20 ドワーフの里
ソフィアが行ったことのあるというドワーフの里は、俺たちが住む王都から北に馬車で三日ほどの場所にあるらしい。
そこはアルバーン王国の外側。
ファイギス公国という国の山岳地帯だ。
その麓にドワーフが千人ほど住んでいるという。
俺とハルカはソフィアに、その場所まで連れて行って欲しいと頼んだ。
するとソフィアは「ちっ、仕方ねぇな……」と嫌そうに呟く。
だが、嫌そうにしているだけで、実際は嫌ではないはずだ。
ソフィアの気性からして、本当に嫌なことを押しつけられたら、暴れてでも断るはず。
つまり舌打ちするのは照れ隠し。
分かりやすい性格だ。
ところが、その夜。
自宅に帰り、俺と二人っきりになったハルカは、意外そうな口調で語り出した。
「ソフィア。よく私たちの頼みを聞いてくれたね」
「ん? なぜだ? あいつ、口は悪いけど、根はもともといい奴じゃないか。意外でも何でもないぞ」
「ソフィアがいい子なのは知ってるけど。でも、ほら。私たち、結婚しちゃったでしょ。それってソフィアにとっては失恋だから……」
俺はハルカが何を言っているのか、最初、理解できなかった。
五秒ほど使って、ようやく脳細胞の奥にしまっておいた記憶を呼び起こす。
「ああ。前に言ってた、ソフィアが俺のこと好きだってアレか? ハルカの勘違いだろ。俺はやっぱり、そうは思えないぞ」
「……ツカサって、ほんと女の子の気持ちに鈍感よねぇ」
「そんなことはない。ハルカのことは全部分かるぜ。俺にどうされたがってるかもな……」
「や、ちょっと待って、そんな玄関で」
そんな感じでイチャイチャして夜を明かし、俺たちはソフィアとの待ち合わせ場所に向かう。
「ツカサ、ハルカ。おせーぞ!」
「いや、時間通りだぞ。ソフィアが早いんだ。俺らと遠出するのが、そんな楽しみだったのか?」
「なっ、ちげぇよ! 気安く頭なでんなボケ!」
ソフィアは頭をブンブンと振って俺の手を振りほどく。
そんな様子も可愛らしい。
ハルカには、こういう可愛い子を産んで欲しいぜ。
「もう、ツカサったら。朝からソフィアのこと虐めないの。可哀想でしょ。早く出発しましょ」
ハルカは手でソフィアの乱れた髪を直してやる。
ソフィアは大人しく手櫛を受け入れるが、俺のことは狼みたいな目で睨み付け、犬歯を剥き出しにしている。
確かに、少しばかり弄りすぎたようだ。
「悪い悪い。調子に乗りすぎた。ごめんな」
「……分かればいいんだよ」
無事にソフィアの許しを得たところで、俺たち三人は王都を出発する。
目指す先は馬車で三日の山岳地帯。
しかし俺たちは三人とも常人ではない。
勇者と賢者。
そして狂戦士の神刻を持つソフィアだ。
休憩を入れながら走っても、日が沈むまでには到着してしまう。
「ほら、あれがドワーフの里だ」
森を抜けた先でソフィアは立ち止まり、前方を指差した。
そこはゴツゴツした岩の多い場所だった。
しかし高い木がないので、遠くまで見通すことができる。
視線の先には、煙突が何本も何十本も見えた。
そこから白煙が天高く登っていく。
その後ろには、白煙よりも遥かに高くそびえる山があった。
岩肌が見えるが、ところどころに森もある。
「こうして見た感じだと、人間の町とそう変わらないな」
「でもほら。あの煙突は炉とか釜とかでしょ。そういうのってドワーフのイメージにぴったりじゃないの」
「うむ。あの白煙を見てると、蒸した米を思い出すなぁ」
「もう。ツカサの頭の中はそれしかないの?」
「おいおい。いつまでもダベってると、夜になっちまうぞ」
ソフィアに急かされ、俺とハルカはドワーフの里に向かう。
さて。
無事に精米機を作ってもらうことはできるのだろうか。
説得のために日本酒を持ってきたのだが……ドワーフが好きなのは蒸留酒というのが気がかりなところだ。
※
ドワーフの里は石造りの建物ばかりだった。
どれも四角く、そして窓やドアノブの位置が若干低い。
また製鉄所や鍛冶屋と思わしき場所が非常に多い。
あちこちから鉄を叩く音や、炎が燃える轟々という音が聞こえてくる。
「ここが前に来た鍛冶屋だ」
そう言ってソフィアは建物の中に入っていく。
ドアも窓も開けっ放しだが、強烈な熱気で溢れていた。
窯では炎が煌々と燃え、そして真っ赤になった鉄をハンマーで叩くドワーフが一人。
トンカントンカンと心地いい音が響く。
ハンマーによって引き延ばされた鉄は、水に沈められ、ジュゥゥゥゥと音を鳴らす。
ドワーフは鉄を水から出し、その出来映えをしげしげと見つめた。
と、そこでようやくソフィアが声を放つ。
「ギエリ。オレだ、ソフィアだ」
呼び掛けに反応し、ドワーフは髭もじゃの顔をこちらに向ける。
そして目を見開いた。
