06 オールドマザーの新メニュー
王都の片隅にある居酒屋、オールドマザー。
カウンターとテーブルを合わせても二十人ほどしか入れない、小さな店だ。
別に有名店というわけでもないし、店主のエレミアさんが一人で切り盛りしているから、これで丁度いい規模だろう。
エレミアさんの人柄のせいか、常連客が多く、いつ行っても知った顔がウインナーをつまみにビールを飲んでいる。
俺はそのオールドマザーに、どぶろくを詰めた樽を担いで尋ねて行った。
「いらっしゃいませー……って、何だ、ツカサじゃない」
メイド服を着て給仕していたハルカが、つまらなそうに言う。
そう。こいつは、どぶろくをオールドマザーに置いてもらう代わりに働き始め、そしてまだ続けていたのだ。
「何だよ、本当は嬉しいくせに」
「なっ……!」
俺が即座に反撃し、それにハルカは言葉を詰まらせる。
そんな俺たちのやり取りを見ていた客たちが口笛を吹いた。
祝福してくれて、ありがとう!
「いらっしゃい、ツカサくん。けど駄目よ、ハルカちゃんを虐めちゃ」
「こんばんは、エレミアさん。俺、好きな奴を虐めたくなるタイプなんですよ」
「あら、まあ。じゃあ仕方ないわねぇ」
「な、何が仕方ないんですかっ!」
ハルカが何やら怒っているが、無視だ無視。
というか仕事しろよ店員さん。
「それで、その樽の中身、どぶろく?」
「はい、約束の樽一つ分。分かっていると思いますけど、ここからは有料ですよ」
「当然よ。けど、こんな大きな樽を担いでくるなんて、ツカサくんは力持ちなのね」
「まあ、勇者ですから」
「そう言えばそうだったわね。ふふ」
エレミアさんは頬に手を当てて微笑む。
何度見ても飽きない、おっとりとした笑顔だ。
「ツカサ! なに鼻の下伸ばしてるのよ! 私のことが好きなんじゃないの!?」
「それとこれとは別だろう……ほら。客が呼んでるぞ」
俺の視線の先では、空になったジョッキを掲げた男が、おかわりを要求していた。
「あ、はーい、いま行きまーす」
ハルカは長い髪とスカートを揺らしてパタパタと走って行く。
うむ。やはりハルカとメイド服の組み合わせは正解だな。
「じゃあツカサくん。その樽をカウンターの奥に置いてちょうだい。ついでに飲んでいく?」
「そうですね。せっかく来たんですから。ああ、ところでエレミアさん。どぶろくに合う料理を考えるとか言ってましたけど、どうなりました?」
「ふふ、私の研究成果に興味があるなら、空いてる席に座ってね」
エレミアさんは自信ありげに笑う。
そういうことなら、是が非でも飲んでいこう。
俺はカウンター席に座り、まずは喉の渇きを癒やすためビールを注文しようとした。
そのとき、店に客が一人新しく入ってきた。
「こんばんは。今日、どぶろくが入荷すると聞いていましたが……入りましたか?」
それは三十歳ほどの優男だった。
柔和な顔立ちで、人畜無害を絵に描いたような奴だ。
だが俺は、こいつがしたたかな商人であることを知っている。
なにせ東方から米を仕入れているのは、彼なのだから。
「ロラン。あんた、どっからどぶろくの話を嗅ぎつけた!?」
「ああ、ツカサさんじゃないですか。どぶろくのことはエレミアさんから聞きました。少しばかり譲ってもらうことになってるんですよ」
そう言ってロランは、背負った鞄からガラス瓶を取り出した。一升ほどの大きな瓶だ。
「……まさか自分で飲むためじゃないよな?」
「売るためですよ。当然じゃないですか」
ロランの鞄からは、瓶が五本も出てきた。
こいつ……かなり本格的に商売する気だな。
「エレミアさん。何だってこんながめつい男に教えちゃったんです? 樽ごとむしり取られますよ」
「だって、どぶろくのことは常連さんたちの間で噂になってるし……ロランさんが次はいつ入荷するかってしつこいから、つい」
「言っておきますが、私は盗人ではなく商人ですからね。樽ごとむしり取ったりしないし、今日譲って頂く分はちゃんとエレミアさんに対価を支払います」
ロランはそう誇らしげに言って、俺の隣に座る。
「……まあ、二人の間で合意があるなら、俺が口を挟むことじゃない。けどそれなら、俺のところに直接買いに来ればいいじゃないか。払うものさえ払ってくれれば、樽一つ用意するぞ」
「いずれはお願いするつもりです。しかし、まずは私の舌でどぶろくの味を確かめ、それから今日持って帰る分が売れるかどうか。それを見極めてからの話です」
