12 複雑な事情
次の日の朝。
宿にやって来たパスカルは、食堂でパンを食べていた俺たちの前で青い顔を晒した。
「僕の船が、破壊されていました……」
「破壊!?」
聞き間違いかと思って復唱したが、パスカルは黙って頷くばかり。
俺とハルカは急いでパンを口に入れ牛乳で押し流し、港まで走る。
すると、そこには既に人だかりができていた。
いくつも並んだ木製の船。
その中の一つが、見るも無残にバラバラになっていた。
まるでハンマーで滅多打ちにしたかのように、ただの木片になってプカプカ浮かんでいる。
元は船だったと言われなければ、流れ着いたゴミにしか見えない。
「酷い、誰がこんなことを……」
ハルカは口元に手を当て、唖然と呟く。
それからようやくパスカルが追いついて、かつて自分の船だった残骸を悔しそうに見つめた。
「おやおや? パスカルの船が壊されたと聞いて見に来てやったが……こりゃ派手にやられたなぁ。いやぁ残念。君たちがシーサーペントを倒してくれると期待していたのに」
今度はダーレンが現われ、ニタニタと腹の立つ笑みを浮かべながら、パスカルの感情を逆撫でするようなことを言ってくる。
殴りたくなる奴だ。
しかし当のパスカルが堪えているので、俺やハルカが先にキレるわけにもいかない。
「勇者様と賢者様を岩山のところまで送っていくつもりだったんだけどね。ご覧の有様だよ。だから話しかけないでもらえるかな? 僕は今、とても落ち込んでいるんだ。分かるだろ?」
「さてね。あんなボロ船が壊れたからって悲しむ奴の気が知れない。むしろ自分で壊したんじゃないのか? シーサーペントを狩ると威勢のいいことを言ったはいいが、やっぱり怖くなったんだろ。船が壊れてたんじゃ、言い訳がたつもんなぁ?」
そのとき、パスカルがついにダーレンの胸蔵を掴んだ。
いいぞ、やっちまえ。
「お、何だやるのかパスカル。俺に勝てるとでも? ケンカでも漁でも、そして女の取り合いでも、お前が俺に勝てたことあるのかよ、パスカル?」
「……ああ、そうだな。君はセーラの夫になる男だ。君を殴るのは、セーラに対して失礼だ」
パスカルは歯を食いしばりながら、ダーレンから手を放した。
「はん。腰抜けめ。つまらない奴だなぁ」
それでダーレンはパスカルへの興味を失ったようで、どこかに歩いて行ってしまった。
きっと、朝から酒場にこもるつもりなのだろう。
「ちょっとパスカル! あなた、あそこまで言われて黙ってるの!? あいつとの間に何があったのか知らないけど、私だったら殴ってるわよ!」
ハルカは噴火しそうなほど怒りを顕わにしてパスカルに詰め寄った。
だが、パスカルは何も言わない。
どうやら、余所者の俺たちが安易に立ち入ってはいけない事情があるらしい。
「パスカル。個人的な問題に立ち入る気はない。けどな……俺とハルカをシーサーペントのところまで連れて行ってくれる約束だったんだ。それが船が壊されたせいで無理になった。つまり俺とハルカにとっても無関係じゃないってことだ」
「はい……そうですね」
「だから言わせてもらうが、船を壊したのはダーレンじゃないのか?」
奴はこの村一番の漁師と言われていた。
だがシーサーペントにビビって酒を飲んでばかりいる。
そこにパスカルが名乗りを上げ、俺たちと共に戦うと言い出した。
ダーレンにとっては面白くないに違いない。
「そうよ、私もそう思うわ」
「いえ……僕は違うと思います」
ところがパスカルは、俺の推理を否定し首を振った。
結構妥当な推理だと思ったのだが……きっぱり否定するからには根拠を言って欲しいところだ。
だが、パスカルにはパスカルの考えがあるのだろう。
事情も知らない余所者である俺たちは、あまり首を突っ込むべきではないのかもしれない。
「そうか……分かった。けど、新しい船を用意しないとな」
「はい。というわけで、誰か僕に船を貸してくれませんか?」
パスカルは野次馬をしていた連中に呼び掛ける。
しかし、誰も答えてくれなかった。
視線を逸らしてうつむき、そのまま退散してしまう。
「……次期村長であるダーレンと喧嘩している僕に船を貸すようなお人好しはいませんか。ですが、船は僕が何とかします。勇者様と賢者様はもう少し待っていてください。近日中には何とかしますから」
「ああ。じゃあ、任せた」
俺たちとパスカルは港で別れた。
彼がどこに向かったのかは分からない。
船を貸してくれる人にアテでもあるのだろうか。
「ねえツカサ。あれでいいの? 私は色々納得いかないわ」
「俺だって納得してないぞ。けど、俺たちがダーレンをぶん殴って解決することでもないし。そもそも、船を壊したのはダーレンじゃないとパスカルが言ってるからなぁ。あれは心当たりがありそうな顔だった」
宿に帰ってから、俺とハルカは語り合う。
だが、不毛な会話だ。
ただ憶測を言っているだけで、建設的なものは何もない。
「待ってるだけってのも暇だなぁ……まだ午前中だけど、頑張るか」
「が、頑張るって、何を?」
「そりゃ、あれだよ。子作りだよ」
「……うん……ゴロゴロしてるより、そのほうがまだ建設的だもんねッ!」
と、俺とハルカが頑張ろうとした、そのとき。
またしても部屋のドアがノックされた。
何だろう。
先読みして従業員が文句を言いに来たのか?
