30 酒はどれも美味いのだ
時は流れ、春。
降り積もった雪はすっかり解け、動脈硬化のように止まっていた物流がまた活発になる。
俺とハルカは、咲き誇る花や飛び交う蝶を眺めながら、馬車で国境を越え、ドワーフの里にやってきた。
荷台に積んでいるのは二ダースの米焼酎。
完成した純米大吟醸が一本。
それから、秘密兵器だ。
「ビバラさん。お久しぶりです」
「お久しぶりです!」
「ん? おお、勇者と賢者か。精米機の調子はどうだった?」
ビバラの家に行くと、彼は相変わらずウイスキーを飲みながら、自分の作品を眺めていた。また色々と増えたような気がする。
「精米機は完璧でしたよ。今日はその成果をお持ちしました」
俺は手に持った一升瓶をかざしてみせる。
ラベルには〝純米大吟醸『楽桜』雫搾り〟と書いてある。
無論、この世界の人々は漢字を読めないが、模様だと思ってくれればいい。
「そいつが俺の精米機を使ったニホンシュか」
「はい。ビバラさんに是非、飲んでもらおうと思って」
「絶対美味しいですよ!」
ビバラは俺たちの顔を見て、そして肩をすくめ、申し訳なさそうに口を開いた。
「なあ、勇者に賢者。分かってると思うが、俺が人間の依頼を受けるなんて、滅多にないことだ。なのに精米機を作ったのは、お前らの酒造りに対する想いを気に入ったからだ。自分と同じような職人魂を感じ取ったからだ。だが、お前らの造ったニホンシュを俺が美味いと感じるか否かとなれば、また話は別だ。あいにく俺は、ニホンシュを美味いと感じる舌を持ち合わせちゃいないんだ」
「しかし、前に会ったときは飲んでくれると言ったでしょう」
「言った。だからどうしてもと言うなら飲む。しかし、俺はお前らをガッカリさせたくない。お前らの造ったニホンシュはきっといいものなんだろう。分かる奴にとってはな。それは俺たちドワーフが作る物だって同じだ。間違いなく俺たちは素晴らしい物を作っている。しかし、たまに馬鹿な奴がいて、たんに高く売れるからという理由だけで買い付けにくる商人がいる。そういう連中は全員、叩き出してきた。その点、あのロランって奴は見る目があるぜ。んで、俺はニホンシュに対して見る目がない。そんな俺に無理に飲ませたって仕方がないだろ。米焼酎ならいくらでも飲むぜ」
「どうしても飲んで欲しいんですよ。これでも不味いと言うなら、ビバラさんにニホンシュを勧めるのはキッパリ諦めますから」
「お願いビバラさん。今度の日本酒は前のと違うから!」
「そうか……そこまで言うなら飲んでやろう。そして男が口にした以上、守れよ。これで駄目なら、もう俺にニホンシュを勧めるな」
「ええ、もちろん」
俺たちには自信があった。
この〝純米大吟醸『楽桜』雫搾り〟は、去年の楽桜とは別物だ。
これで不味いと言われたら、俺の造り方が駄目だったのではなく、日本酒そのものが駄目なのだろうと思えるほどに。
だからこそ、負けられない。
日本酒を美味いと言って欲しい。
「じゃあ、早速飲むぞ。持ってこい」
「……いえ。その前に、台所を借りてもいいですか?」
「台所だぁ? 別に構わんが、何をするつもりだ。日本酒と何の関係がある?」
「ハルカ。許可が下りたぞ、秘密兵器を持ってこい」
「分かったわ!」
ハルカは元気よく返事し、馬車から平たい木箱を持って来た。そのまま台所へと走って行く。
それを見て、ビバラは訳が分からないという顔をしている。
なので俺は、少しヒントを出すことにした。
「ビバラさん。以前、他のドワーフから聞いたんですけど、魚の干物が好きだとか」
「ああ、そうだ。ここは内陸だから新鮮な魚は入ってこない。だが、干物は長持ちするから手に入る。あの塩っ気がたまらないんだ」
干物の味を思い出したのか、ビバラは涎を吸い込んだ。
「ビバラさんはよくウイスキーを飲んでいますが、干物をつまみにしたことは?」