本当にしたたかな奴だ。
絶対に敵に回したくないタイプの男だが、味方にすれば頼もしい。
「なあ、おい。お前らの話をまとめると、ツカサが担いできた樽の中身はどぶろくってことか?」
ヒゲの衛兵がテーブル席から語りかけてきた。
どうでもいいがこのオッサン、毎日いるな。
「ああ、そうだ。大切に飲んでくれよ。樽一つ分とはいえ、この店の常連はどいつもこいつもペースが速いからな」
俺が答えると、店のあちこちから歓声があがった。
「ようやくどぶろくが復活したか! あの日以来、忘れられなくてよぉ」
「俺はまだ噂しか聞いてないんだ。まずは俺のところに持ってきてくれ!」
「いやぁ、今日来てよかったよ」
俺の造る酒を待ち焦がれていた人がこんなに沢山いる。
それを思うと、少し感動してしまった。
やはり酒造りは、難しい理屈よりも、飲んでくれた人の笑顔が一番だろう。
「ふむ、これがどぶろくですか……なるほど、これは美味しい。しばらくは絶大な人気が続くでしょう」
どぶろくを飲んだロランはそんな感想を口にした。
この男の舌にも合うと知り、俺は安堵する。
だが同時に、冷静な分析に舌を巻いた。
「しばらくは絶大な人気……つまり、いずれ飽きられるとお前も思うんだな?」
「ええ。飽きられるというか、ビールやワインと同じように、選択肢の一つとして定着するでしょうね。飲まれなくなることはないでしょうが、爆発的に売れるのは今だけです」
他の連中は、初めて飲むどぶろくに感動し、味を楽しむことに躍起になっていた。
しかしロランは一口目から、商売人として鑑定していたのだ。
「ところでツカサさん。小耳に挟んだのですが、女王陛下に何やら資金の援助を受けたとか? やはり、どぶろくの増産ですか?」
「お前……実は魔王の手下とかじゃないのか? どこで聞いたんだよ」
「はは、それは商売上の秘密です。で、実際のところ、どうなんです? 増産したら、私に優先的に回して欲しいものです。お互い損をしないはずですよ」
「どぶろくは造る。しかし、アンジェリカ様に協力してもらったのは、別の理由だ」
「ほう。気になりますね。差し支えなければ、教えてください。なに、他の客はどぶろくに夢中で聞いていませんよ」
「いいぜ。別に聞かれて困る話でもないしな。米を使って酒を造る。ただし、どぶろくじゃなく、それより圧倒的に美味い酒だ。日本酒という」
俺がその野望を語ると、ロランの目がスッと細くなった。
「……圧倒的に、ですか」
「そうだ。それを飲んだら、いずれ飽きるなんて言わせないぞ」
ロランは明らかに俺の話に興味を持っている。
俺が酒の匂いを嗅ぐように、こいつは金の匂いを嗅ぎ分ける名人だ。
今、ロランの頭の中で、様々な陰謀が渦巻いていることだろう。
「なら、更に米が必要でしょうね」
「もちろんだ。東方のエルフが作った米。俺とハルカはエルフ米と呼んでいるんだが……それを二千キロゲラム手に入れて欲しい。金に糸目はつけない。何せ俺の資金力は無尽蔵だからな」
「二千キロゲラム……!」
この狡猾な商人も、その数字に肝を冷やしたらしい。
なにせ二千キロゲラムとは、地球の単位に直すと二トンだ。
二トンの米を、遠く離れた東方から運んでくるのだ。
無論、ここは電車や飛行機がない世界。
魔王が死んだ今も、野生化したモンスターは脅威だ。盗賊だって出る。
その中を馬車で何週間もかけて運んで来いと、俺はロランを見込んで頼むのだ。
「分かりました、引き受けましょう。しかし、あのエルフの米は収穫時期が九月の上旬ですから、新米を手に入れようとしたら、こっちに持ってくるのは早くても十月になってしまいます。それで問題ありませんか?」
「冬までに間に合えばそれでいいんだ」
「ならば余裕です。しかし、大仕事です。前回のように少量ならともかく、今回は他の商人に委託できませんね。私が直接行きましょう」
「あんたが自分で? 無理するなよ」
「無理などしませんよ。騎士や冒険者じゃないんですから、敵に背を向けることを恥だとも思いませんし。それに東方の品は、こちらではどれも珍しい。早めに行って、米以外も色々と物色します」
「長生きするよ、あんたは……」
俺はすっかり感心してしまい、ため息混じりに呟く。
そして、どぶろくを一口。
うむ。いい出来だ。二回目だから、前より上手に造れた。
「ねえ、皆さん。お酒が進んでるみたいだけど、ここで私の新作料理の味見をしてみないかしら? 今日だけは無料よ」