「おおっ、ソフィアじゃないか! 相変わらず小さいな。まるでドワーフのようだ!」
ギエリと呼ばれたドワーフは、できたばかりの鉄を置き、駆け寄ってソフィアの手を取った。
「おいおい、ひでぇな。あれから一年以上経つんだぞ。オレだって少しは背が伸びたぜ」
「ガハハ、本当か。そうは見えないが」
ギエリは豪快に笑ってソフィアの肩を叩く。
本当にソフィアのことを気に入っているようだ。
信じがたい光景だが、目の前で起きているのだから、信じるより他にない。
「で、ソフィア。お前さんの後ろにいる二人は誰だ?」
ギエリはギロリと俺たちを睨む。
いくらソフィアを信頼していても、そのソフィアが連れてきた人間を信頼するのは、また別の話のようだ。
しかしそれでも、ソフィアが間に入ってくれているだけでやりやすい。
何せ噂によれば、ドワーフの里に人間が立ち入るだけで殴られるそうだから。
こうして平和的に睨まれているだけで済んでいるのが奇跡なのだ。
「こいつらはツカサとハルカ。聞いて驚け。あの勇者と賢者だ」
「なに? あの魔王を倒したって二人か? 噂では別の世界から来たとかなんとか……本物か?」
ギエリは疑り深そうに、俺とハルカを見つめる。
どうやって証明しようか。
近くにシーサーペントでもいれば、それを倒して見せるのに。
「男の人間。お前が勇者だな。この打ったばかりの鉄を素手で曲げて見せろ。それができたら本物だと信じてやる!」
そう言ってギエリはさっきの鉄を差し出してきた。
そんなことならお安いご用だ。
勇者の神刻を使うまでもない。
両手の指先で摘むように持ち、ぐっと力を込める。
が、思ったより固かった。
流石はドワーフが鍛えた鉄。
ならばもう少し力を込めてやろう。
ぐいっ!
「なっ、本当に曲げやがった……! それも指で……こんなん本物の勇者じゃなかったらできねぇな」
ギエリは折り曲がった鉄を見つめ、感心した声を出す。
その横でソフィアが「オレだって狂戦士の神刻を使えばあのくらい……」とブツブツ呟いている。可愛い。
それからハルカがその鉄を魔法で宙に舞わせたり、真っ赤に熱して元の形に戻したりすると、ギエリは目を白黒させた。
「なるほどな……分かった。本物の勇者と賢者だってのは認めよう。で、何の用なんだ?」
ギエリの問いかけには、ソフィアが代わりに答えた。
「酒だよ。ツカサとハルカは、酒を造るための道具をドワーフに作ってもらいに来たんだ」
その瞬間、疑心に満ちていたギエリの表情が好奇に染まる。
だが、油断するものかというふうに首を振り、自分の髭を撫でる。
髭に触れるとリラックスする効能でもあるのだろうか。
「酒……だと? 酒とドワーフに何の関係があるんだ? そりゃあ、俺たちドワーフは全員酒好きだが、造るのは得意じゃないぞ。俺たちが得意なのは金属だ!」
「その金属加工の技を見込んで頼みたいことがあるんだが……その話の前に、まず俺たちが造った酒を飲んで欲しいんだ。日本酒『楽桜』ってんだが」
そう言って俺はリュックサックを降ろし、中から一升瓶を取りだした。
一本だけではなく、六本も入っている。
ハルカも自分の鞄を降ろして更に六本取り出す。
合計一ダースの一升瓶が床に並べられた。
「うおいっ、これ全部酒か! すげぇ! おーい皆、珍しい酒があるぞぉ!」
俺は日本酒がどんな酒なのか説明しようとしたが、ギエリは一言も聞かず外に飛び出していった。
次の瞬間、あちこちから「何、酒だと!?」と野太い声が響いてきた。
映画館の立体音響みたいだ。
そして二十人ほどのドワーフが、ドタバタとやってきた。
全員、背が低くてヒゲもじゃで筋肉質。
正直、見分けが付かない。
顔のシワの多さで何とか年齢が分かるといった程度だ。
「おお、ここに並んでるのがそれか……って、ソフィアじゃないか」
「よう。久しぶりだな。覚えていてくれて嬉しいぜ」
ソフィアが手を上げて挨拶すると、ドワーフたちが嬉しそうに笑う。
「はっはっは! お前さんのことを忘れるものか。で、これが勇者と賢者か」
「酒をわざわざ持ってきてくれるとはありがたい。あと、ついでに魔王も倒してくれたらしいな」
「人間は信用ならんが、この酒がなくなるまでは話を聞いてやってもよいぞ」
人間に対する不信感より、酒への興味のほうが遥かに優っているようだ。
とはいえ、酒を飲ませたくらいで話がまとまるのなら誰も苦労しない。
これまで様々な者がドワーフに依頼をし、その多くは断られてきた。
当然、酒は持参してきたのだろう。
断られた者は、何が原因だったのか?
持ってきた酒が不味かったのか。何かドワーフにしか分からないような無礼を働いたのか。
そもそもソフィアが好かれている理由も不明のままだ。
なんとかして、その辺を見極めねば。




