01.怒号の城、回顧
第三章スタートです。
第二章が嘘かのように、暗くて鬱でグロでエロ…エロ?な要素てんこ盛りでいきます。(多分)
苦手な方は、第四章まで読み飛ばしてください。
前世、自身がプレイしていた乙女ゲームとやらの悪役令嬢になった男は、世界の敵云々などという大きな問題には、関わりそうで関わらぬまま、一つの命の危機を迎えることもなく、安穏と日々を過ごしていた。
彼は、何も疑問には思わなかったのだろうか。
自身の持つ、その世界の常識とは異なる変身能力。
いや、それはない。
ああ見えて敏い彼のことだ。
恐らく、何処を突けば面倒なことが起こるか、分かっていて敢えて避けたのだろう。
そうでなければ、どうして、あんなにも上手く、関わるはずだった出来事を避けることが出来ただろうか。
偶然のひと言で終わらせるには、あまりにも出来過ぎている。
ただ、彼の知らぬところで起きた一連の出来事については、また別の機会に語るべきであって、ここで語るようなものではない。
もしも興味を引かれている者がいれば、我慢してもらおう。
…さて。
ひとまず、彼の物語はこれで終わりだ。
続きが気になると僕に言われても仕方がない。
あの人の話は取り留めがなさすぎる。
未だ修正が追いついていないのだから、責めるならば彼を責めて欲しい。
それでは、別の人物の物語に移ろうか。
次の主人公は、気が付くと豪華絢爛な建物の中に横になっていた。
どうやら赤ん坊になっているのだと、彼はすぐに気付いた。
ここまでは、悪役令嬢であった彼と、あまり変わりがない。
強いて違いを上げるのであれば、この度の彼は、あまりライトノベルのようなものを読んだり、或いはゲームをするようなことがなかった為に、自分の身に起きた状況を、理解しかねていた。
けれど、少し気の小さいところのあった彼は、自身を取り巻く状況が、そう自分にとって悪いものではなかったことから、現状を好意的に受け入れてもいた。
…しかし、比較的すぐに、彼は知ることになる。
決して彼の生まれ出でた場所が、優しい世界ではないのだと。
さぁ、一人の物語の幕が開く。
これは、ある一人の小心者の男が歩む、残酷で残虐で冷たい運命の物語。
**********
北風が吹く。
ビュウビュウ。ビュウビュウ。
身体の底まで。
心の底まで。
痺れるほど冷たく、凍えるような女神の吐息だ。
ガタガタと、窓が揺れる。
ピシリと、衝撃でヒビの入った透明の境界に、僕は手を触れる。
その隙間から、雄たけびのような声と、振動が伝わってくる。
ああ、もう終わりの日はやって来たのだ。
僕は、一人静かにそう思った。
身体を壁に預けると、余計にその轟きが沁み入って来るようだった。
怒号、雄たけび、憎しみの怨嗟、真っ暗な溝が、ズブズブと足を引く。
僕がいるのは、この国を統べる張りぼての城。
人々の血と涙と命と、犠牲で成り立つ、血塗られた悪魔の城。
宛ら、それはかつて誰かが教えてくれた、魔王か、ラスボスか。
そんな存在が住む、悪鬼羅刹の万魔殿、伏魔殿。
周囲は、人の心を蝕む毒の沼に侵され、侵されていることにすら気付かぬまま、人々は私腹を肥やし、知らぬ誰かを足蹴にする。
腐った国だ。
日本に生まれ、育ち、暮らして来た僕には、誰よりも分かっていた。
けれど、それを指摘する勇気は、僕にはなく、ましてや、正す力もなかった。
今の僕を産み、育て、育んで来た彼らに、感謝こそすれど、庇うだけの感情は、最早僕には存在しなかったのだ。
ただ、僕に与えられたのは、僕だけが、生き延びる道だ。
間もなく、この国は滅ぶだろう。
正義に怒れる、勇気ある者たちによって。
しかし、それを許せば、僕の命もないのである。
それは、許し難い。
一体僕が何をしたのかと、そんな不義は言わない。
僕は、この国で、何も知らず、いや、何も知らない振りをして此処まで生活をして来ただけで、そもそも罪を背負っている。
分かっている。
理解している。
だが、だからといって、この命を散らすことは出来ない。
したくない。
僕は、運命に抗うと決めた。
自分が可愛いだけの、まさにこの国の…悪の王子として相応しい。
何と言う傲慢か。
僕は、僕の他に救いたい人もいないのに。
それなのに、きっと僕等の犠牲の上に成り立つ、相当数の幸福を、今まさに踏みにじろうとしているのだ。
