01.説明書、求む
最初に、誰の物語から始めようか。
悩むところではあるが、相応しい人物がいる。
少なくとも、僕はそう思ったのだから、彼の話から始めよう。
彼は、気が付くと見慣れぬ森の中、一人佇んでいた。
記憶はない。
直前まで、高校にいたことは覚えている。
しかし、それ以上は何も分からない。
自分がどこの誰であるのかも分からない。
それから割とすぐに、彼は自分の身に起きた異常に気付く。
そこから、この物語は始まりを告げる。
さぁ、一人の物語の幕が開く。
これは、ある一人の無欲な男が、仲間を得て、成長していく物語。
**********
(ここ…森?あれ、ってか俺何でこんな所にいるんだ??)
俺は、気が付くと森の中に独りでいた。
記憶を遡ってみると、俺は確かに直前まで学校にいたはずだった。
けれど、そこまでだ。
それ以上の事は、何も思い出せない。
(…記憶喪失?マジかよ…やべぇ、名前すら思い出せないとか最悪だろ)
何か、危ない組織にでも誘拐されたのではないか。
一瞬そんな考えが頭を過ぎり、俺は血の気が引くのを感じた。
(いやいや、落ち着け。何も思い出せないとは言え、俺が誘拐してお得な所の出身じゃない事くらい分かるだろ。誘拐とかありえない。よしよし、オーケー)
周囲に人の気配がない事だけを確認して、俺は息をつく。
少なくとも、今すぐ誰かに殺されたり、あるいは傷付けられたりすることはなさそうだ。
空を見上げると、なんだか想像よりも、空が遠い。
多少の違和感を感じつつも、とりあえず太陽の位置から考えて、現在が昼ごろである事を確認する。
早く状況を確認しなければ、夜になってしまう。
そうすると、現状が悪化する事が予想出来た。
(そういや、こういう小説読んだなー。異世界転移もの…だっけか?気付いたら森の中にいて、神様に会ったりして、チート貰うんだよな。ああ、会わないパターンもあるのか。って、流石にそれはないだろ、俺。大体、ただの森だぞ?)
右を見ても森、左を見ても森。
視界の中に、見慣れない動植物はない。
神様に会った記憶もないし、異世界だと確定出来る情報は、何もない。
逆に、ここが異世界ではない、という確定材料もないが。
まったく覚えていないが、俺の実家か何かが田舎にあって、その近辺にキノコでも採りに来たのだろう、という結論を導く。
今の所、自分を落ち着ける為の理由としては、筋が通っていて納得出来た。
…というか、納得出来る気がした。
どうしてここにいるのか、出来るのならば思い出したかったが、ここで唸っていても一向に事態が進展しない事は、流石に理解出来た。
俺は溜息混じりに、持ち物を確認する事に決めた。
サバイバル知識はないが、せめてライターか何かでも持っていれば、何とかなるのではないかと期待しながら、ポケットを漁ろうとして、固まる。
(あれ?)
正確に言うのであれば、腕を動かそうとして固まったのだ。
動かすべき腕がない。
いや、ないのかすら分からない。
何故か俺には、そういった感覚がなかった。
俺は、嫌な予感に眩暈がしそうな気持ちになる。
もしかすると、神経が切れてしまっているのだろうか。
確かに、崖から落ちたりしたショックで記憶を失っているのならば、その際の怪我によって、身体機能すら失われていてもおかしくはなかった。
痛みがないのが、今は逆に恐ろしかった。
(いやいやいやいや!痛くないなら痛くない!怪我なんてない!)
