08 ハイン村
ハイン村の人口は三百人ほどだ。
村の周りには大きな麦畑が広がっている。
牧畜も盛んらしく、近くの森には豚が放牧され木の実を食べ、休閑中の耕地では牛が雑草を食べて育っていた。
川には水車があり、魚を捕まえる網も仕掛けられている。
村で一番大きな建物は、中央に建つ教会だ。
アルバーン王国はエレミアールという女神を信仰しており、シンボルである聖剣のレプリカが飾られていた。
何でも、かつてこの世界を創造した女神エレミアールが、他の世界から攻めてきた邪悪な神々を聖剣で追い払ったらしい。
この世界の人々は大抵、エレミアールに対する信仰が深く、その名を拝借してエレミアと名付けられた女性も多い。たとえば俺たち行きつけの居酒屋、オールドマザーの店主も、エレミアという名だ。
女神エレミアールが使ったオリジナルの聖剣がどこにあるのかは分からない。
しかし勇者である俺は、手の平からその聖剣と全く同じ形の剣を出すことが出来る。
聖剣の力を以てして魔王を倒したわけだから、女神エレミアールの伝説は本当なのだろう。
そして、教会の次に大きな建物は、村長の家だ。
アルバーン王国は封建制であり、国王から領土を与えられた領主があちこちにいる。
もっとも、農民が奴隷の如くこき使われているというわけではなく、ちゃんと自分たちの畑を持っていた。そこで育てた作物を貨幣に代えて領主に納めている。
そう、この国は貨幣経済が田舎の村まで浸透しているのだ。
俺は学校の勉強を真面目にしていなかったから詳しくないが、ハルカいわく、中世の終りに差し掛かっているらしい。
「いやはや。まさか勇者殿と賢者殿をこの村に迎えることができるとは。まあ、まずは乾杯といきましょう」
白髪の村長が、俺たちとテーブルを囲んで木製のジョッキを持ち上げた。
中身はビールだ。
歓迎を断る理由などないので、俺とハルカもジョッキを手に取り、村長と乾杯し、泡だったビールを喉に流し込む。
冷えてはいないが、美味かった。
ちなみに村長の家は、彼の住居というだけでなく、宿屋であり、雑貨屋であり、そして居酒屋もかねていた。
俺とハルカはその居酒屋のスペースに案内され、貸し切り状態で昼間っからビールを飲むという贅沢を味わっている。
なぜ村長がこれほどの役目を担い、そして昼間からビールを飲む特権を持っているかといえば、領主から村の運営を委任されているからだ。
領主自身が領地の運営に積極的にかかわることもあれば、誰かに委任し普段は領地にいないというケースがある。
ハイン村は後者であり、村を預かっているのは村長だ。
「美味しいビールをありがとうございます。それにしても、これほどの村を管理するのは大変でしょうね」
「なに、ワシはこの村の出身ですから。皆、気心が知れた者ばかりです。今日はお二人が来たからこうして昼間から飲んでいますが、普段はワシも農作業をしているのですぞ。まあ、働く前に一杯、という特権はありますが……これは村の皆には内緒です」
なんて言いながら、村長はお茶目にウインクした。
これが美少女なら可愛いのに……お爺さんにそんなことをされても困るぞ。
「ところで村長さん。十年前まで、ハイン村でワインを作っていたらしいですね」
「おお、よくご存じですな勇者殿。今でこそ麦畑がメインですが、当時はブドウ畑が広がっていたものです。あのワインは美味しかった……しかしワイン醸造の許可を得たと思ったら、すぐに疫病でブドウが全滅してしまいましてな。領主様はやる気をすっかり失ってしまい、ワシに村を任せて、王都に引っ込んでしまいました」
なるほど。村長が村を託されたのは、そういう理由か。
「さぞ水質もいいのでしょう?」
「それはもう。この村の井戸水を飲んでいるからこそ、この村の者は頑丈なのです。まあ、頑丈すぎて冒険者になってしまう者が多いのですが……」
仕方がない話だ。
かつて魔王に支配されていたモンスターたちは、いまだ世界各地を跋扈している。
それと戦うための冒険者はつねに人手不足で、金になる商売だった。
村でワインを作っていたときならともかく、若者が冒険者になって出て行くのは必然だろう。
「けれど、私とツカサが魔王を倒したんですから、そのうち冒険者になった人たちも帰ってくるんじゃないですか?」
ハルカがそう言うと、村長は少し悲しそうな顔を見せた。
「戻ってくる者もいるでしょう。しかし、ワシの息子は戻ってきません。形見の兜だけが送り届けられました」
ああ、それは……何と言っていいのか分からない。
冒険者は金になるが、当然、危険を伴う。
若くして死ぬなんて珍しくも何ともない。
「あの……ごめんなさい」
ハルカは泣きそうになりながら謝る。
すると村長は逆に笑ってくれた。
「賢者殿が謝ることではありません。息子が死んだのは五年も前です。とっくにふっきれました。それに可愛い孫娘がそばにいますから、寂しくもありません」
村長がそう言った瞬間。
居酒屋の扉が開き、小さな人影が入ってきた。