生きたい、死にたくないという、ただの我がままによって。
「「ご主人様」「マスター」「エリオット」「エリオ様」」
この数年で聞き慣れた、七色の声が僕を呼ぶ。
彼は、男であり、女であり、少年であり、少女であり、老人であり、老婆であり動物であり、物であり、神であり、悪魔でもある。
不気味だと、煩わしいと、それ故に希少で価値があるのだと、滔滔と言い聞かされ、光を失った瞳は、それでも真っ直ぐに僕を見つめていた。
「「逃げないのですか?」「逃げないのか?」「逃げないと殺されちゃうよ」「これから、どうなさるおつもりですか」」
四方八方から語りかけられているような錯覚に陥る。
けれど、この問いはすべて目の前の美しげな男から発せられていた。
この国において、僕の味方は、結局は彼だけだった。
僕は、彼の首という首に嵌められていた枷を、合図と共に外す。
足首、手首、そして首…。
年齢の割に、病的なまでに細いそれらの首に似合わぬ、ゴツゴツとした鉄。
枷は外れると同時に重力に従って床へと落ちた。
カラカラと、思っていたよりもずっと軽い音が響く。
それは、外から聞こえる声にすら、かき消されそうな程か細い。
この程度の物に、すべての者は縛られていたのかと思うと、歯痒いものだ。
「エリオ様…」
驚いたのだろう。
彼は、珍しく己の声で話していた。
いや、珍しいも何もない。
ただ彼は、枷によってそうあるように縛られていただけだ。
ただの枷に、そのような力があるなど、どうして信じられるというのか。
床に落ちているそれは、力任せに叩けば、すぐにでも壊れてしまいそうな色をしていた。
僕は苛立ちを込めて、その枷を蹴り飛ばす。
枷は、既に壊れかけていた窓を叩き割り、外へと飛び出して行く。
すると、余計に外の喧騒が大きく聞こえるようになった。
「僕は逃げないよ、レイ」
ゆらりと、顔を上げる。
目を合わせると、男は…レイは、怯えたような目で僕を見ていた。
違うよ、レイ。
お前を殴ったのは、蹴ったのは、叩いたのは、切ったのは、焼いたのは、辱めたのは、僕じゃないよ。
例え僕の向こうに、誰かを見ただけなのだとしても、僕には、それが吐き気がする程耐えがたい。
離れて行く。
その度に、日本の面影が、消えて行く、霞んで行く。
僕の中の、衿澤音彦は、死んでいく。
「残念だけど、この国は滅びない。僕が、いる」
「…どうなさる、おつもりで?」
「どう?さぁね。僕にだって分かるものか」
悲鳴が響く。
轟音が響く。
殴打音が耳触りだ。
耳触りのはずの、聞き慣れた音。
それもきっと、今日で終わりだと。
ここに攻め入った皆は、信じている。
だけど、ごめんよ。
それは、許されない。
僕は、死にたくないから。
その為なら、何でもするよ。
「だから、お前は逃げなよ。レイ」
「え…?」
鳩が豆鉄砲を食らったような顔、か。
そんなもの、初めて見た。
誰もかれも、すべてが死んでいるこの国で。
本当の意味での喜怒哀楽を、一体誰が湛えていただろうか。
僕は、知らない。
「分からないかな?僕が枷を外した意味…。まさか、逃げるお前の背中へと、魔術の一つでも打って殺してやろう、なんて…僕が考えているとでも思うのかい?」
「め、滅相もございません…。ですが、理由が、分からず」
目が泳いでいる。
それをジッと見ていると、何故か笑いがこみあげてくる。
傍から見れば、気が狂ったようにでも見えるのだろう。
悪徳国王が弑される、まさにその時に、実の息子が笑っているのだから。
前世の僕であれば、衿澤音彦であれば、あり得ない反応だ。
分かっている。
もう僕は、二度とあの懐かしい日本の地へは戻れないだろう。
僕の手は、きっと既に、血に塗れている。
この世界の両親と、同じだ。
「理由、か」
ポツリと呟く。
さて、本来であればこのような声も、飲み込まれて聞こえないはずなのに。
どうして、こうも妙に響くのだろうか。
それすら、笑いのツボに入って来るのだから、面白い。
「そんなものはないよ。ただの、僕の気紛れさ」
「エリオ様…本当に、」
「しつこいな。逃げろって言ってるだろ」
「っ」
ぴしゃりと言い放つ。
それでも、レイはその場を動こうとしない。
此方こそ、理由を問いただしたい気分だ。
どうして、自分を辛い目に遭わせていた人から離れられる機会を得ながら、それをふいにしようとする?
