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05 美酒鍋

 人生の楽しみが酒しかない。

 自分がそんな寂しい女になるなんて、子供の頃は少しも想像できなかった。

 しかし二十歳を過ぎても、結婚どころか、お付き合いした男性の一人もいないとは。

 仕事一筋といえば聞こえはいいが、好きでそうなったのではないというのが救いがたい。


 とはいえ。

 この私にだって好きな人くらい、いるのだ。

 いや、「いた」と過去形で言うべきだろうか。

 なにせ彼には放浪癖があり、もう半年も王都を留守にしている。

 もはや生きているのか死んでいるのかすら不明だ。

 たまに帰ってきたとしても、一週間も滞在すれば、またどこかへフラリと行ってしまう。


 一週間では、デートに誘う決意も固められないではないか。

 ああ、まったく。

 私にもう少しだけ勇気があれば、何かが変わるかもしれないのに。


「エレミアさん。ニホンシュおかわり! あと何か適当なつまみもちょうだい」


「随分と飲むわね、ティナちゃん。なぁに、またグレンくんのこと思い出して腹を立ててるの?」


「ち、違いますよ! なんでアイツのことなんか……ただ仕事で疲れているだけです」


 私の仕事は『鳥刺し』だ。

 鳥刺しとは、トリモチや網などを使って鳥を捕まえる職業だ。

 捕まえた鳥は貴族に観賞用として売ったり、イベントでファンファーレとともに飛び立たせる演出に使ったりする。


 そして、竜匠(りゅうじょう)が操るドラゴンの餌にも使われる。

 私の好きな彼。幼馴染みのグレンは、竜匠だった。


 竜匠とは、手に乗せられる程度の小型ドラゴンを訓練して狩猟を行なう者のことだ。

 ドラゴンは知能も気位も高く、なかなか人間に懐かない。

 しかし一度パートナーだと認められれば、これほど心強い味方もいない。

 たとえ小型のドラゴンでも、優秀な個体ならば熊を倒してしまう。

 ドラゴンを操るという神秘性から、竜匠は貴族の狩りによく呼ばれる。有力な貴族に気に入られれば、実入りがよくなる。


 ところがグレンのアホは、あの女王陛下の専属竜匠になるチャンスがあったのに、自ら棒に振って放浪の旅に出てしまった。

 いわく、相棒のドラゴンと世界を回って、色々なものを見たいとか。

 実にアホである。

 そして私は、そんなグレンのアホなところが好きだった。

 つまり私が一番アホである。


「そんな思い悩むくらいだったら、ちゃんと自分の気持ちを伝えたほうがいいわよ。毎日お酒飲んだら体に悪いし。まあ、私は儲かって助かるけど?」


「だから、グレンのことは別に……」


 そもそも、伝えようにも、あいつはどこにいるのか分からないのだ。

 それに、伝えたところで失恋するのは目に見えている。

 だって、グレンにとって一番大切なことは、相棒のドラゴンと一緒に放浪することだ。

 私なんて、ただの幼馴染み。

 王都に帰ってきたときは会ってくれるが、それ以上でもそれ以下でもない。


「そうやってウジウジしてると、他の女にとられちゃうわよ」


「まさか。あいつはドラゴンと狩りと旅にしか興味のない男ですよ」


「グレンくんがそうでも、周りの人が放っておかないでしょ。だってグレンくん、結構可愛い顔してるし。竜匠って仕事もミステリアスでいいじゃないの。なかなか帰ってこないのは、どこかで悪い女に引っかかってるからだったりして」


「そ、そんな……!」


 あのグレンが、私の知らない場所で、私の知らない女と。

 まさか。しかし。

 グレンは大人しいから流されるままに……いや、ああ見えて芯はしっかりしているはず。

 とはいえグレンも男。

 美女に誘われたら意外とホイホイついて行ってしまうかもしれない。

 そして部屋に連れ込まれ、押し倒され、あんなことやそんなことを。


「そんな……グレン……ダメよぉ……」


 私は想像し、モヤモヤした気持ちを言葉にしながら、グラスのニホンシュを一気に飲み干した。


「あらあら。私を相手に素直になっても仕方ないのに」


「仕方ないじゃないですか……グレンがいないんだから……」


 するとエレミアさんはヤレヤレといった風に肩をすくめ、私の前に新しい料理を出してくれた。


「エレミアさん。これは?」


「ナスとピーマンの味噌煮」


 なるほど。

 確かに皿に載っているのはナスとピーマンだ。

 黒いナスと鮮やかな緑のピーマンの色合いが、とても食欲をそそる。

 しかし、味噌とは一体?


