言することはない。
分かっているからだ。
ここから改革を行うことには、酷い痛みが伴うことを。
奴隷売買をやめて、新しく事業を始めるにしても、資金が要る。
しかし、国民すべてを賄う程の新たな事業など、始められるはずがない。
他国がこの国にそれ程までの大金の援助をする義理はないし、特に大口の他国では、奴隷売買を止めるようになど、口が裂けても言えないはずだ。
こんな、歪な国。
吐き気がしそうだ。
けれど、僕はこの国を出て行くことを選ばない。
否、選べない。
浮島であるこの国から出るには、空を飛ぶ必要がある。
舟のような便利なものは、自由に乗れるものではない。
こっそり忍び込むことも、絶対に不可能である。
何故ならば、国が所有する舟は、魔素認識機能を搭載しているからである。
僕が入った瞬間に、すぐ気付かれて連れ戻されるだろう。
そもそも翼があるのだから、逃げたいのならば飛んで逃げれば良いのではないかと考えたことも勿論あった。
けれど、それもまた不可能である。
僕の背には純白の翼がある。
しかし、まだ子供であるせいか、体重を支えて飛ぶ程の力はないのだ。
どれだけ訓練しても、飛べるようになるには10年はかかると言う。
それまで国が保ってくれれば良いが、僕は厳しいだろうと考えている。
僕は、この狂った王国で、王子として、その日を迎えねばならない。
憎しみの糸が切れる、その日を。
噴出した怒りをこの身で受けとめ切れる筈がないというのに。
僕は、その日が来るまで、この命を繋ぐ方法を探し続けねば。
けれど、ある程度までなら考えついている。
ただ、そこまで、勇気が出ない。
思いついた方法は、僕が、両親や、数少ない同胞を切り捨てるものだ。
如何な非人道的な人たちであるとしても、自ら彼らを切れば、僕も同じになる。
躊躇ってしまうのは、日本人の僕としての境界線を超えることが、恐ろしいからだろうか。
分かっているのに。
きっと、それ以上の方法など、何もないことを。
「エリオ。私の可愛いエリオット。新しい玩具をあげましょうね」
ニッコリと、妖艶な笑みを浮かべて、僕を誘う母。
もうすべて、疲れてしまった。
母と思えぬ母の為に、作り笑いを浮かべる日々も。
命を繋ぐ為に、考えを巡らせる日々も。
しかし、歩みを止めれば、僕の命はない。
ああ、どうして。
「「ごめんなさい」「申し訳ありません」「お許しください」「ごめん…」」
いつものように母に呼び出されると、その先には憔悴し切った様子の男がいた。
スラリと高い身長。
それに似合わぬ、傷だらけの身体。
やせ細った身体。
本来は美しいのだろう、灰色の髪は、ズタズタな切れ目を晒している。
光を失くしそうな黒い瞳は、絶望に満ちた色で僕を映す。
か細い声は、何故か何重にも聞こえ、男のようにも、女のようにも、或いはまったく違う声にも聞こえた。
「ほら、面白いでしょう?ふふ、大金をつぎ込んで買ったのよ。エリオが喜んでくれると思って。琴鳥種という珍しい種類なの。声真似が得意なのですって!」
「…そうですか」
「ええ。だから、エリオの為にお父様が、常にあらゆる声を出すように命令なさってくれたのよ。これで、玩具の遊び方を覚えなさいね、エリオ」
金持ちの母が、息子に新しい玩具を買い与える。
行動自体は、日本でだってある光景だろうに。
どうしてこうも、歪に見えるのだ。
その対象が、人の姿をしているだけで。
僕は、引き攣りそうな頬を必死で抑える。
母に疑われたら、嫌われたら、その日が来るよりも前に、僕は終わってしまう。
僕は、いや、僕も、きっと彼らと何も変わりがない。
立場が違うだけで、でもその立場だって、一晩を過ぎれば、同じになっているのかもしれない。
だからか。
僕は、自分の身可愛さに、彼を庇うような言葉は言えないのだ。
彼だって同じ人じゃないか、なんて。
間違っても、言えない。
「これは…とても面白いですね。ありがとうございます」
喜んでくれて良かったと笑う母から香る強い香り。
僕は二日酔いにも似た眩暈を覚えて、貰った彼を引き連れて、急いで部屋へと戻る。
出来るのであれば、長い時間母と顔を合わせていたくはなかった。
「……」
「……」
部屋に戻っても、無言の時間は続く。
