28 精米歩合50%
十二月に入り、雪がチラホラ降る日が増えてきた。
まだ積もるほどではないが、秋が終わったのだと実感する。
村人たちは今年の畑仕事を全て終え、放牧していた牛を小屋に入れ、豚を殺して保存食に加工。冬に備える。
そして俺とハルカは精米を開始した。
今年、ロランに仕入れてもらったエルフ米は三千キロゲラム。地球の単位に直すと三トンだ。
うち二トンは去年と同じように水車で精米する。目標の精米歩合は70%。
残る一トンはビバラに作ってもらった精米機にかける。こちらは精米歩合50%まで磨く。
とにかく新しい精米機を使いたくて仕方がなかった俺たちは、まずは純米大吟醸用の精米を始めることにした。
「よっしゃー、回すぜ!」
「ツカサ、頑張って!」
ハルカがハシゴで精米機の上に登り、一トンの玄米を投入。
それを確認してから、俺はハンドルを握りしめ、グルグルと回す。
ギアの回転する音やブレードと米が擦れる音が混ざり合い、グオオオオオオと低音が酒蔵に響く。
中で米が循環し、何度もブレードに当たっているはずだ。
そうして一時間ほど経過し、俺がいい加減飽きてきた頃、後ろから見物していたハルカが眠たげに声を出した。
「ねえ、もうかなり削れたんじゃない?」
「いや、まだまだだろ」
「えー。だって90%まで削るのは十数分だったじゃない。もう一時間は経ったから、50%とまではいかなくても、70%くらいにはなったでしょ?」
「そう思うなら、自分の目で確かめて見ろよ」
丁度休憩したかったので俺はハンドルを止め、そして排出口のシャッターを開けた。
サラサラと白くなった米が桶の中に流れ落ちてくる。
それを手にとってマジマジと見つめたハルカは、不思議そうに首を傾げた。
「……あんまり削れてないわね」
「だろ。そんなの、晩飯にするような精米歩合だ」
精米歩合80%といったところか。
「どうしてなの? こんなに時間をかけたのに」
「そりゃ、芯に近づくと米は柔らかくなって脆くなるから、優しく磨かなきゃいけないんだよ。ここから70%にするだけでも、何時間もかかるぞ」
「えー。じゃあ50%にするのに、どのくらいかかるわけ?」
「そうだな……米を確認しながら判断するけど、丸二日くらいかな?」
「丸二日……ツカサ、頑張ってね」
「おいコラ。交替でやるんだよ! つーわけでハルカ、交替な」
「はーい……」
賢者であるハルカは俺に比べると腕力で劣る。
しかし魔力による肉体強化ができるから、常人よりは圧倒的に強い。
精米機のエンジンを務めるくらいは可能だ。
特にここからは、米をいたわってゆっくりと削っていくから、大馬力は必要ない。
「よし、そうだ。そのくらいのスピードで回し続けるんだ」
「……ねえ、ツカサ。こんなゆっくりやるなら、別に水車で精米してもいいんじゃないの?」
「水車はぺったんぺったん叩いて磨くから、あんまり長時間やると米が割れる。精米機はちゃんとロールについたブレードで磨いてるから大丈夫なんだ。それに水車や風車は自然環境に左右されるけど、精米機なら自分で回転速度を選べる。そうでなきゃ、精米歩合50%なんて無理だぜ」
それに去年、水車で精米したときは70%まで磨いただけで丸三日もかかった。
それが精米機を使えば、二日で50%だ。
いくらゆっくりに感じても、速度がまるで違う。
「ほへー……疲れた。ツカサ、ごめん、代わって」
「よし来た。任せろ」
ハルカは肩で息をしながら、その場に座り込む。
賢者でありながら、肉体労働を一時間以上も頑張ってくれた。
ならば俺はその倍は連続で回さないと男が廃る。
気合いを入れていこう。
「ツカサ、大丈夫? そろそろ代わる?」
