第1章 何も意味のない世界で その2
主な登場人物
神楽坂 結城【主人公】
「ここか」
スマホの画面を開く。
『17:47』
予定の時刻まで残り5分を切っていた。
余裕を持って出てきたから、もっと早く着くと思っていた。普段使わない道を通ったせいで、時間がかかったのかもしれない。危うく遅れるところだった。
ともかく、夕日が山の向こう側へと沈む前には目的地に着くことができた。
ここ近辺では、太陽の光なしではどこにも出歩くことができないほどに、夜になると辺りは真っ暗になる。道路の端にだいだい1km間隔でポツンと防犯灯が並んでるだけで、他に道を照らすものはない。しいていうなら月の明かりくらいか。民家がある場所だと歩くには不自由ないが、それでも注意しないと足を踏み外してしまう。街灯すらない田んぼの近くを歩いたときには、泥まみれになることを覚悟した方がいい。
自慢じゃないが、僕は今までに3回だけやらかした。その度に妹に叱られた。それほど夜は危険なのだ。
......とまあ、そうは言ったものの、スマホさえあればなんとかならないでもない。
ライトを付けて道を照らせば何かに躓いたり泥に足を突っ込むこともないし、それに自分がどこにいるのかわからなくなった時は地図を開けばいい。
昔は懐中電灯を使って歩いている人を見かけたりしたこともあったが、今ではほとんど見ない。
そう考えると、スマホって本当にすごいなと思う。10年前の自分がこんなものをポイって渡されたら、秘密道具かなんかだと勘違いしてしまうだろう。それほどよくできている。
僕はスマホの充電が残っていることを確認して、ポケットの中にしまった。
「さて」
道を歩きながら辺りを見渡してみる。
そこには、微かに残っていた記憶通りの光景が広がっていた。
伸びきった草が路肩を超えて覆いかぶさり、車1つが辛うじて通れるくらいの道路が1本。その道路の左手には山のふもと(というか見た目は森そのもの)があり、右手には竹のような木々が立ち並んでいる。上を見上げると、山側から生えてきたで木で天井が覆われており、その隙間から漏れ出す夕日の光が何とも美しかった。
幻想的に見える場所ではあるが、特にこれと言って変わった事はない。いったいここで何があるというのだろうか。
僕が今立っているこの場所から前後50mの範囲は景色が変わらず、まったく人通りがない。
それもそのはず、ここは人々が住む地域から遠く離れており、わざわざここを通ってどこかに行くという事があまりないのだ。
人通りがほとんどないぶん、道草がいいように成長していた。
「こんなところに誰か来るのか?」
そう、いくつか候補がある中で最も可能性があると踏んでいるのは、美咲を殺した犯人がここに現れること。あのメールがいたずらではないという前提条件を満たしたうえで考えた結果、『ヒント』というのはやはり美咲に関すること以外考えられなかった。
初めは100%、単なるいたずらだと思っていたが、あの一枚の写真がそんな甘い考えをぶち壊した。
あれは完全に僕のことをおちょくっているとしか思えない。
だが、もしここ犯人が現れたとしたら?
本当にそいつは犯人なのか?
犯人だとしたら......僕はどうするべきなんだ?
なんだか頭が痛くなってくる。僕はこういった哲学みたいなものが嫌いだ。モヤモヤする感じが気になって気になってしょうがない。
考えるのを止めようとした。
「ビ――――――――!」
突如、電子音のような音が鳴った。
「ッ! なんだ!?」
けど、この音には聞き覚えがあった。
左ポケットに手を突っ込み、即座にその音を止める。
「......はぁぁああ。焦ったぁ」
犯人はスマホのアラーム音だった。
「そうだよ......アラーム設定してたな...」
他人から物忘れが酷いとよく言われるが、確かにそうなのかもしれない。
だが、アラームが鳴ったという事は時刻は『17:51』。
いよいよ、メールに書いてあった時刻となった。
「......」
時折吹く風が木々を揺らし「ガサガサ」と音を立てている。耳を澄ますせば、微かに虫たちの鳴き声が聞こえてきた。
首を振って視線をあちこちへ動かした。
道路には、誰もいない。また、森の中からも人の気配は感じなかった。
特にこれといった事は起きない。
「.........ふぅ」
深くため息をついた。
何も起きない。そうだよな?
気持ち的には多少安心したが、なぜか身体の緊張は一向に解ける気配はなかった。呼吸は荒くなるばかりだし、夏の暑さも相まって、全身から汗が滲んでくる。そして何故かわからないが頭の奥が痛くなってきた。しまいには、耳鳴りが聞こえ始めるくらいだ。
何もないということが逆に不安を掻き立てていた。
今にして思うが、こんな堂々と道路のド真ん中に立っててもいいものだろうか。ここで何が起こるかもわかっちゃいない。何かあってからでは手遅れになる。
不安が不安を呼び込む。
___せめて『17:52』になれば、この胸騒ぎも収まるのに。
身を隠せそうな場所を探し、急いでそこへ向かう。ちょうどいい大きさの木を背後に、高鳴った心臓の音を鎮めようと大きく息を吸い込んでゆっくりと息を吐いた。
「なんでこんな緊張してるんだ?」
こんなに緊張するのは、去年のマラソン大会以来だ。
「っ!......まだ頭がいてぇ」
両手で頭を押さえこむ。脳の奥深くが脈打つように痛む。
「ああ、くそっ!」
一向に止むことがない胸の鼓動と偏頭痛のような頭の痛みに嫌気が差した。
極度の緊張が原因なのだろうか。緊張で頭が痛いなんて聞いたことないぞ。
「.........あっ」
しまいには、鼻から血が数滴垂れてきた。
「嘘だろ」
もちろん、ティッシュなんて物は持ちあわせていない。どうしようもできないので、人差し指と親指で鼻をつまむ。
何してんだ、僕は...
1人で興奮して、挙句の果てに鼻血なんか垂らして。
スマホの時間を確認する。まだ『17:51』から1分も過ぎていない。
もしかしたら、何も起きないのではないか。そう思いながらも先ほど自分が立っていた場所に視線を向けた。
少女と目が合った。
えっ.........?
心臓が今日一番の音を立てる。
寒感が全身を駆け巡る。
衝撃のあまり、身動きが取れなくなった。
「は? え? え、.......え?」
脳が不具合を起こしたのか、語彙力という語彙力がなくなった。やっとのことで意識が戻ると、まず最初に思ったのは、「いつからそこにいた?」だった。
さっきまでは誰も居なかった。
居なかったはずだ。
そして次に思った言葉が口から出た。
「だ...れ?」
僕と少女の距離は10mほど。
数秒、僕たちは見つめ合っていたが、先に動いたのはその少女だった。
少女は唇の端をゆっくりとあげ。
『見つけた』
聞こえはしなかったが、唇の動きがそう言っていた。
頭痛がピークに達する。
脳からはガンガンと危険信号が鳴っている。
「あ......」
やばい。
これ、やばいやつだ。
「ヒッ...!」
既に視界の中には少女の姿はない。
気づいた時には、僕は走っていた。