23 初めての敗北
ビバラの家は、彼の作品で溢れかえっていた。
壁に立てかけられた大剣は、刃渡りが明らかに二メートルを超えている。仕上がりは見事だが、誰に使ってもらうのかという視点が欠けている。おそらく、ビバラにとってそれはどうでもよかったのだ。作りたかったから作っただけ。
他にも槍。盾。鎧。
どれも人間の街に持っていけば、とてつもない高額がつくはずだ。
冒険者にはとても手の出せないような価格で取引されるに違いない。
そして実戦で使われることなく、貴族や大商人などのコレクションとして飾られる運命を辿る。
また、ガラスケースの中には、スプーン、フォーク、ナイフ、皿、ティーカップ、ティーポット、などなど素晴らしい食器が飾られている。
その材料は金や銀といった金属のものがあれば、磁器で作られたものもある。
それ以前に、ガラスケースからして見事だ。
完全な無色透明。そして平面。
この世界の水準から考えれば、オーバーテクノロジーと言って差し支えない。
だが、驚きは続く。
チクタクチクタクと時を刻む音がしたのだ。
前にハルカが言っていたが、この世界の文明レベルは、おおよそ中世の終わりごろらしい。だいたい十五世紀と言ったところか。
この時代、庶民が目にすることのできた機械式時計は、教会などにある大型のもの。
ゼンマイ式の置き時計も一応は存在するが、非常に高価で金持ちしか買うことができない。アンジェリカ様の部屋で自慢されたことがあるが、毎日はっきり分かるほど時間が狂うという。
ところが、チクタクという音を追って視線を漂わせた先に待っていたのは、置き時計ではなかった。
テーブルの上に無造作に置かれたそれは、懐中時計。
見事に磨き上げられた金色の小さな時計は、決して偽物ではなかった。
秒針が動いている。
チクタク、チクタク。
「うそ……二百年以上は時代を先取りしてるじゃないの……」
ハルカは懐中時計を見て、茫然と呟く。
一方、ソフィアは「随分と小さい時計だなぁ。すげー便利じゃねーか」と呑気なことを言う。
傭兵団の団長である彼女は、時計を携帯できれば作戦の幅が広がる、なんて考えているのかもしれない。しかし、今この世界に懐中時計があるということの凄まじさは分からない。
この世界の住人であるがゆえ。
「おい、勝手に触るなよ。ようやく完成したばかりなんだ。まだ十分に愛でてないんだぞ」
ビバラはそう言って椅子に座る。
そしてグラスを手に取り琥珀色の液体――おそらくはウイスキー――を飲みながら、懐中時計をうっとりと眺めた。
どうやら、自分の作品を眺めるのが趣味のようだ。
気持ちは分かる。
俺だって、自分が造った日本酒を味わうのは大好きだ。
「時計を愛でるのも結構ですが、俺たちの話を聞いてくれるのでは?」
「黙れ小僧。ワシの神聖なひとときを邪魔するな。あとで聞いてやるから、もう少し待っていろ。嫌なら帰れ」
仕方がないので、俺たちはビバラの気が済むまで待つことにした。
それも立ったままで、だ。
俺とハルカは酒造りをしている人間だから、待つのには馴れている。
ソフィアだって百人近い傭兵団の団長なのだから、忍耐力を身につけているはず……と信じていたのだが、そわそわと部屋の中を歩き始めた。
それでも何とか暴れることなく時間は流れ、懐中時計の針がきっかり十分進んだところで、その蓋が閉じられた。
「よし。時計を堪能した。ウイスキーも空になった。お前らの話を聞いてやろうじゃないか」
時計とウイスキーのおかげか、ビバラの表情はさっきよりも幾分か和らいでいた。
この期を逃す手はない。
俺とハルカは必死に日本酒と精米機の説明をした。
もちろん、さっきハルカが書いた絵も使って。
「なるほどな。理解した。お前らの情熱も、精米機の構造も。だがな、俺の作った機械でどんな酒を造るのか分からない限り、手伝うつもりはない」
「それなら問題ないです。日本酒、ちゃんと持って来てますから」
ハルカはそう言って、鞄から一升瓶を取り出した。
ドワーフたちに飲ませるため持ってきた一ダースの日本酒。
そのうちの一本を、ビバラに飲ませるために手つかずのまま取っておいたのだ。
「ふん……雑な作りのガラス瓶だな。どれ、よこせ」
ビバラは奪うようにしてハルカから一升瓶を受け取る。
そして棚から新しいグラスを出して日本酒を注いでいく。
「……香りは悪くない」
当然だ。
俺とハルカ、それにハイン村の人たちが一生懸命造った楽桜だぞ。
しかも、ドワーフが強い酒が好きだというのを聞いて、特別な楽桜を持ってきたのだ。
市販されている日本酒のアルコール度数はだいたい15%前後だ。
しかしそれは、加水され味が調整された状態だ。
つまり加水されていない絞りたての酒はもっと度数が高い。20%を超えてしまう。焼酎並である。
そんな楽桜の原酒をドワーフたちは実に美味そうに飲んでいた。
ならばビバラだって気に入るに違いない。
と、俺は確信していたのだが。
「飲みやすい。不味くはない。だが、それだけだ。こんなアルコールの弱い飲み物は酒じゃない」
グラスの中身を飲み干したビバラは、そう言って一升瓶を突き返してきた。
それに対して怒りの声を上げたのは、俺でもハルカでもなく、ソフィアだった。
「あ、あんだとテメェ! 舌がおかしいんじゃねーのか! 表出ろやコラァッ!」
ソフィアはビバラに掴みかかろうとしたが、俺が後ろから羽交い締めにして止めた。
「止めるなツカサ! お前は悔しくねぇのかよ!」
「悔しいに決まってるだろ。だが、殴ったところで始まらない」
俺の造った日本酒を、突き返される。
思えばこれは、初めての経験だった。
頭に血が上っている。胃がむかむかする。
しかし、それでも怒ってはいけない。
ビバラはしっかりと飲んだ上で、自分の感想を言っているだけなのだから。
「ソフィア、一番辛いのはツカサなのよ。だからお願い。堪えて」
そう呟くハルカの声も震えていた。
ギュッと拳を握りしめている。
そんな俺たちをビバラは鼻で笑った。
「友情ごっこはよそでやれ。やはり酒は蒸留酒に限る。ウイスキーは中でも最高だ」
ビバラは棚から新しいウイスキーの瓶を出す。
俺たちは黙って退散するしかなかった。
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