「エレミアさんの新作料理か。そりゃ楽しみだ」
美人が作った料理というだけでも価値がある。それが新作で、しかも無料となれば断るほうがどうかしている。
それに皆、どぶろくに合うつまみが欲しいのだ。
人気メニューのウインナーやフライドポテトも悪くないが、どぶろくのつまみとしては、何か違う気がする。
「まずはヤマメの塩焼きよ」
魚に串を刺し、塩を振って焼いただけのシンプルなものだ。
それが大皿に盛られ、エレミアさんとハルカの手で、それぞれのテーブルに運ばれていく。
「なるほど、こうきたか」
米で作った酒に、魚。
俺はエレミアさんに少しもアドバイスしていないのに、実に素晴らしい組み合わせだ。
料理人としての勘が優れているのだろうか。これは美味いに決まっている。
まずは一口、ヤマメの腹にかぶりつく。
表面はサクリと、しかし中は柔らかい。程よく油がのっていて、それを塩が引き締めている。
そして、どぶろくを飲む。
これは、いい。まるで日本に帰ってきたみたいだ。
「こりゃ凄い……料理と酒が引き立て合っている」
「こんなにちゃんと味わって飲み食いするのも久しぶりだな」
当然の如く好評だ。
俺が作った料理ではないが、何だか嬉しい。
「フライにしてもいけるかもしれませんね」
「なるほど。ロランさんの意見は参考になるわ」
偉そうに語るロランだが、この塩焼きが気に入らないわけではないのだろう。その証拠に、既に三本目にかぶりついている。
「次はエリンギのニンニク炒め。贅沢に粗挽きコショウを振ってみたわ」
贅沢に、とエレミアさんは言うが、この半年でコショウの価格は一気に下落した。
かつては地球の大航海時代のように『胡椒一粒は黄金一粒』という状態だったが、魔王の死によって物流が盛んになり、更に商人ギルドが総合商社の如く効率的に動いているから、小さな居酒屋でも使える価格に落ち着いていた。
「貴族でもない俺たちが、コショウを使ったものを食べられる日がくるなんてなぁ」
誰かがしみじみと呟いた。
それは俺のおかげなんだぞ、と心の中で自慢しつつ、エリンギをパクリ。
うむ、これも美味い。
「そして、キュウリの漬物」
これはもう説明不要だ。合うに決まっている。
この世界に箸がないのことが残念だったが、今は諦めよう。俺は輪切りにされたキュウリに、フォークを突き刺す。
塩とトウガラシの味が染みこんでいて、いい塩梅だ。
続いてどぶろくを飲む。
いい。
「いやはや。予想以上です。どぶろくを造ったツカサさんと、料理を作ったエレミアさんには何と感謝していいやら」
もはやロランですら、商人としてではなく、一個人として酒と肴を楽しむことにしたらしい。
この男が素顔を見せるのは稀だから意外だった。
しかし、それだけ美味かったのだろう。
「俺の生まれた世界では、そういうとき〝ごちそうさま〟と言うんだ」
「なるほど。あなたとハルカさんは、ニホンという世界から来たのでしたね。異なる世界というのは未だによく分かりませんが……ごちそうさま、ですか。いい言葉です。ツカサさん、エレミアさん。ごちそうさまでした」
「改まって言われると、何だか照れくさいわねぇ」
エレミアさんは頬を朱に染め、嬉しそうに笑った。
それが眩しすぎて、俺とロランの視線は釘付けになる。
「こらツカサ! また鼻の下を伸ばして!」
後頭部をトレイでポカポカ叩かれた。
なんて乱暴なメイドだろうか。
「エレミアさん。店員の教育はちゃんとしてくださいよ」
「あら、ごめんなさい。あとでお仕置きしておくわね」
エレミアさんは「うふふ」と妖艶に笑った。
それが冗談に聞こえなかったので、俺は慌てて言葉を撤回する。
「あ、いや。ハルカは俺のものなので、俺が責任を持ってお仕置きしますから。エレミアさんの手は患わせません」
「そう? じゃあそのメイド服を貸してあげるから、あとで楽しみなさいな」
「ありがとうございます」
俺はエレミアさんの魔の手から見事ハルカを守りきった。
だというのに、なぜかハルカはさっきよりも激しく俺の頭を叩いてくる。
「な、なんつー話を人前でしてくれてんのよ!」
「照れてんじゃねぇよ。何か想像でもしたのか?」
「想像なんてしてないし!」
「嘘つくなコラ。ほら、俺にどうされたいかおねだりして見ろよ賢者様よォ」
「馬鹿! ツカサの馬鹿っ!」
メイド賢者ハルカは、半べそになって俺をポカンポカンと叩き続ける。
まったく、俺のこと好きすぎるだろ。