26 麹造り
この辺から酒造りの細かい解説が多くなっていくので、興味がない人は適当に読み飛ばして台詞だけ追いかけて下さい
麹室には細長い木製のテーブルがあり、その上には清潔な白い布が被せられている。
さっき運び込まれた蒸米は、事前の指示通り、白い布の上に乗せられていた。
麹室はつねに三十度を保っていなければならない。
現代日本だと樹脂製の断熱材を使っているが、この世界ではローテクで断熱するしかなかった。
よって、壁の中には、もみ殻や藁クズがぎっしり詰まっている。日本でも昭和三十年代までは、こういった方法で断熱していたらしい。
ちなみに、もみ殻や藁クズは二年に一度、交換しなければならないが……今は関係ない。
「皆、テーブルの上に蒸米を広げてくれ。まずは冷ますぞ。ああ、ちなみに手はちゃんとよく洗ってきただろうな?」
「問題ない。石鹸で綺麗にしてきたぜ」
エヴァンが手の平を見せながら答えた。
確かに汚れ一つない。
もちろん、ミクロな雑菌はいるのだろうが、そこまで言い出したらキリがないだろう。
俺たちは蒸米を薄く広げていく。
そして、人肌まで温度が下がったのを見計らい、種麹をまぶしていく。
この種麹は以前、教会を一週間も閉鎖して作ったものだ。
それをビンにいれ、口を布で覆い、シャカシャカ振る。
すると布の編み目から、麹カビの粉が蒸米の上に降りかかっていく。
蒸米全体にまんべんなく振りかけるというのは、意外と難しい。
それが終わると、今度は皆で蒸米を揉みほぐしていく。麹カビが蒸米の一粒一粒に均等に行き渡るようにする、『床揉み』という作業だ。
「よし。こんなもんだな。蒸米を一カ所に集めろ」
俺の合図で、広げられていた蒸米が一塊にまとめられる。それを木綿の布で何重にも包む。この布の中で、麹カビが育っていくのだ。
「ごくろうさま。夜にはまた作業があるけど、それは別の人たちにやってもらうことになってるから、皆は休んでくれ」
手伝ってくれた村人たちに、安堵の色が広がる。
初めての作業で緊張していたのだろう。
俺も大きく息を吐いた。
「ツカサ。お疲れ様。夜まで休みましょう……」
「ああ。ガチで疲れた。イチャイチャする気力もない」
かつて魔王を倒した俺たちだが、それでもやはり酒造りは疲弊する。
体力よりむしろ、精神力が削られていく。
手を抜ける工程が一つもないのだ。
特に今やっている麹造りは、全行程の中でも最も重要と言われている。
夜に備えて、真面目に休もう。
そして夜。教会の鐘が九時を知らせる。
朝とは別の人たちが酒蔵の前に集まってくれた。
その人たちと一緒に、昼間の布を開き、また米を揉みほぐす。
米粒に傷をつけないよう、注意して、丁寧に。
この夜の作業を『切り返し』という。
切り返しが終わると、また木綿の布で米を包んで寝かせる。
そして箒で麹室をチリ一つ残さないくらいに掃除する。
「皆、夜遅くまでありがとう。おやすみ」
「勇者様と賢者様も、ゆっくり休んでくだせぇ……」
村人に気遣われてしまった。
だが、やはり一番辛そうなのは村人たちだ。
九時以降に仕事をするなど、おそらく初めての経験のはず。
幸いにもこの村の人口は三百人もいる。
交代で作業してもらえば、何とかなるだろう。
次の日の朝六時。教会の鐘で俺とハルカは目を覚ます。
また村人たちと布を広げ、米をほぐす。
しかし、この作業もこれが最後だ。
米の表面に、麹カビが育ってきている。
ゆえに俺は、米を麹蓋に移す頃合いだと判断した。
麹蓋とは、杉の木で作ったA3くらいの大きさの箱だ。以前、種麹を作るために使ったのを流用する。
三百キロの米を、無数の麹蓋へと移していく作業も、これまた重労働だ。
「手伝いに来ましたが……今日も大変ですわね……」
ルシールが弱音を吐きながらも、米を麹蓋へと盛っていく。
それが終わると、麹蓋を棚に積み上げる。
ちなみに、この積み方にもテクニックがある。隙間なくキッチリ積むこともあるし、わざとズラして積んで隙間を空けることもある。そうやって温度調節をするのだ。
神の如き技術を持った者は、この隙間の開け方が絶妙で、一度積み方を決めたらそのままでも麹カビが育つ。
だが、俺には残念ながら、そこまでの経験がない。
正直、どうなればそんな神業が可能なのかも分からない。
よって、二時間起きに米と麹カビの状態を確認し、積み方を変えてやる必要がある。
「俺は今から明日の朝まで徹夜だ……」
「無理しないでツカサ。私が途中で交代しましょうか?」
「……お前に麹の状態が分かるのか? 麹蓋の積み方を調整できるのか?」
「うぅ……無理」
「だろ? ここは俺がやるしかない。けど……もし俺が起きなかったら、ぶん殴ってでも起こしてくれ」
「分かったわ! 任せておいて!」
かくして俺は、賢者様のビンタによって叩き起こされながら、麹蓋をズラしたり、積み替えたりと頑張る。
俺にビンタするためハルカも起きているのだ。弱音は吐けない。
そして麹カビの繁殖が、最高潮に達しつつある。
活性化した麹カビは熱を放ち、室温を上昇させていた。
それでも何とか麹蓋の温度を均一にしてみせるのが、俺の腕の見せ所というわけだ。
麹蓋という小さい箱にいれているからこそ、こうして積み替えて調整できるが……だからこそ面倒だ。
なお、最近の酒蔵では、麹蓋よりも大きい麹箱を使って温度管理を行なう場合が多い。
大きい分、手間はかからないが、それだけ温度管理が雑になる。
ぶっちゃけた話、安い酒を造るときは麹箱を使い、高い酒を造るときは麹蓋を使う。
今回は初回なので、妥協したくなかったから麹蓋だ。
今後、もっと大量生産するようになったら、俺も麹箱の使用を考えよう。
死ぬほど眠い。
今はハルカのおっぱいより枕が欲しいくらい眠い。
あるいはハルカのおっぱいを枕にして寝たい。
しかし徹夜で頑張ったおかげで、麹カビは米を覆い尽くした。
種麹ほど黄色くならず、白さを残している。
麹として理想的な状態。
米の香りは一切なし。代わりに『もやし香』という甘い香りが漂っている。マツタケのような香りと表現した人もいたが……俺はマツタケなんぞ食ったことがないから分からん!
「おーい、皆! 手伝ってくれ! 麹室から麹を出すぞ!」
俺は酒蔵の前で待機していた村人たちを呼び、麹蓋を枯らし場まで運んでもらった。
枯らし場とは、麹を枯らす……つまり乾燥させるための部屋だ。
もっとも、温風などを当てるのではなく、丸一日寝かせて、自然乾燥させるだけである。
俺とハルカで枯らし場に麻布を敷き、麹を平らに広げていく。
あとは明日まで待つだけだ。
「よしゃぁぁぁっ、寝るぞ! ひたすら寝るぞ! ハルカ、おっぱい枕してくれ!」
「ちょ、ツカサ、皆がいるところでそんなこと言わないでよ!」
「分かった、皆がいないところならいいんだな!? 行くぜ!」
村人たちがニヤニヤしながら見つめてくるのを無視して、ハルカとともに自宅の寝室に行く。
そしてハルカを押し倒し、その胸に顔を埋め、イヤらしいことを何もせず、深い眠りに落ちていった。