とりあえず、何の解決にもならないが、そう思い込む事にした。
深呼吸を繰り返す。
少し落ち着いた所で、俺はそもそも身体自体が大して動かない事に気付く。
そして同時に、視界がおかしい事にも気付いた。
空が遠く感じた事もそうだったが、地面が異様に近い。
てっきり、うつ伏せに倒れているのだと思っていたが、その状態で、身体を動かす事なく、空を見上げる事が出来るはずがない。
多少見る事が出来たとして、真上まで首を持ち上げる事は出来ないだろう。
出来る人は、恐らく一部の、軟体芸を生業としている人だと思う。
記憶はないが、俺は自分がそういった者ではないと思った。
俺の感覚としては、どちらかと言うと立っている感覚に近い。
冷静に考えてみると、あり得ない事だ。
そもそも、意識してみると、真後ろまで見えるのだ。
どういう理屈なのか。
考えても、分からなかった。
(俺の身体どうなってるんだ?動けないし、動けない割に全方向見えるし…)
思わず溜息をつく。
そしてそのまま俯いて、俺は自身の身体らしきものを発見した。
しかし認められずに、視界を縦横無尽に走らせる。
それでも、現実が変わる事はなかった。
視界の起点となる位置の下方に、どれだけ視界を移動させても、ずっと細い緑色の線が存在している。
視界を動かす度に、フルフルと震える。
しっかりとは見えない。
しかし、俺はしばらく試して、現状を嫌々ながら理解した。
理解せざるを得なかった。
(俺、何かの植物になっちまった…!!)
もし今、俺に身体があったのなら、顔を覆ってしゃがみ込んでいた所だ。
そう。
俺は、小さな双葉だったのだ。
って、ナンデヤネン!?
はっ。動揺のあまり、出身地でもないのにエセ関西弁が…。
関西の人、ごめん。確実にテレビの影響です。
とりあえず、落ち着け、俺。
まずは状況確認だ。
俺自身が、自分を見る事は出来なかったが、何となく自分の意思で葉っぱを動かせる事から、俺は自身が双葉であると認めた。
そして、取り留めもない事を考える。
所謂、現実逃避である。
(双子葉植物かぁ…何があったかなぁ?バラとかそうじゃなかったか?森の真ん中にバラが一輪咲いてるのも妙な話だけど、せめて綺麗なのが良いなぁ…)
元々は、そう恵まれた容姿ではなかったような気のする俺。
植物になったのなら、せめて少しだけでも良いから、通りがかった人から称賛の声を浴びたい、と思ったが、長くは続かなかった。
そもそも、人の気配がまったくない。
初めは誰にも害されないと分かって安心もしたが、今は逆に不安でもあった。
森のただ中であるにも関わらず、不自然に開けた場所の真ん中に、ぽつんと独り生えている俺。
妙に目立っているのは確かで、場合によっては、野生生物に踏みつぶされたりするんじゃないだろうか、と。
(あと、すげーヒマだな。歌でも歌えれば良かったんだけどなぁ…)
俺はボーッと空を見上げる。
声が出ないのは確かであり、歌が歌えるはずもない。
仕方がない。何せ俺は植物だ。
(しりとり、りんご、ごりら、らっぱ、ぱせり、りーる、る…るーまにあ、あさ)
自分が植物であると理解してしまえば、最早他にやる事はない。
俺はそう判断して、しりとりを開始した。
自分でも、大分神経が図太いと思うけど、それが俺なのだから仕方ない。
(りとますしけんし、したぎどろぼー、ぼーず……)
途中、看過できない単語が混じっているが、それに気付く者すらいない。
俺は少しばかりの寂しさを感じるが、もうどうしようもない。
そう判断して、結局は眠くなるまでしりとりを続けたのだった。
**********
(おっ。背が伸びてる)
結局誰に会う事もなく、何事に遭うこともなく、俺は夜を明かした。
そもそも植物にとって睡眠が必要なのかは分からない。
ただ、俺は何となく暇になったから眠り、そして気付くと目を覚ました。
その辺りの感覚は、人間と変わりないのかもしれない。
俺はそう判断すると、寧ろ寝床を考えなくても良い現状の方が楽だと思った。
すっかり順応しているのは異常とも言えるが、自身の現状は、結局は受け入れなければならない事なので、きっと、良い事なのだろう。
俺の睡眠事情はともかくとして、たった一夜を明かしただけで、俺は見違える程大きくなっていた。
昨夜、俺が植物として目覚めた時は、二センチくらいの大きさだったのが、今日は十倍以上、三十センチくらいの大きさになっていたのだ。
(うーん、凄まじい成長スピードだな。まぁ俺、植物の事なんて詳しくないけど。何に育つんだろうなぁ…楽しみだなぁ)
というよりも、今の俺には、自分の成長系を想像する以外、楽しみはなかった。
森の真っただ中で、移動手段もないのだ。
仕方あるまい。
分かっているが、非常に切ない。
(あー、でもマジ暇。ゲームしてぇ……)
俺はのんびりと、多分前世?の俺がやってんたんだろうゲームを思い出す。
ポケットに入っちゃう系RPGとか、狩人さんのアクションゲーとか。
図鑑埋め、称号埋めは俺のポリシーだった。気がする。
結構まだ残ってたんだけどなー。
ああくそっ、何で俺は今植物なんだ!!