「……いや、ない。干物とウイスキーは、あんまり合わないからな」
そうだろう。
この辺のウイスキーはスコッチに近い味だ。
バーボンのようにパンチのある酒ならともかく、スコッチの上品な味は干物と相性が悪い。
「今、ハルカが台所でマスの干物を焼いています。ほら、匂いがしてきたでしょう」
「おお、本当だ! 冬の間、ロランですらこの里に来てくれなかったから、魚は久しぶりだな。で、どうして干物を焼く?」
「日本酒と一緒に、干物を食べてもらおうと思って。ウイスキーは合わなかったかもしれませんが、日本酒ならピッタリですよ」
「……ふむ。そういうもんか」
ビバラは半信半疑……いや、三信七疑という声を出す。
と、そのとき、ハルカが皿を持って台所から帰ってきた。
「おまたせ!」
ハルカはビバラの前に干物が載った皿を置く。
俺は棚から新しいグラスを取り出し、純米大吟醸を注ぐ。
「さあ、どうぞ」
「ああ……」
ビバラはまず、干物をフォークで食べる。
口に入れた瞬間、これだよこれ、といった顔をする。実に満足そうだ。
干物を飲み込んだあと、疑わしそうにグラスを口に持っていく。
軽く一口、純米大吟醸がビバラの口に入っていく。
そして――彼は目を見開いた。
「うめぇ……!」
その瞬間、俺とハルカはたまらずハイタッチをしてしまった。
食事をしている人の前で礼を失する行いだ。
それに気が付き、大人しく縮こまる。
しかしビバラはまるで気にした様子もなく、こちらが謝罪の言葉を述べるより早く質問を飛ばしてきた。
「なぜ美味いんだ……? 俺は前、ニホンシュを拒絶した。別に不味いというほどじゃなかったが、もう一度飲みたいとは思わなかった。そしてこれは……確かに前のとは違う酒のようだが、しかしニホンシュはニホンシュだ。どうして俺はこんなに美味しいと感じている? 何が違う? お前ら、どんな魔法を使った?」
ビバラはいくつもの疑問を並べる。
それに対する答えは一つ。
「干物と一緒に飲んだからですよ。干物が日本酒の味を高め、そして日本酒が干物の旨味を引き出す。酒はそれに合ったつまみと一緒に食することで、別物に変身するんですよ」
「そ、そういうものか……? いや、確かにこれは……なるほど、こりゃ凄いな!」
ビバラは日本酒を飲んでから、また干物を食べる。
干物を食べたら日本酒を飲む。
さっきまであれほど嫌そうにしていたのに、グラスはすっかり減っている。
「堪能した……勇者、賢者。礼を言うぜ。酒も干物も、かつてないほど美味かった」
「ありがとうございます。料理をより一層美味しく食べるための酒。そういう考え方もあるということです」
俺は調子に乗って、偉そうなことを言ってみる。
そのとき、ビバラはニヤリと笑った。
「勇者。お前が言っていることは正しい。しかし干物に合わせるなら、別に米焼酎でもいいんじゃねーのか?」
「うっ……それは」
図星だった。
確かに米焼酎も干物に合う。
日本酒でなければならないという理由はない。
「というわけで、米焼酎も飲ませろ。一緒に積んできたんだろ?」
俺は馬車から米焼酎を持ってきて、言われるがままグラスに注いだ。
それを干物と合わせて飲んだビバラさんは、数秒間、考え込む。
そして――。
「俺の中では、互角、だな」
なんとも微妙な判定を口にする。
「だからお前ら。来年もニホンシュを持ってこい。また飲んでやるよ。俺が米焼酎より美味いと断言するようなニホンシュを造ってみな」
「……はい!」
「ビバラさん、ありがとうございます」
これは勝ったと言えるのだろうか。
負けては、いないだろう。
なら、今のところはそれでいいような気もする。
日本酒は美味い。これは当然だ。
焼酎も美味い。ウイスキーも。ビールもワインも、酒はどれも美味いのだ。
俺たちはただ、自分の信じる酒を造るだけだ。
そしていつか必ず、ビバラの舌を日本酒単体で唸らせてみせる。




