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05 酒造好適米

 日本酒造りは寒い冬に行なう。

 今はまだ五月だから、時間の余裕はたっぷりある。

 そしてアンジェリカ様のおかげで、資金の心配もいらなくなった。

 だが、やるべきことは山積みだ。

 テンポよくこなしていかないと、間に合わないかも知れない。


 幸いにも俺には、ハルカという相棒がいた。

 相談できる相手がいるというだけで、気が楽になる。


「それでツカサ。どんな酒を造るか決めたの?」


 アンジェリカ様から酒造の命令を受けた次の日。

 俺は自宅のリビングでコーヒーを飲んでいた。

 ハルカが質問を飛ばしてきたのは、そのときだった。


「どんな、と言われてもな。今はそれ以前の段階だ。まずは酒蔵を建てるところから始める。そして酒を造るには、いい水が絶対必要だ。それから……」

「協会酵母なしで本当にやれるのかってことね?」

「そう。それが一番の問題だ」


 酒を造るとは、それすなわち発酵である。

 酵母菌が糖分からアルコールを発生させる働きを利用して、人類は古来から様々な酒を造ってきた。

 生きのいい酵母菌の助けを借りなければ、どんなに技術を磨いても、酒は完成しない。


 日本には酒蔵がいくつもあり、それぞれが工夫を凝らして日本酒を造っている。

 しかし、どこの酒蔵でも普通、日本醸造協会から酵母菌を買ってきてタンクに入れるのだ。

 俺の実家も、協会九号という酵母菌を主に使っていた。


「けど、江戸時代は協会酵母なんてなかった。それでも杜氏は、野生の酵母菌だけで立派に日本酒を造っていたんだ。やってやれないことはない」

「そうね。どぶろくだって野生の酵母菌が発酵させてくれたんだし。そもそもビールとかワインがある時点で、この世界には酵母菌がいるのよ。頑張りましょう、ツカサ!」


 ハルカはグッと拳を握りしめ、気合いの入った顔を見せてくれた。

 おかげで俺もやる気が湧いてきた。

 やはり、こいつがいると心強い。


「それにしても。俺は酒蔵の息子だから酒造の知識があって当然だが、お前は何でそんなに詳しいんだ? 大学も醸造学科に行く予定だったし。今まで理由を聞いてもはぐらかされてたけど、いい加減、教えてくれよ」

「そ、それは……」


 ハルカはうつむき、頬を赤くしながら呟く。


「将来、ツカサのお嫁さんになったとき、仕事を手伝えたらなぁ……と思って……」

「お、おう……」


 不意打ちのように可愛いことを言われてので、俺は面食らってしまう。

 こいつ、どんだけ俺のこと好きなんだよ。

 俺も好きだけどさ。


「こ、この話やめ! 恥ずかしいじゃないの!」

「今更照れんでもいいような気もするが……しかし、あれだな。この世界に、あんな酒造りに適した米があって良かったよ。あれがなかったら、そもそも酒を造ろうという気にならなかった」