約二時間後。ハルカが心配げな声をかけてきた。
そのときの俺は全身が汗でびっしょりだった。
「へへ、まだまだ行けるぜ……こんなの魔王と戦ったときに比べたら全然……」
なんて強がってみたが、やはり疲労感が凄い。
別に嘘を言ったわけではないのだ。
モンスターを操り、世界を手中に収めようとした魔王――。
精米機のハンドルより強敵だったに決まっている。
だが、世界の命運を賭けた戦いと、ただひたすら人力で米を磨き続ける作業では、モチベーションが違いすぎた。
いくら俺たちが日本酒を愛しているからといって、こんな退屈な工程に喜びを見いだすほど変態ではないのだ。
第一、本来の酒造りでは、人力で精米機を動かしたりしないのである。
「あ、ツカサ。教会の鐘が鳴ったわ。お昼よ」
「本当だ。ルシールの奴、珍しく真面目に仕事したな。休憩にするか」
と、丁度そこへ、レイチェルとその家族がやってきた。
母親であるイライザさんと、その腕に抱きかかえられた赤ん坊クリスティン。
そして一家の大黒柱にして、元クー・シー傭兵団の特攻隊長エヴァンだ。
「よう、ツカサにハルカ。様子を見に来てやったぜ」
「お二人とも、頑張っているみたいですね」
「お弁当持ってきたよ」
そう言ってレイチェルは、その小さな体に不釣り合いなほど大きなバスケットを突きだした。
その様子をイライザさんとエヴァンが微笑ましげに見ている。
きっとレイチェルは、自分が持っていくと言って聞かなかったのだろう。
バスケットの中は、サンドイッチにリンゴ。それからチーズの塊が入っていた。
俺とハルカは、ありがたくレイチェル一家と一緒に昼食を取ることにした。
そして食べ終わると、エヴァンが精米機を見て、興味深げに呟く。
「あれ、お前らが人力で動かしてるんだよな? 俺にもちょっとやらせてくれよ」
「……構わないが。無理だと思うぞ?」
「そうですよエヴァンさん。もの凄い力が必要なんですから」
「はっはっは! 元クー・シー傭兵団の特攻隊長を舐めてもらっては困るぜ。俺の強さは二人とも知っているだろう」
知っている。
確かにエヴァンは強い。人類という種で考えれば最強クラスだろう。
だが同時に、あくまで人間の範疇の強さだ。
勇者や賢者、そして狂戦士といった神刻を宿した者からすれば、どうしても見劣りしてしまう。
「お父さん、がんばれー」
レイチェルが声援を送ると、その妹のクリスティンまで「キャッ、キャッ」と喜び始めた。
言葉を話せない赤ん坊なので、意味のある声ではないのだろう。
しかしエヴァンは娘二人の声でますますやる気を出してしまった。
何やら腕まくりをして力こぶを作ったりしている。
イライザさんはそんな夫を微笑ましく見つめてから、俺たちに視線を向けてきた。
「ねえ勇者様、賢者様。少し夫にもやらせて上げてくれませんか? レイチェルたちも見たがっていますし……それに私も久しぶりにエヴァンの素敵なところを見たいので……!」
惚気か。
「まあ、別に失敗したからって死ぬようなものじゃないのでいいですけど」
ただし、素敵なところが見られるか否かは保証しない。
「よっしゃあ! どこだ、どこに力を込めたらいいんだ!?」
「そこのハンドルを回せばいいんですよ」
ハルカの説明を聞いて、エヴァンははりきってハンドルに手をかけた。
そして回す……いや、回そうとする。
顔を真っ赤にし、腕や首筋に血管が浮き出るほど力を込め……だが、ハンドルは動かない。
「ぬおっ、ふんっ、うがああああっ!」
人類最強クラスの膂力を持つエヴァン。
その力を持ってしても、精米機は応えてくれなかった。
と、思いきや。
ハンドルがギギギと音を上げ、わずか一回転であるが確かに動いた!