嘆いても仕方ないのは分かっているのだが、止まらない。
ここから動けないのは我慢出来る。
だが、せめて娯楽が欲しい。
図鑑…百科事典が欲しい。
条件を達成するとオープンする系の。
図鑑ー!!
<<ポリーン>>
(……は?)
俺が、心の奥底から何か面白い物を欲していると、変な音が聞こえた。
こんな森の真ん中では、到底聞こえるはずのない電子音。
俺は困惑気味に辺りを見回す。
…見まわしているのかは不明だが。
周囲の景色に変化はない。
生き物の気配すらない。
いや、時折何かが羽ばたく音が聞こえるから、鳥はいるのだろう。
だがそれだけだ。
(気のせいか…?)
そう思った瞬間、俺は視界の左上隅に、四角く黒い物を発見した。
ぷかぷかと怪しく浮かぶそれは、俺が視界を移動させてもピタリとその位置に存在し続けている。
少しばかり気味が悪いと思いつつも、初めて見つけた不思議な物に、俺は興味をひかれて、良く良く観察してみた。
すると、それはゲームに良くあるアイコンのように見えた。
(一覧?)
そこには、灰色の少し読みづらい色で、「一覧」と書かれている。
漢字で書かれていると、途端にゲームと言うよりは、何かの検索システムのような印象へと早変わりする。
いずれにせよ、それが押せたら、何か情報が得られる。
ような気がする。
俺は何とかしてそれを押そうとするが、そう言えば指がない。腕もない。
押す手段がない。
この、これさえ出来れば何かが進む事が分かり切っているのに、それが許されないと言うのは、何とも厳しい事なんだな。
俺は、イライラというよりは、最早悟ったような気持ちでそれを眺める。
ああ、押したい。押してみたい。
(……いや、待てよ。さっきの電子音でこの一覧が出現したのなら、一覧を開くのにも、押す以外に条件が何かあるんじゃないか?)
それは名案のように思えた。
俺は早速様々な事を考えてみる。
しばらく挑戦してみて、リストを見たい!と強く思った所で、成功した。
(やった!)
一覧と書かれたアイコンの横に、ズラズラと似たようなアイコンが出てくる。
因みに、中身はこんな感じた。
[世界][道具][技芸][生物][称号]
まるで、取扱説明書みたいなラインナップだ。
いや、寧ろゲームの公式サイトか?
世界って何だ、世界って。
道具って…いや、アイテム埋めも好きだけど、武器とかは?
技芸って、普通に魔法とかで良くないか?
生物…授業か!!
称号…素晴らしい!称号とかあるの?
(って言うか、こんなの出てくるぐらいだし、ここマジで異世界…?)
少しばかり興奮したが、それは喜ばしい事ではない事に気付く。
記憶がなくとも、俺が普通の人間であった事くらいは分かる。
何しろ、思考力がこの程度なのだ。
大成していたはずがない。
そんな男…植物が、異世界なんかで生きていけるものなのか?
(……いや、植物だし平気か。考えないでおこう)
俺は頭を振った気分になると、改めて一覧を見る。
予想が正しければ、これらの中に更に詳細が書かれてるんだよな。
トラップとかじゃないよな。
……ええい、男は度胸だ!
まず、左端から順番に見るぞ!
そして俺は、気合いを入れて世界の欄を見たいと強く念じた。