「本当よね。東方のエルフが育てているらしいけど。エルフたちももしかして、日本酒みたいなのを造ってるのかしら?」

「まさか。だとしたら商人ギルドが目をつけるだろ」

「言われてみればそうね……けど、酒米って食べても美味しくないし……エルフは何を考えて酒米を育てているのかしら?」

「味覚が違うんだろ。エルフって極端な薄味を好むらしいし」


 俺たちが米を食べて美味しいと感じるのは、タンパク質や脂肪が旨み成分になっているからだ。つまり、これらが多い米は、美味しい米ということになる。


 しかし酒米は逆だ。

 タンパク質や脂肪が、日本酒にとっては雑味の原因となってしまう。だから、これらの成分が少ないほど、酒造りに適しているといえる。

 他にも酒米には、粒が大きいこと、保水力に優れていること、など様々な条件がある。

 これらの条件を満たした米を正式には、酒造好適米と呼ぶ。

 酒造好適米の王様は、山田錦という品種だ。これは日本酒のために生まれた米だ。

 だがエルフが作ったという米も、俺が見る限り山田錦に負けていない。


「あの米をエルフ(まい)と呼ぼう。エルフ米があれば、俺がミスをしない限り日本酒は完成するはずだ。味は……出たとこ勝負だが」

「大丈夫よ。自信を持ちなさい。けど、家にあるエルフ米だけだと足りないわね」

「自分たちが飲むどぶろくを造れたらそれでいいと思っていたからな。ま、それは商人ギルドに追加発注すればいいことだ。あとは水と……麹カビの培養だ」

「あ、そっか。麹カビも足りないのね」


 麹カビは米のデンプンをブドウ糖にしてくれる。

 そのブドウ糖を酵母菌の力でアルコールにする。

 これが日本酒における発酵の流れなのだ。


 日本には、麹カビを培養して販売する種麹屋というものがある。

 種麹屋には〝もやし屋〟という別名があり、某マンガのおかげでこちらのほうが有名かも知れない。

 俺の実家は種麹屋から麹カビを買っていた。

 無論、この世界に種麹屋は存在しない。


 だが俺とハルカは、日本酒造りに向いた麹カビが黄色いカビだと知っていた。それがパンや米などに生えてくるという知識もあった。

 ゆえに俺たちは、どぶろくを造るにあたって、台所にパンと米を放置し、そこに生えてきた黄色いカビをピンセットで採取し、知り合いのガラス職人見習いに作らせたシャーレで培養した。

 それが本当に麹カビだったのか少々不安だったが、発酵が始まり、見事にどぶろくが完成した。


「えっと、酒を仕込むのに最低でも、六百キロくらいの米が必要でしょ。麹を作るのにそのうち20%を使うとして百二十キロ。これだけの米にまぶすには、麹カビが何百グラムも必要よ。この量をシャーレで培養するのは……」

「無理だな。というか、シャーレで培養した麹カビで美味い酒が造れるとは思えん。だから俺らも種麹屋の真似事をしなきゃいかなん」

「ツカサ、できるの?」

「一応、知識だけはある……」


 知識だけ、と聞いたハルカは「うっ」と唸った。

 しかし、すぐに首を振り、そして俺の手を握ってきた。


「大丈夫よ! だってツカサは菌に愛されているってオジサンが言ってたじゃない! 麹カビも菌。上手くいくわよ!」


 菌に愛されている。

 それは、俺が初めて造った酒を飲んだオヤジの台詞だ。

 俺のオヤジは酒蔵の社長。つまり経営の最高責任者なのだが、日本酒をこよなく愛しているせいで、酒造りの最高責任者である杜氏に負けないくらいの知識を持っていた。

 そして跡継ぎである俺にも同じことを要求してきた。

 俺は高一の冬休みに杜氏に弟子入りさせられ、そして小さな発酵タンクを一つ任された。

 未成年に酒を造らせるほうもどうにかしているが、俺も俺で日本酒が大好きだった。

 自分で造れるということで興奮し、杜氏の教えを受けた。

 そして完成した酒を飲んだオヤジが「菌に愛されている」と、そう呟いたのだ。


 まあ、流石に親馬鹿すぎるとは思うが、その酒は杜氏にも褒められた。

 俺自身も美味いと感じたので、実際に出来はよかったのだ。

 俺には多少、酒造りの才能があるらしい。


「オヤジの言葉はどうでもいいが、ハルカがそばで励ましてくれたら、俺は何でもできる気がするよ」

「ば、馬鹿ね、恥ずかしいこといわないでよ、もう!」


 ハルカは真っ赤になって照れる。

 しかし、先に恥ずかしいことを言ってきたのはハルカなのだ。

 俺だって照れたい。

 なのにその隙を与えてくれないのだから、全く大したものである。

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