「この前、ツカサくんとハルカちゃんがね。新しい調味料を造って持ってきてくれたのよ。味噌はその一つ。まだ使い方を研究中なんだけど、美味しいわよ」


 ツカサとハルカといえば、魔王を倒して世界を救った勇者と賢者のことだ。

 二人ともこの店の常連であり、私も何度も会ったことがある。

 歴史に残る英雄がその辺をウロチョロしているというのも不思議な話だが、この店はそういう不思議な場所なのだ。

 女王陛下がときたま、お忍びでニホンシュを飲みにやって来るという噂もある。だが、流石にこれはガセだろう。

 いくらなんでも、大国たるアルバーン王国の女王アンジェリカ・アルバーン陛下が、こんな小さな酒場にやって来るなんて、想像もできない。


「ニホンシュを造ったり新しい調味料を造ったり……勇者と賢者って何者なの?」


「ラブラブ暇人って感じかしら?」


「何それ……」


 ラブラブな上に暇人とは羨ましい限りだ。

 こちらは好きな人に会うこともできず、森の中でジッと息を潜めて小鳥を捕まえているというのに。


 腹が立ったら、腹が減ってきた。

 とりあえず、出された料理を食べよう。

 もぐもぐ。

 柔らかいナスとシャキッとしたピーマンが、口の中でいい具合に調和している。

 そして、この不思議な味が味噌のものだろうか。

 甘い。

 しかし砂糖とは違う。

 なんだろう。

 ニホンシュが進む。

 酔いが回ってきた。


「こんばんは。エレミアさん、お久しぶりです」


 ほら。グレンの声が聞こえるくらい酔っている。


「あらあら、グレンくんじゃない。丁度、あなたの話をしてたのよ。ほら、ティナちゃんの隣が開いてるから座って」


「おや、ティナ。会えるといいなと思っていたけど、本当に来てるなんて。久しぶりだね」


 幻聴、のはずだ。

 あいつはここにいないのだから。

 しかし、その幻聴とエレミアさんが会話している。

 まさかと思い振り返ると、いた。

 店の入り口に、若い男が一人立っていた。

 肩に小型のドラゴンを乗せ、穏やかな微笑みを浮かべる優男。

 ああ、これは間違いなく。


「グレン、あんたいつ帰ってきたの!?」


「たった今だよ。お腹が減ったから、腹ごしらえにと寄ったんだ。ティナがいるような予感もしたしね」


「あ、あっそう! けど私は最近、毎日のように来てるから、この再会は別に運命とかじゃないわよ!」


「ん? そうなんだ。飲み過ぎは体に毒だよ。今日も随分飲んでるみたいだね。顔真っ赤だよ」


「こ、このくらい、どうってことないわ!」


 かなり飲んだのは確かだ。

 顔が赤いのも本当だろう。

 しかし、体がこんなにも熱くなっているのは、酒のせいではなく――。


「隣、いいかい?」


「い、いいけど!? たまにグレンと飲むのも悪くないわね!」


 なにが〝悪くないわね〟だ。

 この瞬間を、半年も待ち焦がれていたのに。

 どうして私は素直になれないのだろう。

 エレミアさんなどクスクス笑ってしまっている。


「ところでティナ。君のところに小鳥の在庫はあるかい? 王都にいる間、ラグナの餌にしたいんだけど」


 そう言ってグレンは、肩のドラゴンの首をなでた。

 ラグナというのは彼のドラゴンの名前である。

 元々は野生のドラゴンだったのだが、五年前、私が森に仕掛けた小鳥捕獲用の網に引っかかっていたのだ。

 私はグレンが幼いときから竜匠になりたがっているのを知っていた。

 だから、嬉々として捕まえたドラゴンを彼に見せた。

 そしてグレンはドラゴンにラグナと名付け、独学で調教し、宮廷に名が知られるほどの竜匠に成長し――そのあげくに放浪の旅に出た。

 私がラグナを捕まえなければ……彼に渡さなければ……グレンはずっと王都にいたのに。

 なんて余計なことをしてしまったのだろう。

 だが、竜匠になったグレンは、昔よりも格好良くなった。

 そこが悩みどころである。


 私はグレンが好きだ。流浪の旅人をしているところも含めて好きなのだ。

 だから、ずっと今のままでいてほしい。

 しかし、そうすると私は彼に会うことができない。

 困った。


「生きのいい小鳥は売るほどいるわよ。鳥刺しなんだから当たり前じゃないの」


「そうだったね。なにせティナはドラゴンを捕まえるくらい凄腕の鳥刺しだから」


「ま、まあね!」


 ちょっと褒められただけなのに、嬉しくてたまらない。

 会話をしているだけで頭がおかしくなりそうなほど幸せだ。

 前から好きだったけど、前はこれほどではなかった。

 酒のせい? 半年も会っていなかったから?


