24 鳴らない鐘には唐辛子が効く
敗北した。
俺たちが今年造った純米酒『楽桜』は、ビバラの舌を唸らせることができなかった。
「くそ……思い出しただけで腹が立つ。あのビバラをぎゃふんと言わせるまで付き合いてぇが、そろそろクー・シー傭兵団の休暇が終わる」
王都に帰り、オールドマザーで残念会をやってから、ソフィアはクー・シー傭兵団のメンバーと合流するため旅立っていった。
その後ろ姿を見送った瞬間から、俺とハルカの次の戦いが始まる。
「さて、と。今年の楽桜はビバラに負けたが……蒸留酒がいいってんなら、とびきりキツイ蒸留酒を造ってやればいいんだ」
「そうよ。米の酒はなにも日本酒だけじゃないわ。米焼酎のパワーを見せてやりましょう」
俺とハルカは王都で蒸留装置の材料を買いあさる。
蒸留装置の仕組みは単純だ。
まず大鍋で醸造酒を加熱する。醸造酒というのは穀物や果実を発酵させて造る酒。つまり日本酒やワインなどのことだ。
さて、ここで重要なのは沸点だ。日本で義務教育を受けた者なら、水の沸点が百℃であると知っている。しかしエチルアルコールの沸点が七十八℃というのは、科学に興味がないと分からないだろう。
蒸留装置はこの沸点の差を利用した装置である。
弱火で醸造酒をじっくり煮込むことにより、沸点の低いアルコールから気化していく。
気化したアルコールは鍋の上に取り付けられたパイプを伝って出て行く。
そのパイプは途中で水槽の中を通る。
水槽の水によって一気に熱を奪われたアルコールは、気体から液体に戻る。
そしてパイプの出口から蒸留酒となって流れ落ちていく。
ウイスキーやブランデーはこのあと樽の中で熟成させるが、焼酎はこの段階で完成だ。
だからその気になれば各家庭でも造ることができる。
無論、日本でやれば酒税法に引っかかるが……なぜか書店に行くと〝ご家庭での焼酎の造り方〟を解説した本が売られている。不思議だなぁ。
「大鍋を買った。パイプも買った。水槽はないから木箱で代用しよう。本当は鍋のフタにゴムパッキンを使って密封性を上げたいところなんだが……」
「流石にゴムパッキンは手に入らないわよ。私の防御結界で鍋を包めば大丈夫」
「なんだか焼酎造りが儀式じみてきたな」
それらの材料を馬車に積み、ハイン村に向かう。
別に王都の自宅でも作業はできるが、やはり俺たちにとってハイン村は酒造りの聖地なのだ。
あそこでやらないとしっくり来ない。
ハイン村に行くと、いつものようにルシールが教会の庭の木陰で昼寝をしていた。
教会の時計を見ると、ちょうど三時だった。
鐘を鳴らさねばならない時間である。
しかしルシールはすやすやと寝息を立てており、目覚める気配がない。
「おーい、ルシール。起きろ」
「ほんと、いつも寝てる子ね」
俺とハルカはルシールの頬をつねったり、耳元で大声を出したりと頑張るが、眠れる不良シスターは夢の世界から帰ってこない。
そうしている内にルシールは「むにゃむにゃ」言いながら、ハルカに抱きついてその胸に顔を埋めて枕にしやがった。
なんだ、その寝相。羨ましいぞ。
「あら可愛い」
ハルカはハルカで、満更でもない顔でルシールの頭をなでる。
俺というものがありながら他の奴に胸を許すなんて……これはあとでお仕置きだな。
なんて俺が今夜のことを考えていると、そこに小さな少女が畑の方から駆け寄ってきた。
「勇者様、賢者様。こんにちは」
ハイン村のマスコットにして癒やし、レイチェルである。
「おう、レイチェル。こんにちは」
「こんにちは、レイチェル。またルシールを起こしに来たの?」
「ん。それが私の役目。毎日がんばってる」
毎日、だと……?
それはもはや、レイチェルが教会のシスターをやったほうが早いのではないだろうか?
