28 初添
これより、醪を造る。
醪とは、今まで俺たちが探し出し、造り出してきたもの全て……水、蒸米、麹、酒母を混ぜ合わせる、酒造りの本番。
日本酒の原液である。
俺とハルカの酒蔵では、二つの発酵タンクを使って醪を仕込む。
発酵タンクもまた、酒母タンクと同じく、王都の桶職人に作ってもらった。
ただし、こちらのほうが遥かに大きい。大人が立ったまま、五人くらい入っても余裕なほどだ。
「醪の仕込みは約三週間ほどかかる。これが終われば、絞りたての日本酒が飲めるぞ。最後まで力を貸して欲しい!」
「おおおおおおっ!」
今日のお手伝い当番の十人の村人が、酒蔵の前で雄叫びを上げる。
おかげで気合いが入った。
そして、今日の当番の中にエヴァンがいるのだが、なぜかその家族であるイライザさんとレイチェルも一緒に並び、わーわー騒いでいた。
「なぜ二人が……?」
「応援しに来た」
「応援が終わったら帰るのでお気になさらず」
レイチェルとイライザさんは、のほほんと答える。
イライザさんのお腹はすっかり大きくなっている。もはや、いつ生まれてもおかしくないといった感じだ。
エヴァンがこの村に帰ってきたのは五月の終わり。
そして今は二月の半ば。
つまり帰ってきて早々に子作りしたということになる。
実におさかんなことだ。
「なあエヴァン。イライザさんと一緒にいなくていいのか?」
「そうよ。色々大変なんじゃないの?」
レイチェルとイライザさんが帰ってから、俺たちはエヴァンに問いかけた。
無理をしてまで手伝って欲しくはない。
他に人手がないというわけでもないのだし。
「大丈夫だ。生まれるにはまだ早いし、レイチェルがそばについている。あと、ルシールもちょくちょく見に来てくれてるしな。それに、お前らには俺の力が必要だろ?」
そう言ってエヴァンは力こぶを作ってみせる。
確かに、彼の力は貴重だ。
なにせ、ついこないだまでクー・シー傭兵団の特攻隊長だった男だ。
村人たちの体力も相当なものだが、やはり鍛え方が根本から違う。
俺とハルカ、そしてエヴァンという超人三人がいたからこそ、これほど順調に進んでいる。それは事実であり、ここでエヴァンに抜けられると正直、痛い。
「そうか……なら、その言葉に甘える。けど、何かあったら言ってくれよ」
「もちろんだ。一番大切なのは家族だからな」
エヴァンは包み隠さずニッと笑った。
それでこそ俺とハルカも安心し、心置きなく彼を酷使できるというものだ。
「じゃあ始めるぞ。二班に分かれるぞ。俺は蒸米を指揮するから、ハルカは酒母タンクを仕込み蔵に運ぶ班を頼む」
「おっけー。任せといて。エヴァンは私の班を手伝って。力仕事だから」
「おう。そういうのは得意だぜ」
酒母タンクはドラム缶よりも大きい木製の桶だ。その中身は酵母菌たっぷりのドロドロになった液体。
常人が一人で運ぶのは不可能だが、ハルカとエヴァンなら悠々と持ち上げるだろう。
そして酒母タンクの中身を、巨大な発酵タンク二つに、均等にいれる。
今の日本だとポンプを使ってタンクからタンクへ移すことができるが、この世界では酒母タンクを担いでハシゴを登らねばならない。
江戸時代の人たちはどうやっていたのだろうか?
きっと全員が超人だったに違いない。
その作業と並行して、新たに蒸米を作る。
今日必要なのは百六十キロほどだ。
やはり蒸すのに一時間ほどかかる。
「ツカサ。酒母を全部、発酵タンクに入れたわよ。ちょっと見てちょうだい」
「おう、ごくろうさん」
俺は仕込み蔵に行き、ハシゴを登って二つの発酵タンクの中身を確認する。
発酵タンクの一割くらいの水位まで酒母が入っていた。
「大丈夫だな。これに水と麹をいれるぞ。手分けしてやろう」
俺はハルカに水の量を指示。
するとハルカ班は井戸まで走って行き、水を汲む。
俺は、枯らし場に寝かせておいた麹を取りに行き、そして発酵タンクに入れ、棒で撹拌する。
「そろそろ蒸米ができる頃だな」
予想どおり、蒸米は丁度いい外硬内軟になっていた。
それを手の空いている者たちで発酵タンクに入れる。更にハルカたちが汲んできた水も入れる。
「おーけー。撹拌してみよう」
俺は発酵タンクに棒を入れ、グルグルと回す。
すると水面に荒波が立ち、かすかにツンとした香りが漂ってきた。
この香りは、酵母が元気な証拠である。
これで今日の作業はほぼ終了だ。
あとはいつものように、使った道具を洗い、酒蔵を掃除する。
もっとも、あくまで今日の作業が終わっただけ。
醪の仕込みは、三回に分けて行なう。いわゆる『三段仕込み』というやつだ。
今日やったのは一番最初の工程、『初添』である。
明日は何も加えず、一日休んで酵母菌を増やす。
明後日は三段仕込みの二段目、『仲添』を行なう。
更に次の日が、三段目の『留添』だ。
なぜ三回に分けるかというと、そのほうが酵母の増殖や、温度管理がしやすいからだ。あと、一度に全てを仕込むと、量が多すぎて人間の力では撹拌できなくなってしまう。
無論、勇者の力なら可能だが、しかしそんな強引なことをしても美味しい酒にはならない。
手を抜けば、そのまま味に響く。酒は正直だ。これはきっと日本酒に限らないと思う。
「明日は一日お休みね、ツカサ」
「おう。とは言っても、発酵具合の確認には来るけど。温度を十二度にキープするため、暖気樽を入れなきゃいけないし。けど、今まで忙しがったから、沢山イチャイチャしような」
「も、もう……ツカサったら仕方ないわね……!」
なんて言いながら、ハルカの顔は期待に染まっていた。
酒造りが繊細な作業だった分、ハルカには激しくしてやるぜ。