彼は何も命令されていないからか、入り口の横で震えながら立ち尽くしている。
日本で言えば高校生くらいか…僕と同じくらいだろうに、まったくそうは見えない程にやせ細っている。
病的な程だ。
チラリとシャツの隙間から見えた肌には、他の奴隷の人たちと大差のない、傷跡が刻み込まれている。
両親に買われたばかりだとすれば、その前にも傷付けられていたのか。
それとも、両親が早速傷を付けたのか。
どちらなのかに興味は無いが、哀れなことだ。
何よりも、僕に与えられたということが、非常に哀れだ。
「……」
ジッと、探るように僕を見る目。
煩わしささえ感じる辺り、僕も随分とこの世界に染まったものだ。
そんな自分に辟易しながら、僕は問い掛けた。
「何?」
「っ」
苛立ちが過分に含まれていたせいか、男は息をのむ。
そんなに怯えなくても良いのに、なんて言えない。
彼は僕の想像の範疇を超えるような、そんな待遇だったはずなのだから。
「…何かを言ったからと言って、僕は怒らないよ。言いたいことがあるのなら聞こう。ただ、何かのリクエストなら、叶えてあげられるかは分からないけどね…」
男はしばし呆然として、それから左右に目線を泳がせた。
そうしている内に、やがて彼は意を決したように口を開く。
「「あの」「その」「えっと」「私に、何かご命令はございませんか?」」
「命令?特に今はないな」
思った通りに答えると、男は驚きと喜びと絶望、すべてを混ぜたような複雑な表情になった。
何だこの反応は。
意味が分からず、質問の意図を尋ねると、僕の命令を聞くように、との厳命を受けているから、と返って来た。
そう言えば、一定期間命令を達することがなければ、痛みを与える設定になっていると、父親から聞いた記憶がある。
勿論、心の声だから、僕が知っていることを父親は知らないだろうが。
僕は改めて男を見る。
僕が知った、キーワード。
それを実験するには、丁度良い被検体なのではないだろうか。
その発想も、なかなか下劣で、胃が痛くなって来るが、実験は必須だ。
僕は少し考えてから、男について来るよう命令して、父親にアポイントを取って会いに行った。
偶然手が空いていたのか、それともこの男というプレゼントが気に入ったのかどうかが気になっていたのか、父親はすぐに会ってくれた。
そこで僕は、思いつくまま、色々と理由を並べ立てて、この男の所有権を、完全に僕に移して欲しいと頼み込んだ。
僕がその辺の細かい事情を知っているとは気付かれない様に、細心の注意を払って説明するのは、なかなか難しくはあったが、父親が僕の行動を訝しく思えば、心の声が聞こえるから、旗色が悪くなったら引く、という流れを繰り返せば良い。
だからか、思ったよりはすんなり、父親は僕にこの男を完全にくれた。
勿論、僕はその最中に、僕が勝手に僕へと所有権を移すように実験した。
父親は、それに気付くことはなく、自分が息子へと移したのだと思い込んでいる様子だった。
実験は成功だった。
それを確認すると、僕はまた男を引き連れて自室に戻る。
あとは、細かい設定の変更がどのようなルールに基づいているのか、などを確認していく必要がある。
他の手段が思いつかなければ、僕にとってこの魔術は、極めて重要な手段となり得るからだ。
可能な限り、効果を把握しておかなければならない。
男は相変わらずビクビクしていた。
ただ、目の前で起きた事態が理解出来ないのか、恐怖の色よりも、今は困惑の色が強いような気がする。
これは、最低限会話が成り立つように、少しばかりコミュニケーションを取る必要もありそうだ。
望んだことだったかは分からないが、これから共に過ごすことになるのだ。
少しは歩み寄らねば。
僕は、これからの展望をグルグルと考えながら、今度はベッドに飛び込んだ。
まだ眠る時間ではないが、酷く倦怠感を覚えていた。
男にも適当に休憩するように言って、僕は目を閉じる。
まだまだ、気の抜けない日々は続く。
もっと、もっともっと、動かなければ。
死なない為にも。
エリオ「ようやく話し相手が出来た…けど、ねぇ」
???「は、はいっ(ビクッ)」
エリオ「あのさ」
???「はいっ(ビクビクッ)」
エリオ「…会話にならないんだけど…」