俺がそんな疑問を浮かべていると、レイチェルはしゃがみこみ、そしてポケットから赤い物体を取り出した。
唐辛子だった。
「まさかそれを……」
ハルカは震える声で尋ねる。
が、レイチェルは無言のまま唐辛子を二つに割り、中の種ごとルシールの口に放り込んだ。
その刹那、悲鳴がハイン村に響き渡った。
俺はルシールの表情から、灼熱地獄に堕ちる罪人を連想した。
「ひぃぃぃいいいいっ! 辛、辛いぃぃぃぃッッッ!」
目を見開いたルシールは唐辛子の実と種を吐き出す。
しかし種は細かく、全てを出すのはなかなか難しいだろう。
そして種が最も辛いのだ。
「レイチェル……どこでこんな恐ろしい所業を覚えてきたんだ……」
俺が尋ねると、レイチェルは淡々とした声で答える。
「この前、ロランさんが勇者様と賢者様の結婚式に来たときに教えてもらった。こうすると、どんな人でも目が覚めるって。唐辛子も安く売ってくれた。お父さんが買ってくれた」
ロランの奴……俺たちの結婚式の裏でも商売してやがったのか。
しかもレイチェルに変なことを教えやがって。
レイチェルはハイン村の良心なのだ。
心が綺麗なまま育って欲しいのだ。
眠っている人の口に唐辛子を放り込むような悪い子になってはダメなのだ。
「いいか、レイチェル。今のはな、とても残酷な行いなんだぞ。自分がやられたところを想像して見ろ。一度でもやられたら、次いつまた同じことをされるかと不安で、夜も眠れないだろ」
「そうだけど……でも、こうでもしないとルシールは鐘を叩いてくれないから……」
レイチェルはしょんぼりとうつむいた。
少し言い過ぎただろうか……。
というより、よく考えてみると、レイチェルは別に悪くない。
悪いのは居眠りをしているルシールだ。
鐘を叩いてもらうためレイチェルは、仕方なく心を鬼にしているのだ。
「ルシール以外にはやっちゃ駄目だってのは分かってるんだよな?」
「ん。分かってる。ルシール以外にはこんなことしない」
「そっか、それならいいんだ。ごめんな、怒ったりして」
俺はレイチェルの頭をなでる。
すると、今までのたうちまわっていたルシールが起き上がり、涙を浮かべながら叫びだした。
「ひ、酷いですわ! それではまるで、わたくしの口に唐辛子を放り込むのは悪いことではないと言っているのと同じではありませんか!?」
「おう、そう言ってるんだぞ。レイチェル、これからもよろしくな。領主として頼む」
「ん。任せて」
この村にある時計は、教会の時計だけだ。
ゆえに農作業している村人たちは、教会の鐘が鳴らねば時間を知ることができない。
その鐘を鳴らすのはルシールの仕事で、それを頼りにして村人たちは働いている。
ルシールが居眠りを続ける以上、この村の未来はレイチェルにかかっていると言っても過言ではない。
「あんまりですわ……なぜ、わたくしがこんな仕打ちを……」
ルシールはしくしく泣き始める。
ハルカがその肩をポンと叩き「日頃の行いよ」と正直に言ったら、ますます激しく涙を流した。
少し可哀想になってきたが、どうせこの不良シスターはすぐに元気になる。
いつまでも構っていられないので、早く酒蔵に行って作業を始めよう。
「レイチェル。俺たちはこれから蒸留装置を作るんだけど、君も来るか?」
「じょーりゅーそーち? よく分からないけど、面白そうだから行く」
レイチェルはコクコクと頷く。
小動物を思わせる愛らしさだ。
「蒸留装置? もしかして蒸留酒を造るのですか? わたくしも行きますわ!」
案の定、ルシールは元気になり、目を輝かせて叫ぶ。
しかし、だ。
「お前はまず教会の鐘を鳴らせよ!」
俺はツッコミを入れつつルシールのおでこにデコピンする。
ルシールは「ひーんっ」と泣きながら、鐘を突くため走って行った。