「ねえティナ。君がさっきから飲んでるそれ。お酒かい? 無色透明なのに、凄くいい香りだ。前からこんなのあったかな」


「ああ、そっか。半年も帰ってこなかったら知らないのね。これは勇者と賢者が造った、ニホンシュってお酒よ。米が材料らしいわ」


「へえ、米の酒か。じゃあエレミアさん、俺にもください」


「あれ。グレン、あんた酒に弱かったじゃない。いいの?」


「そうだけど、流石に一杯じゃ潰れないよ。こんな珍しいものを飲まずに王都は去れないしね」


「……そう。やっぱり、またすぐいなくなっちゃうの?」


「うん。この国の中だけでも、まだ回っていない場所が沢山あるからね。世界は広いよ。まるで飽きない」


 そう語るグレンの目は、ここではない、どこか遠い場所を見ていた。

 そして彼は、ただ憧れるだけでなく、本当にそこへ行ってしまうのだ。

 だから魅力的で、だから寂しい。


「グレンくんは顔に似合わず、積極的だもんねぇ。私たちが見てないとこで、女性を沢山泣かせてたりとか?」


「ちょ、エレミアさん、何てことを!」


「はは、酷いなエレミアさん。残念ながら女性には縁がなくて」


 グレンは照れくさそうに言う。

 それを聞き、私はつい大声を出し、詰め寄ってしまった。


「それほんとっ? あなた、女に縁がないの!?」


「う、うん……そうだけど、それがどうしたの……?」


「いえ、何でもないけど!」


 何でもないけど、嬉しい。

 グレンは悪い女に押し倒され、あんなことやそんなことをしていないのだ。

 心の中でガッツポーズだ。


「むっふー。あんたの女っ気のなさに乾杯!」


「変なティナだね。乾杯」


 私たちはグラスを軽くぶつけ合い、ニホンシュを口に入れる。

 うん。

 やはり美味しい。

 ほんのりとした辛みがあって、香りが強いのに爽やかなのどごしだ。

 これならいくらでも飲める。

 まあ、だからといって調子に乗って飲んでいると、明日動けなくなるのだけれど。


「こりゃ凄いな。俺は酒のことは分からないけど、このニホンシュが凄く美味しいってのは分かる。びっくりだ。勇者様と賢者様は来てないの? お礼を言いたいんだけど」


「ごめんなさい、今日は来てないわねぇ」


「そうですか。まあ、しばらくは王都にいるつもりなので、いつか会えるでしょう」


 そう言って、グレンはまた一口ニホンシュを口に入れる。

 彼にしてはハイペースだ。

 よほどニホンシュが気に入ったのだろう。


「ああ、本当に美味しいや。けど、あんまり飲んだら大変なことになりそうだ。俺がもう少し酒に強かったらなぁ」


「分かるわ。ニホンシュって水みたいにするする飲めちゃうのに、ビールより強いんだもん。反則よ」


 このニホンシュがオールドマザーに並んでから、二日酔いになる者が続出していると聞く。


「ふふ。そんな二人のために、美酒鍋を作ってあげましょうか?」


「美酒鍋?」


 初めて聞く名前だ。

 名前からして鍋料理だとは想像できるが、中身は何だろう。


「この前、ハルカちゃんに作り方を教えてもらったの。鍋に野菜や肉を入れて、ニホンシュで煮込むのよ」


「ニホンシュで煮込むって……そんなの食べたら、それこそ二日酔いになっちゃうじゃないですか」


 私の反論に対し、エレミアさんは笑って答える。


「大丈夫。アルコールが全部飛んじゃうから、ニホンシュの旨みだけが残るのよ。まあ、騙されたと思って食べてみない?」


 私とグレンは顔を見合わせる。

 正直、半信半疑だ。

 酔わずにニホンシュの味だけを楽しむなど、本当にできるのだろうか?