まったく、理解が出来ない。
或るいは、日本に忘れて来てしまったものがあれば、分かるのだろうか。
「貴方様は、私めを救って下さいました。ですので私には、その御恩に報いる為にも、魔避けの役を果たす義務がございます…」
震える声で、何を言うのか。
魔避けと言えば、日本で言う弾避けだ。
つまり、代わりに銃弾を受ける、壁の役割。
望んでもいない癖に。
もう自身を拘束する枷もないのに。
幼い頃より繋がれ続けたその足は、もう僕から離れられないとでも言うのか。
それなら、僕は一体何処へ行けるというのか。
僕だって、この立場より外へ、行ったことなどないと言うのに。
「そんな物は要らない。僕は死なないからね」
「お言葉ですが、この城にいたすべての奴隷は、既に解放されています。国民たちも、示し合わせて一斉蜂起したと聞いております。そんな中、落ちのびることさえ不可能なのではないでしょうか?」
「くどい。僕は平気だよ」
窓の外を見る。
まだ時間は深夜だろうに、煌々とオレンジ色の光が揺れている。
ああ、何処かの馬鹿が放火でもしたかな。
いや、もう目的はほぼ達せられたのだろうか。
最早、隠れる必要すらないのか。
迫りくる足音。
ああ、もう時間もないのだろうか。
僕はゆったりと笑う。
前世の僕であれば、考えられない行動だ。
いや、違う。
今も僕は、そうは変わらない。
僕に向かう悪意が、怖い。
真っ直ぐにやって来る暴力が、恐ろしい。
そんなものに、立つ向かう勇気など存在しない。
自信なのか。
欺瞞なのか。
はたまた、他の何かなのか。
僕は真っ直ぐに顔を上げていて、この口角は上がっている。
「それで、お前はどうする?」
「え?」
「逃げないのなら、どうするのか聞いているんだよ。僕のこれからは、きっと悪と罵られ、憎まれ、恨まれ、一生報われない人生だ。そんな僕に付き従う必要性は、ないと思うんだけどね…」
自分で言っておきながら、それには辟易する。
八方美人は相変わらず。
僕は結局、誰にも嫌われたくはないのだ。
平均で、標準で、平凡で、つまらない。
そんな人生で、本当は良かったのに。
…本当に、良かったのか。
今となっては、何も分からない。
もう僕は、普通ではない。
明らかに、異常事態。異常個体。
選ぶことも、もう出来はしない。
「いえ。…いえ、エリオ様。私は、貴方に従います。例えそこが地獄でも」
ああ、レイ。
お前は、僕なんかと違って、最高に格好良いよ。
それこそ、僕みたいな悪いヤツを倒す、正義の味方の手を取るべき人だよ。
手だけではない。
身体全てを震わせて、けれど僕に気付かれない様に、必死で押し殺して。
どうしてそこまでして、僕に付き合ってくれるんだろうか。
友情なんて綺麗なもの、僕達の間で築けるはずもなかったのに。
「そう。そこまで言うのなら、もう僕は何も言わないよ。好きにすれば良い」
「はい」
恭しくレイが頭を下げた。
その時、扉が蹴破られた。
ドカ、なのかバキ、なのか。
とにかく耳触りで、不愉快な音が鳴り響く。
「あの純白の翼…居たぞ!エリオット・フェリアードだ!」
「なっ…まさか、お前がエリオット!?」
「やぁ、いらっしゃい。招かれざるお客人方。今丁度、お茶が入ったところだよ」
来客と目が合う。
ああ、一人は会ったことがあるな。
確か、ドラマの主人公みたいな、正義感の強い、ヒーローみたいな子だった。
そう思いながら、僕は一人紅茶に口を付ける。
…少しだけ、渋い。
時間が長すぎたみたいだ。
「貴様…自分の立場を理解しているのか!?」
「勿論。恐らくは、この場の誰よりも」
「ならば、神妙に処刑台へ立ってもらおうか。出来るだろう?いや、寧ろすべきだろう?理解しているのならば」
眼前に剣が突きつけられる。
それでもなお、僕は紅茶を飲む。
この男は、誰だったか。
まったく見覚えがないが、まぁ、気にするようなことではない。
「残念ながら、処刑台に立つのは両親のみだ。僕は、謹んで遠慮しよう」
「何を言うか!この…悪魔の子が!貴様も同罪だ!」
そうだ、同罪だ。
何も、あの汚らしい両親と代わりはない。
炎に塗れる。
怒号に飲み込まれる。
こんな状況を作り上げたのは、間違うことなき、僕の両親だ。
ならば、何故こうなってしまったのか。
僕は、他に取るべき手段はあったのか。
いや、なかった。
なかったはずだ。
僕は、このような状況だと言うのに、ふと昔を思い出していた。
喉を流れ落ちる紅茶は、不思議と、涙のような味がした。
クロ「いえーい!バトンターッチ…って、何これ暗くね!?」
エリオ「全然暗くないですよ。大人向けでもまだないと思いますし…」
クロ「これで「まだない」レベル?マジで言ってるの?ねぇ、マジで?」
エリオ「…この人がいたら、第三章の雰囲気壊れるんだろうなぁ…」
クロ「あれ、俺ケンカ売られてる?買おうか?お?」
エリオ「僕はケンカは苦手なので遠慮します」