04 肉じゃが
味噌も醤油も、日本酒と同じく麹カビを利用した発酵食品である。
そして二つとも大豆が主な原料だ。
味噌を作るには、まず大豆をよく洗ってから、十数時間、水に浸す。いわゆる浸漬という工程だ。
それから大豆を大鍋で、指先の力で軽く潰せるくらいの柔らかさになるまで煮込む。これには四時間ほどかかる。
柔らかくなった大豆を叩いて潰し、そこに塩と米麹を入れて、しっかり混ぜ合わせる。
これを桶に移し替え、蓋に重石をのせて、十ヶ月以上熟成させて完成だ。
醤油はもう少し面倒だ。
まず大豆を浸漬してから鍋で煮込むところまでは味噌と同じだ。
しかし醤油は大豆だけでなく小麦も使う。
小麦をフライパンで炒めてから、瓶などで叩いて砕く。
そこに種麹を振りかけ、更に茹でた大豆を混ぜる。
これを麹蓋に入れ、温度と湿度を管理しつつ麹カビを繁殖させる。この辺の工程は酒造りによく似ている。二日ほどで醤油麹の完成だ。
出来上がった醤油麹に塩を混ぜ合わせてから桶に入れる。
そして水を入れて掻き混ぜて、蓋をして密閉する。
十ヶ月以上熟成させてから、濾過してカスを取り除き、熱処理をして殺菌したら完成だ。
どちらも日本酒の片手間に造ったものだが、それなりによく出来上がった。
今からハルカに、これらを使って和食を作ってもらう。
肉じゃがに味噌汁である。
肉じゃがは、牛肉とタマネギとジャガイモとニンジンをフライパンで炒め、醤油と日本酒と砂糖を加えて煮込むというシンプルな料理だ。
シンプルであるからこそ日本中どこでも作られる。ゆえに各家庭ごとのレシピが生まれる。いわばキングオブ家庭料理だ。
だがシンプルさでいけば味噌汁だって負けていない。
極端な話、お湯に味噌を溶かせばそれだけで味噌汁だ。
「よし、完成。この店にあるものだけで作ったから不完全かもしれないけど……」
ハルカは俺と代筆屋の前に、肉じゃがと味噌汁を置く。
懐かしい香りだ。
実家の朝食を思い出す。
毎日、白米と味噌汁を食べてから登校したものだ。
「ほう。珍しいスープと煮物ですね。ではまず煮物からいただきます」
代筆屋はフォークをジャガイモに突き刺した。
見ただけで火がよく通っていると分かる。
何だか涎が出てきた。
俺は代筆屋の反応を観察するつもりだったが、我慢できなくなり、箸を持って自分の肉じゃがを食べることにした。
まずは牛肉。柔らかい。そして噛むたびに味が染み出してくる。
次にジャガイモ。ニンジン。タマネギ……それぞれの出汁が混ざり合い、手作り醤油の味も染みこんでいる。しかも純米酒『楽桜』を料理酒として使う贅沢。不味いわけがない。
「ハルカ。グッジョブだ。流石は俺の嫁!」
「えへへ……どういたしまして」
ツンデレのハルカだが、肉じゃがを褒められて素直に喜ぶ。可愛いぜ、全く。
「これは……いったい何を使って煮たのですか? 見たことのある食材なのに、まるで知らない味です。いや、本当に美味しい」
代筆屋はそう言いつつ、フォークが止まらない。
俺の嫁の料理で喜んでくれて嬉しいぜ。
そして俺たちは味噌汁にも口を付ける。
具は刻んだネギだけだ。
豆腐も欲しいところだが、この世界にまだ豆腐は存在しない。
俺たちが作らないとダメなのだ。
「温かい……これで完全に体が温まりました。ありがとうございます。生き返りました」
代筆屋は深く感激している。
一口一口、余韻まで味わうようにして味噌汁を飲んでいった。
しかし――。
「ハルカ。もうちょっとダシが欲しいな。いや、もうちょっとというかダシがないぞ、これ」
「あ、当たり前でしょ! どうやってダシを取れって言うのよ」
それもそうだ。
この店の厨房に、昆布やカツオブシがあるはずもない。
「じゃあ今度、煮干しでも作るか」
「……そうね。煮干しなら簡単に作れそうだし」
日本酒に続き、味噌と醤油まで完成させたのだ。
可能な限り日本食を再現していきたい。
「ハルカちゃんばかり目立ってズルいわ。私の作ったキュウリの漬物も食べてちょうだいよ」
エレミアさんはキュウリが載った皿を出してきた。
塩と唐辛子で味付けした漬物である。
「ピリリとした辛さが何とも……癖になりますね。いくらでも食べられますよ」
代筆屋はキュウリの漬物も気に入ったようで、パクパクと食べていく。
あっという間に皿が空になった。
俺はまだ一切れも食べていないというのに。
しかしエレミアさんがニコニコと嬉しそうにしているので、よしとしよう。
「……ところで、やっぱ日本酒も必要だろ。さっきは熱燗だったから、次は常温で出してくれ」
「はーい」
ハルカはワイングラスに楽桜を入れて出してくれた。
お猪口の熱燗に比べて、とても爽やかな印象になる。
「……これは、熱燗とは違うお酒なのですか?」
「いや。温度と入れ物が違うだけで、同じ日本酒だよ」
「ニホンシュ……しかし香りまで違って感じますね。味は……甘さが控えめになったような……ああ、飲みやすい。料理と一緒なら、こちらのほうが合うような気がします」
「俺もそう思う。というわけでエレミアさん。キュウリの漬物、追加お願いします」
「はいはーい」
俺と代筆屋は、ハルカの作った肉じゃがと味噌汁を食べ、酒を飲み、キュウリを食べ、また酒を飲んだ。
美味い。実に、美味い。
いくら金をかけても、これ以上の贅沢はできないのでは、と思えるほどだ。
「ごちそうさまでした。大雨が降ってきたときはどうしようかと思いましたが、おかげで素晴らしい店に出会えました。ちょくちょく寄らせてもらいますよ」
「ふふ、常連さん一人ゲットね」
丁度、雨もやんだようだ。
代筆屋は羊皮紙の入った鞄を持ち、満足そうに出て行った。
俺も味噌と醤油が好評で満足だ。
しかし、代筆屋か。
結婚式の詳細が決まったら、彼に招待状の代筆を依頼するのもいいかもしれない。
そのときは最高級の羊皮紙を使ってもらおう。