25 酒造り開始
十二月、初頭。
ハイン村に雪が降り始めた。
村人たちにも手伝ってもらい、水車にエルフ米を運び入れ、精米を開始した。
水車の力で歯車が回転し、杵を持ち上げ、米を叩く。
ここから三日三晩、ひたすら精米だ。
その間、村人は畑にいる牛たちを小屋にいれ、豚を殺してソーセージと塩漬け肉を作る。
俺とハルカもそれを手伝いつつ、一日に何回も水車を見に行った。
そして三日後。
俺は臼に手を入れ、米をすくった。
「見ろ、ハルカ。真っ白だぞ」
「凄いわ! これ、三割くらい削れてるんじゃないの!?」
「ああ。精米歩合70%。まさか水車でこんなに綺麗に米を磨けるとは……申し分ない。これで失敗したら、俺の腕だ」
精米したエルフ米を麻袋にいれ、また村人たちに協力してもらい、酒蔵まで運んだ。
精米したての米は熱を持っているうえ、水分が飛んでカラカラに乾いている。
この状態で蒸したり浸漬を行なったりすると、水分を一気に吸いすぎて、割れる危険性が高い。
よって米倉で三週間ほど寝かせ、水分を自然吸収させておく。
この工程を『米を枯らす』という。
ここまでやって、ようやく作業を開始できるのだ。
さあ。
いよいよだぞ。
「皆。朝早くから集まってくれてありがとう。そして聞いてくれ」
雪降る中、酒蔵の前に、二十人の村人が集まってくれた。
その中には、村長、ルシール、エヴァンといった親しい奴らもいる。
「日本酒造りの全行程は約二カ月だ。つまり今からだと、二月の末か三月の頭には完成する予定だ。絶対に美味しい日本酒を皆に飲ませると約束するから、手を貸して欲しい。もちろん、皆の生活が犠牲にならない範囲でだ。じゃあ、今日は洗米と浸漬を行なう」
洗米はそのままの意味。水を張った桶で米で洗うのだ。
二トンの米を精米歩合70%まで削ったから、一・四トン。
今日は麹造りに必要な三百キロ強しか使わないが……それでも、これだけの量の米を洗うのは、重労働を通り越して苦行ですらある。
しかも、今は冬。
一応、屋根の付いた洗い場があるが、気休めにしかなっていない。
ハルカの魔術で温かくすることも可能だが、そうすれば米の状態が変わってしまう。
申し訳ないが、皆には寒さに耐えてもらうしかない。
「なぁに、大丈夫さ、勇者様。俺たちは真冬に豚の解体をしてるんだ。それと似たようなものよ」
と、手伝いに来た村人の一人が言ってくれた。実に頼もしい。
洗米は米の表面についた糠をしっかり洗い流さねばならない。また、米同士が擦れ合い、さらに表面が磨かれるという効果もある。
とはいえ、いつまでも洗っていると、米が水を吸いすぎてしまう。
俺は米の状態を確認しながら、皆に指示を飛ばす。
「洗米はここまでだ。次は浸漬を行なう」
浸漬とは米を水に漬け、水分を吸わせる工程だ。
これまでも、米を枯らしたり、洗米したりして水を吸わせてきたが、それでも足りない。一工程ずつ順序立て、丁寧に水を吸わせないと、いい酒は造れないのだ。
麻袋に米を入れ、桶の水に漬けること一時間半。
「よし、米を桶から出せ! 次は蒸すぞ。ハルカ、釜の準備は大丈夫か?」
「いつでもOKよ!」
酒蔵には専用の巨大な釜がある。これで一度に大量の米を蒸すことが可能だ。
しかも俺は、薪ではなく石炭を仕入れていた。
これで高温の蒸気を発生させることができる。
理想の蒸米は『外硬内軟』だ。
これは握ったときに米全体に弾力があり、内側が柔らかく、それでいて外側がべたついていない状態を指す。
「つまり外硬内軟とはツンデレ。ハルカみたいな状態を指すわけだ」
「急に何つまんないこと言ってるのよ!」
同じ品種の米、同じ釜を使って蒸しても、その日によって出来上がりはまるで違う。
では、いかにして外硬内軟にするか。
それは長年の経験と勘でやるしかないのだが、高温の蒸気で蒸したほうが、外硬内軟になりやすい。
そう。水というものは、必ずしも百度で沸騰するものではない。密閉された容器の中なら、水の蒸発温度は圧力とともに上がっていくのだ。
また、蒸気となった水を再度加熱する技もある。
釜の水位を低くして沸騰させる。すると蒸気が釜の中をのぼっていく最中に、釜の内壁に触れて再加熱される。
もっとも、あまり水位を低くして火力を上げると、空炊きしているのと同じ状態になり、釜が割れてしまうので、ほどほどにしなければならない。
こうして百度以上になった蒸気が、釜に乗せられた甑の中のエルフ米を蒸していく。
蒸しに必要な時間は、約一時間。
無論、一時間ピッタリで止めればいいというものではない。
蒸米の状態を俺自身が確認して、その時間を決める。
この蒸米を失敗すると、その後の工程で何をやっても、いい酒を造ることができない。
非常に神経を使う。
「よし、甑から蒸米を出すぞ!」
俺とハルカ、エヴァンは、熱い蒸気がたちこめる中、木製のスコップで蒸米を掘り起こし、籠の中に入れていく。
村人たちが籠を持って麹室に走って行き、空になった籠を持って帰ってくる。
それに俺たちがまた蒸米を入れ、また村人が運んでいく。
このピストン運輸で、なんとか甑を空にした。
「よし、十人はここに残ってお湯を沸かし直してから、甑と、さっき使った桶を洗え」
日本酒造りは雑菌との戦いだ。
ゆえに使い終わった道具は念入りに洗う。そのために夏のうちに、箒や簓を作ったのだ。
汚れを落として、熱湯で殺菌する。
昔からの知恵である。
「俺たちは麹室に行くぞ」
「申し訳ありません勇者様……つ、疲れちゃいました……」
「そうか。女の子には辛いもんな。ルシールは休め」
「はい……」
ルシールは糸が切れたようにバタリと倒れてしまう。
無理もない。
酒造りはハードだ。
村暮らしで鍛えられていたとしてもキツイ。
大人たちですら辛そうにしている。
平気な顔なのは、俺とハルカとエヴァンくらいだ。
しかし、まだ始まったばかり。
本番はこれからだ。