 しかし、エレミアさんが嘘を言うとも思えない。


「ここは一つ、騙されてみましょうか?」


「そうだね。もし本当なら、毎日だって食べたいよ」


 私たちの返事を聞き、エレミアさんはニッコリと微笑む。

 やがて鍋が運ばれてきた。

 その蓋が開けられると……ニホンシュの香りがプワッと広がる。

 なんと力強いのだろう。

 グラスに入ったニホンシュより凄いかもしれない。


「これ、本当に食べても酔わない……?」


「大丈夫よ。とりあえず食べてみて」


 エレミアさんは丼を二つ、私たちの前に置く。

 鍋からこれに取り分けて食べろと言うことだ。


「俺はエレミアさんを信じるよ」


 グレンは自分の丼に鍋の中身をよそう。

 そしてスプーンで白菜をすくい上げ、スープと一緒に食べる。

 その様子を、私は息を飲んで見つめていた。

 味は、美味いに決まっているのだ。

 問題はアルコール。

 もし鍋の中身が全てニホンシュだとすれば、明日は完全に二日酔い。

 だが、エレミアさんの言うように、アルコールが飛んでニホンシュの味だけが残っているとすれば……。


「ティナ、僕に毒味をさせて、自分は食べないつもりなのかい?」


「べ、別にそう言うわけじゃないけど」


 実はそうだったのだけど。

 まあ、こうなればアルコールがあろうとなかろうと関係ない。

 覚悟を決めて食べてしまおう。

 二日酔いが怖くてニホンシュが飲めるか。


「はふはふ……熱っ……熱いけど、何これ美味しい!」


 口の中で鶏肉がとろけている。それから食べたネギやニンジン、シイタケ……。どれもニホンシュの味が染みこんでいる。それでいて食材の味も死んでいない。

 そして何より重要なのが、いくら食べても飲んでも、酔う気配がないということ。


「本当に美味しいね。エレミアさん、丼をもう一つください。ラグナにも食べさせてあげたい」


「はいはーい」


 三つ目の丼に、グレンはたっぷりの野菜と鶏肉を入れる。

 それからグレンはラグナの顎の下を撫で、「君の分だよ」と呟く。

 すると今まで微動だにしなかったラグナは、グレンの肩からピョンと飛び降り、カウンターの上に立って、丼に頭を突っ込んだ。


「ドラゴンに美酒鍋の味が分かるのかしら?」


「さあ。けど、何だか美味しそうな顔をしてるよ」


「……そうね」


 とは言いつつ、私はドラゴンの表情なんて見分けられない。

 しかしそれでも、ラグナが本当に喜んでいるような気がした。


「ところでさ。わざわざアルコールを飛ばしてもらってあれなんだけど……」


「ティナもかい? 俺もなんだ。この鍋を食べてたら……ニホンシュが飲みたくなった」




 そして程なくして、グレンは完全に酔いつぶれてしまった。

 まっすぐ立つこともできない。

 私が肩を貸して、ようやく歩けるといった感じ。

 とてもではないが一人で宿まで行けそうにないから、私が送っていくことになった。


「あんた、よくこんなんで旅なんてできるわね。王都は治安がいいからいいけど、他の街でここまで酔ったら、身ぐるみ剥がされるんじゃないの?」


「はは、面目ない……けど、普段はこんなに飲まないよ。ニホンシュが美味しかったからさ。あと、君と久しぶりに会えて浮かれていたのかも」


「あ、あっそう……!」


 息を吐くようにして嬉しい台詞を言ってくれる。

 天然の女たらしだ。

 こいつ、本当に女と縁がないのだろうか。

 自覚していないだけで、あちこちで女性を泣かせているのではないか。

 ほら。グレンの頭の上に座るラグナが、呆れたような顔をしている。

 ……ドラゴンの表情は分からないけど、多分。


「……ところでさ。ちょっと気になったんだけど。グレン、あんたってずっと旅してたいのよね」


「ん? そうだけど……?」


「じゃあ、どうしてちょくちょく王都に帰ってくるの? あ、別に帰ってくるなって言ってるんじゃなくてね!」


「なんだ、そんなことか。僕も人間だからね。たまに人恋しくなるんだよ。だから半年に一回くらい、君の顔が見たくなるんだ。ティナが一番仲の良い友達だからね」


 グレンは、酔って赤くなった顔でそんな甘い台詞を吐いた。

 息は酒臭いけど、とても甘い。

 ああ、やはりこいつは女たらしだ。

 放っておけば、絶対に悪い女に捕まってしまう。


 だから、決めた。


「ねえ、グレン。ここからだとさ。宿に行くより、私の家のほうが近いわよ。今夜は泊まっていっていいわよ。っていうか、泊めるから」


 酔いつぶれて一人では歩けないグレンを、私は自宅へと引きずっていく。

 悪い女になってやるぞ。

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