09 村のシスターさん
「おじいさま。勇者様と賢者様がいらしているというのは、本当ですか!?」
それは修道着をまとった少女だった。
年齢は十四歳くらい。
シスターベールからはみだした髪は淡い金色で、瞳の色は緑。
どこか小動物を思わせる愛らしい容姿である。
それにしても彼女。村長に「おじいさま」と呼び掛けた。それはつまり。
「あれはワシの孫です。ほらルシール。こっちに来て勇者殿と賢者殿に挨拶しなさい」
「はい! はじめまして。勇者様、賢者様。ハイン村へようこそお越しくださいました。わたくしはルシール。村長の娘であり、あの教会のシスターをしています」
ルシールは修道服のスカートを摘んで広げ、会釈する。
「これはご丁寧に。俺は勇者のツカサです」
「私は賢者のハルカです。よろしくね、ルシールさん」
と、俺たちが名乗ると、ルシールは目を輝かせ顔を赤く染めた。
「まあ、そんな。わたくしのことをはどうか呼び捨てにしてくださいまし。そして敬語など無用です。なにせ、あなた方は世界を救った英雄。女神エレミアール様の力を授かった神の子。むしろどうか跪かせてください!」
ルシールは、本当に俺とハルカの前で跪き、そして胸の前で手を組んで祈り始めた。
うーむ……魔王を倒して以来、過剰に褒めら讃えられることはあったが、祈られたのは初めてだ。
流石に戸惑う。
どう反応していいのか分からないので、俺とハルカは助けを求めて村長に視線を向けた。
すると村長は苦笑していた。
「申し訳ありません。どうもこの子は昔から、神話や伝説の類いが好きでして。特に、魔王を倒したあなた方のことを尊敬しているらしいのです」
「それにしたって祈られては困ります。ルシールさん。お願いですからやめてください」
俺はほとんど懇願するように言った。
だが彼女は頑として祈り続ける。
「その〝さん付け〟をやめてくれるなら、祈るのをやめましょう! どうかわたくしをルシールと呼び捨てにしてください!」
「……ルシール」
「ああ、なんて素敵な日なのでしょうか。勇者様に呼び捨てにして頂きました。一生、記憶にとどめておきますわ」
ルシールはやけに感激していた。
しかし俺はある程度親しくなると、たとえ相手が年上でもタメ口をきいてしまうので、呼び捨てにするなんて珍しくもなんともない。
「さあ、賢者様もわたくしを呼び捨てに!」
「え……今、やらなきゃ駄目……?」
「祈りますよ!」
「なんて子かしら……ほら、ルシール! これでいい?」
「はい! 感激です!」
なんだかルシールが尻尾を振る犬に見えてきた。
もっとも卑屈な様子はなく、むしろ押しが強すぎる。
単純に俺たちに会えたのが嬉しいのだろう。
だが、ずっとこの調子だとこちらが疲れる。何とかしないと。
「ところで、教会には当然、神父さんもいるんでしょう? まさか……神父さんもルシールと同じノリだったり?」
「いいえ、教会に神父様はいませんわ。洗礼も結婚式も葬儀もミサも、わたくしが全て一人でやっています」
「え……そういうことってあるんですか?」
俺の知る限り、教会と神父はセットだ。
シスターだけで、それもこんな少女が一人で運営しているなんて聞いたことがない。
「昔は素敵な神父様がいたのですが……三年前に天に召されてしまい……代わりに領主様の次男が神父として赴任してきました」
ルシールの話を聞いて、俺は理解した。
貴族の家督や領地は、基本的に長男が継ぐ。ゆえに次男以下はコネを使って騎士になったり聖職者になったりするのだが、それが必ずしも務まるとは限らない。むしろ、名ばかりの役職を得て、遊び呆けている者のほうが多いかもしれない。
「その次男坊は神父のくせに教会を放置して、どこかで遊びに行ってしまった、と」
「いいえ。真面目に働いていましたよ? しかし、幼いわたくしに対していやらしい視線を送り……ついには教会の床にわたくしを押し倒し、修道服を無理矢理脱がせ……」
何だか急に重たい話になってきた。
ルシール、それで心に傷を負ってこんな変な性格に……?