「すげぇ……!」
俺はたまらず賞賛の言葉を漏らす。
神刻という、どこからやってきたのか分からない力ではなく、エヴァンは純粋な努力によって得た筋力で業務用精米機と同等のパワーを発揮したのだ。
「はぁ……はぁ……お前ら、こんなの何時間も動かしてたのかよ……」
くずおれたエヴァンは、俺たちに驚愕の目差しを向けてくる。
だが、本当に驚いているのはこちらだ。
「エヴァン。あんた、本当に凄いんだな……」
「ちぇっ、嫌みにしか聞こえないぜ」
エヴァンにして見れば、そうかもしれない。
しかし、俺は勇者の神刻がなければ、一ミリもハンドルを動かせない。少なくとも日本にいたときの俺は、そんな超人ではなかった。
「私もやる」
レイチェルがとことこ歩いて、父の代わりにハンドルに手をかけた。
無言で力を込めるが、当然、動かない。
「お母さんも手伝って」
「あら、私も? じゃあ、クリスは賢者様にお願いしますね」
「わ、私!?」
ハルカはイライザさんから、おっかなびっくりクリスティンの小さな体を受け取る。
母親から離れたというのに、クリスティンは笑顔のままだった。
まだ零歳児なのに、人見知りをしない肝の据わった子である。
「か、可愛いぃぃぃ……!」
ハルカは感動のあまり泣きそうな顔になる。
そしてイライザさんは自分の次女の様子を見てから、長女と並んでハンドルを回そうとする。
「お母さん、一二の三で同時に力をかける」
「分かったわ。任せて」
「一二の三!」
「んー!」
「んー、んー!」
親子仲良く顔を真っ赤にする。
しかしハンドルはうんともすんとも動かない。
十数秒後、二人は諦め、額の汗を拭いながら、
「ふう……これは女性向けじゃないわね」
「あと、子供向けでもない」
なんてとぼけたことを言い出した。
「エヴァン。あなたって、やっぱり凄いのね。こんなのを動かせちゃうんだから」
「お父さんは凄い」
レイチェルは母の言葉にしきりに頷く。
すると案の定、エヴァンはデレデレの顔になり、照れくさそうに頭をかいた。
「そ、そうか? やっぱり俺は格好いいか! わははははっ」
実にちょろい父親である。
そんな幸せな一家が酒蔵から帰ったあとも、俺とハルカの戦いは続く。
休憩を挟み、交替で睡眠を取る。
それでも徐々に作業効率が落ちていく。
二人で居眠りしているところを、遊びに来たルシールに起こされるという屈辱的状況が発生したくらいだ。
予定では四十八時間ほどで終わるはずだった作業に、六十時間もかかってしまった。
しかし、見よ。
磨かれた米の美しさを。
精米歩合50%。
つまり全体の五割も失うほど研磨された米粒は、まるで真珠の如き輝きを放っていた。
「綺麗……」
「ああ。これで酒を造るんだ。今から楽しみだな……!」
俺たちは今年の仕込みに想いをはせ、互いの心臓の鼓動が聞こえるほど興奮した。
――いや、心臓がうるさいのはたんに疲労しているからかもしれない。
「ツカサ。この精米機は凄いけど……普通の純米酒用の米は、去年と同じく水車で精米しましょ……」
「ああ、そうだな……」
「それと来年は、ビバラさんに蒸気機関を作ってもらいましょう……人力はもう嫌……」
「同感だ。是が非でもそうしよう……」
あのビバラなら、きっと蒸気機関だって作ってくれるはず。
そのためには、たらふく米焼酎を用意しなければ。
いや、むしろ日本酒を要求されるようにならなければならない。
必ずや、ビバラの舌を唸らせるのだ――。
そんなことを考えつつ、俺はハルカと一緒に眠りに落ちていった。