18 次は純米大吟醸を造ろう
結婚式のバカ騒ぎから一週間が経った。
俺とハルカは正式に夫婦となった。
しかし、特にこれといって生活が変わることはない。
なにせ俺とハルカは結婚する前から、ずっと一緒に生活していたのだ。
変化といえば、ハルカの名字が『波瀬』から『未紀野』に変わったくらいである。
朝から晩までイチャイチャする日常は続く。
「つまり、俺のハルカに対する愛は、今も昔も同じってことだな」
俺は自宅のリビングで呟く。
するとエプロン姿のハルカが、大皿を持ってキッチンから現われた。
「きゅ、急になに恥ずかしい言い出すのよ!」
「恥ずかしくないだろ。俺らは夫婦だ。新婚だぜ。甘々な言葉を交わし合おうじゃないか」
「嫌よ、そんな、今更……」
「そっか。まあ、そんなツンツンしたハルカも、ベッドの上では甘々だけどな!」
「うぅ……バカ!」
ハルカは真っ赤になって、持っていた大皿をテーブルの上に置く。
その大皿には、ハルカと同じくらい赤い刺身が並んでいた。
シーサーペントの刺身である。
俺とハルカの二人っきりで食べようと、ほんの少しだけ持ち帰ったのだ。
更に、ワサビ。
無論この世界にはチューブ入りのワサビなど存在しない。
商人ギルドのロランから買った、本物のワサビだ。
俺はそれをおろし金に当て、今この場ですり下ろす。
じょりじょり、じょりじょり、じょーりじょり。
ツーンとした香りが鼻を刺激した。
おろしたワサビを小皿に移し、別の小皿に醤油を入れる。
俺がその作業をしている間、ハルカは二つのぐい吞みに日本酒を注ぐ。
これは二号タンクの中垂れだ。
辛口でスッキリと飲みやすく、しかし力強い。香りはフルーティーだが、料理の邪魔にならない上品さがある。
「よし、準備完了だ。いただきます」
「いただきまーす」
箸で刺身にワサビを乗せ、それから醤油を付けて口に運ぶ。
チューブ入りの安物ワサビなら醤油に溶かしてもよいのだが、本物のワサビはやはり風味を生かすため、こうして溶かさずに食したい。
その甲斐あって、口の中にワサビの味が広がった。
ツーン!
「おお、効く効く!」
「刺身に醤油にワサビって……まるで日本に帰ってきたみたいね。最高だわ!」
「おいおい。言っておくが、これはマグロじゃなくてシーサーペントの刺身だからな。日本どころか、地球全体を探したってシーサーペントはいないぜ」
「あ、そうだった。でも、ほら。マグロみたいな味よ。それも最高級のマグロ!」
そうなのだ。
シーサーペントの刺身は見た目だけでなく、味もマグロに似ているのだ。
それもスーパーで売っているような代物ではなく、もっと高級な味がする。
昔、ハルカの家族と俺の家族が一緒に青森県に旅行に行ったことがあるが、そのとき大間で食べたマグロが美味しくて感動した。その味を思い出す。
しかもシーサーペントは、トロではなく赤身の味だった。
身が引き締まり、うっすらと脂がのっている。
トロはトロで美味しいが、日本酒には赤身がいいと思う。
赤身のうっすらとした酸味と、日本酒の旨味が互いを引き立て合っている。
なにせ日本酒とは米で造った酒。
米が刺身に合うのは当たり前だ。
醤油もワサビも日本酒は受け止めてしまう。
むしろ、米はどんな食材と一緒に食べても大丈夫だろう。
つまり、日本酒はなんだって肴になるのだ。
だから別にトロでもいいのだ。
トロは脂っこすぎて日本酒と合わないという意見もあるが、芳醇な味の日本酒なら大丈夫だ。
日本酒の包容力は無限大である。
とはいえ、淡麗な味に仕上げた日本酒では、トロの脂に負けてしまう。
俺の造った日本酒も、今のところトロを受け止めるのは、まだちょっとキツイ。
これから秋や冬にかけて熟成させていけば化けるかも知れないが……。
というわけで、どちらかと言えば日本酒には赤身が合う。
「ねえツカサ。来年の造りはどうするの?」
「子作り? それならこれを食べ終わったらいつものように始めるぞ」
「う、うん……それはそれとして、日本酒の話よ!」
日本酒の話かぁ。
「今年は精米歩合70%の米で純米酒を造った。来年はもっと米を磨いて、純米吟醸を造りたい。いや、可能なら純米大吟醸だ」
俺がそう宣言すると、ハルカは刺身に伸ばした箸を止める。
「……言うのは簡単だけど、どうやって? 吟醸を名乗るには精米歩合60%、大吟醸なら50%。つまり米を半分も削らなきゃいけないのよ? この世界の精米技術じゃ無理だと思うんだけど」
「そう。それが問題なんだ。俺の酒造りの技術以前に、大きな壁がある」
この世界はまだ工業機械が存在しない。
だから俺たちは前回、水車を使って精米した。
三日三晩も使って、精米歩合70%。つまり三割しか磨くことができなかった。
しかし大吟醸を名乗るなら、最低、米を半分磨かねばならないのだ。
「単純に水車にかける時間を増やしただけじゃ、米が割れちゃうのよね……」
「ああ。だから本格的な精米機が欲しい」
「……無理でしょ。電気ないし」
「電気がなくても、動力はなんとかなると思う」
「なによ。まさか私に魔法で電気を起こせって言うんじゃないでしょうね? 無理よ、そんないくら私が賢者でも、安定した電力を長時間供給するとか、集中力が持たないわ」
「いやいや。愛しいハルカにそんな無茶は言わないぞ。俺が考えているのは、もっとシンプル。つまり、俺の腕力だ。手回し式精米機を作る!」
俺が真意を語ると、ハルカはポカンと口を開けて固まった。
面白い顔だったので、俺はその開いた口にワサビの塊を放り込んでみた。
途端にハルカは口と目を閉じ、声にならない悲鳴を上げる。
「にゃ……にゃにするのよっ!」
「いや、放り込んで欲しそうに口が開いてたから」
「だからってワサビ入れる!?」
ワサビじゃなくて別のものを入れて欲しかったのか。
何を突っ込んで欲しかったのかな、ぐへへ。
「しかしハルカ。なぜそうポカンとした顔になったんだ?」
「いや、だって、手回し式とか無茶なこと言い出すから……人間の力でどうやって精米機を動かすのよ」
「なにが無茶だ。お前、いつまで常人の感覚なんだ? 俺たちは勇者と賢者だぞ。魔王を倒したんだぞ。モーターやエンジンより馬力があるんだ」
「あ、忘れてた」
ハルカは合点がいったという顔になる。
まったく。
学校の勉強はできるのに、抜けたところある奴だ。
「けどツカサ。それでも問題はあるわよ。精米機の仕組みは何となく知ってるけど……やっぱり作るのは難しいでしょ。そんな金属加工の技術、誰が持ってるの?」
「それもずっと考えてたんだ。そして、この世界でも精米機を作れそうな人……というか種族に心当たりがある」
それはつまり――。
「ドワーフだ」