「普段からそいつの視線にムカついていたわたくしは、絶好のチャンスに感謝。すかさず正当防衛パンチ! そして吹っ飛んで床でのたうつクソ次男に正当防衛キック! 悪は滅びましたわ!」
ええ……。このシスターさん怖い。
しかも三年前って、ルシールがまだ十歳くらいの頃の話だ。
そんな小さい少女が貴族の次男坊を蹴る殴る。
「……村長。どんな育て方をしたんですか?」
「ワ、ワシをそんな目で見られても困ります。この子の死んだ母親は、昔から病弱で寝たきりのことが多く、その代わりになろうとたくましく育ってしまったのです。ワシのせいではありません」
「いや、たくまし過ぎるでしょ。領主の息子にそんなことをして……そのあと、どうなったんです?」
「ふふ……わたくしの女子力に恐れをなしたクソ次男は村から逃げ出し、王都にいる領主様に泣きつきました。しかし領主様は聡明な方なので、自分の次男がしでかしたことを恥じ、むしろわたくしに謝ってくださいました。そしてクソ次男は頭を丸められ、孤島の修道院送り。めでたしめでたし、ですわ」
「めでたしめでたし……じゃねーよ! アグレッシブ過ぎんぞ。つーか、クソ次男が恐れをなしたのは女子力じゃなくてキック力だろうが。そんなシスターがいてたまるか、女神への冒涜だぞ、今すぐ修道服を脱げッ!」
「まあ、酷いですわ、勇者様。正当防衛は乙女のたしなみ。この世の乙女は皆、自分の魅力で殿方を魅了し、そして襲われたところを正当防衛の名の下にボコボコのギタギタにしたいと夢見ているのです」
そんな馬鹿な。と叫ぼうとしたが、しかし俺が知らないだけで、乙女は皆、本当にそう思っているのかもしれない。
「ハルカもそうなのか?」
「え、私はツカサに襲われたいといつも思ってるけど反撃とかは別に……って、何言わせるのよ!」
「お前こそ何言い出すんだよ!」
二人っきりならともかく、まさか人前でこんなことを言われるとは思わなかった。
何だ、ルシールの馬鹿がハルカに感染してしまったのか。
「ちなみにわたくしも勇者様が相手なら、襲われても反撃いたしませんわ……」
「襲わねーよ! だから服を脱ごうとするな!」
「え、しかし勇者様は先程『今すぐ修道服を脱げッ!』と激しく叫んでいたではありませんか」
「そういう意味じゃねーから」
「勇者殿。孫をよろしくお願いします」
「頭を下げるな! やっぱ、あんたがそんなんだからルシールがこう育ったんだろうが!」
俺は怒鳴り散らし、ついテーブルを叩いてしまう。
だが、俺はむしろ我慢したほうだと思うぞ。褒めてくれ。
「まあ、勇者様ったら。おちゃめですわ。こんなの冗談に決まっていますのに」
「知るか!」
「ですが勇者様。わたくしの脱ぎかけの姿に見とれていましたわね……」
「見とれてない! ビックリしただけだ!」
俺は一点の曇りもなく、嘘偽りなく正直に答えた。
なのにハルカが「むー」と唸りながら睨んでくる。
「ツカサ。本当に見とれてないの? 浮気は駄目よ……?」
「この状況で『浮気』って単語が出てくるのが心外だ。というか、こんな漫才まがいのことをしたくて来たんじゃない」
ルシールのキャラクターが強烈すぎて目的を見失いかけていたが、俺たちにはやるべきことがあったのだ。
「村長。俺たちがこの村に来たのは、水質調査のためです。かつてワイン造りのために使われていた井戸……まだ残っていたら、そこに案内してくれませんか?」
「水質調査ですか……? 構いませんが。はて、今更何のために?」
村長は不思議そうに首を傾げ、ルシールも同じ仕草をする。
無理もない。
勇者と賢者が酒造りを計画しているなんて、たとえ女神様でも予想できないだろう。