「あの……私は村長の孫、セーラです。お願いがあって来ました。開けてくれませんか?」
なんと。
これは意外な人物の登場だ。
子作りしたいのは山々だが、これは流石に無視できない。
「分かりました、今開けます」
俺がそう言うとハルカは不満そうに頬を膨らませる。
実際、俺だって不満だが、村長の孫を廊下に立たせたまま始めるわけにも行かないだろう。
「突然お邪魔して申し訳ありません。どうしてもお伝えしたいことがあったので……」
現われた村長の孫セーラは、気品ある女性だった。
年齢は俺たちと同じくらいだろう。
しかし、こちらは日本の一般家庭で生まれた。向こうは村の漁業を支配する金持ちの孫。
育ちの違いが雰囲気に出てしまっている。
「お構いなく。しかし、こんな狭い部屋で立ち話も何ですから、一階の食堂にでも行きませんか?」
「いいえ、話はすぐに終わるので大丈夫です。お願いというのは……パスカルを危険な目に合わせないで欲しいということです。シーサーペントに挑むなんて無茶です。あなたたち二人でやる分には……いえ、他の誰かと組んでやっても私は一向に構いません。ですがパスカルだけは死なせたくないのです」
そう訴えるセーラは、とても必死だった。
まるで恋人の生死がかかっているかのように。
「はあ……しかし、これはパスカルのほうから申し出てきた話ですし。それに、あなたはダーレンの婚約者のはず。どうしてそこまでパスカルの身を案じるのですか?」
「それは……あなたには関係のないことです」
セーラは目をそらして呟く。
「関係ないってことはないでしょ? だってあなたは、私たちにパスカルとシーサーペント狩りに出るなって言ってるんだもの。事情くらい知らないと、納得できないわ」
ハルカがそう言うと、
「それはつまり、事情が分かれば私のお願いを聞いてくれると言うことでしょうか?」
セーラは何か覚悟を決めたような目でハルカを睨む。
「それは事情次第だわ」
「……分かりました。話しましょう。もう気が付いているかも知れませんが、私が本当に好きなのはパスカルなのです」
ああ……やはり。
何となく、そうじゃないかと思っていた。
「しかし、私を村一番の漁師と結婚させるというのは、祖父と、そして亡き父の願いでもあります。私は村長の孫。自由な結婚など諦めています。ですがそれでも……好きな男に死んで欲しくないと願うのは悪いことでしょうか?」
可哀想なダーレン。
お前の結婚相手はお前よりパスカルが好きらしいぞ。
それが分かっているから、ダーレンはパスカルに辛く当たっていたのかもしれないなぁ。
「願う分には個人の自由だが、俺たちにもその願いを共有しろと言われても困るぜ。パスカルが嫌と言わない限り、俺たちはあいつとシーサーペントを狩る」
「無駄です。パスカルが新しい船を手に入れても、また私が壊しますから」
「え、ちょっと、あなたが壊したの!?」
セーラの告白に、ハルカは目を丸くした。
俺もちょっと驚きだ。
ちょっとはそんな気がしていたが、こうも堂々と白状するとは。
おしとやかな外見とは裏腹に、怖い女性である。
「はい。私は本気です。ですからパスカルのことは諦めて、どうか他の漁師と組んでください。それでは」
一方的にそう言い残し、セーラは俺たちの部屋から出て行った。