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22 久しぶりのオールドマザー

 七月。

 春に種をまいた大麦を刈り、脱穀作業を行う。

 また、王都から大工たちがやってきて、いよいよ村はずれに俺が設計した酒蔵を作り始めた。

 十一月になる頃には完成するらしい。

 実に楽しみだ。


 八月になると、村は少し暇になる。

 俺はチャンスとばかりに、箒と簓の作成を皆に手伝わせた。

 なにせ俺とハルカは、村の皆に混じって農作業をしたり、牛の世話をしたりと、今まで農村を満喫していた。

 おかげで箒と簓の作成が後れてしまったのだ。

 しかし、かつて日本の酒蔵でも、箒と簓を作るのは夏だったらしい。

 つまり、八月に作るのはむしろ王道。これでいいのだ。


 そうして無事に箒と簓が完成し、九月になった。

 今度は、休閑地を耕す作業が始まる。

 十月に小麦の種をまくため、それまでには休耕地を何とかしないといけないらしい。また村人たちが忙しくなる。暇なのは使えないルシールだけだ。

 休閑地でウロウロしている牛たちですら、雑草を食べて除去し、フンをして肥料を作るという役目を果たしているというのに……。


 まあ、ルシールにもビール造りという立派な特技があるから、この世に無用な存在などいないはずだ。

 実際、ルシールが造ったビールは美味しかった。

 だが、密造なのは問題がある。なので俺が、領主としての責任で、女王陛下の許可を取っておいた。

 これで天下晴れてルシール印のビールを造れるわけだ。


 そして、十月の上旬。

 ハイン村に、商業ギルドの小間使いが手紙を持ってきた。

 差出人は、ロラン。

 俺とハルカが、酒米の入手を依頼した商人だ。


「おいハルカ。ロランの奴、もう東方からエルフ米を持ってきたらしいぞ」

「九月上旬に収穫した米を、一ヶ月で東方から運んでくるなんて……よっぽど順調に進んだのね」

「なにせ護衛があのクー・シー傭兵団だからな。エヴァンが抜けてもその強さは変わらずか。団長、少しは大きくなったかな?」

「ソフィアかぁ。あの子、ツカサのこと絶対に好きだったわよね」

「お前、よくそう言うけど……俺は全然気が付かなかったぞ」

「それはツカサが鈍感なだけでしょ」

「そんなことはない。俺はいつだってお前の気持ちに敏感だぜ」

「……もう、ツカサの馬鹿」


 そんな感じでイチャイチャしてから、俺たちはエルフ米を受け取るため、王都に帰った。

 到着したときが夜だったので、久しぶりにオールドマザーに顔を出す。


「あら、いらっしゃい。ツカサくんにハルカちゃん。久しぶり。一ヶ月以上来てなかったわね」


 店主であるエレミアさんが、いつもの優しい笑みで出迎えてくれた。


「ご無沙汰してます。なにせ領主になってしまったもので。色々大変なんですよ」

「そうそう。農村暮らしも楽じゃないわ」


 俺とハルカは偉そうに言ってみせる。

 しかし、生活のかかっている村民たちはともかく、遊び半分の俺たちは実のところ、楽だった。


「そういえば領主になったんだっけ。男爵様に来て頂くなんて、オールドマザーも出世したものね」

「やめてくださいよ。照れくさい」

「ふふ、冗談よ。そもそも二人は勇者様と賢者様だもの。いまさら男爵といってもねぇ? それよりも、そこにロランさんがいるわよ」

「え?」


 見れば、テーブル席でビールを飲んでいるロランがいた。

 東方から帰ってきたばかりのはずなのに、疲れを感じさせない顔だった。

 流石は大陸各地を渡り歩く商人。

 体力だけなら冒険者に匹敵するだろう。


 そして、そんなロランと同じテーブルでどぶろくを飲んでいるのは、小さな少女だった。

 目を見張るほど美しい銀色の髪。少し釣り上がった目は真紅に染まり、顔立ちは人形の如く整っている。体つきも華奢で、見た目だけなら庇護欲を誘うのに、身にまとっているオーラは剣呑極まっている。

 熟練の騎士や冒険者でも怯むほど、百戦錬磨の気配があった。

 なぜなら彼女こそが、かの有名なクー・シー傭兵団の若き団長、ソフィアなのだ。


「お、お前ら、なんでここに!?」


 俺たちを見つけたソフィアは、年相応の子供みたいに目を丸くして立ち上がる。

 今日は胸当てや双剣といった装備をつけておらず、普通の町娘のような出で立ちだ。

 ハイン村のレイチェルと一緒に遊んでいても違和感がない。

 それでも気配だけなら強者のそれなのだから、大したものである。


「なんでって、俺たちはここの常連だからな。ソフィアこそ、どうしてここに?」

「ははは。それがですねツカサさん。ソフィアさんは、どぶろくをすっかり気に入ってしまって。私が持っていったのを全部買い占めて、それでも足りないらしく、もっと飲ませろとしつこいんですよ。それでオールドマザーに連れてきたんです」

「なるほど。そういう経緯か。けどソフィア。お前、いくら強くてもまだ子供なんだから、飲み過ぎるなよ」


 ソフィアとは一年以上会っていなかった。しかし成長期のくせに、ほとんど身長が伸びていない。

 昔のまま小さくて可愛らしい。

 獣のような雰囲気も確かにあるが、逆にいえば犬に見える。

 ついつい頭をなでてしまった。


「なでんな! あと、オレはもう十三歳だぞ。子供じゃねぇ!」

「え!? 十歳くらいかと思ってた……」

「はっ? はぁぁぁぁァァッ!?」

「いや、確かにおかしいな。そうすると、俺らと出会ったとき八歳になる。それは流石にない。しかし、そうか……早く大きくなれるといいな」


 俺はソフィアが哀れになり、つい頭をポンポンしてしまう。

 しかし昔から、こうするとソフィアは怒るのだ。


「テメェ、気安く触ってんじゃねーぞ!」


 ほら、こんな風に顔を真っ赤にして。


「ちょっとツカサ。ソフィアにそういうことしちゃ駄目!」


 なぜかハルカに怒られてしまった。


「お、おう……悪かったなソフィア」

「……ああ。分かりゃいいんだ」


 ハルカの怒鳴る剣幕が凄かったので、俺はソフィアから手を放した。

 そんなにムキにならなくてもいいのに。

 まさかハルカの奴、十三歳相手に嫉妬してるのか?


「言っておくがハルカ。俺がソフィアをポンポンするのは、単純に妹みたいだからで、他意はないぞ」

「それでも駄目なの! あとソフィア。ツカサは私のものだからね! そこはハッキリさせておくわ!」


 ハルカはソフィアに向かって、キツイ口調で言う。


「うるせぇ、んなことは言われなくても百も承知だ! ケンカ売ってんのかクソアマ!」

「ツカサに頭をなでられてトロンとした顔になってたくせに、どの口で言ってるのよ」

「アアッ!? おもて出ろや賢者! ツカサの金魚のフンをしていた分際で英雄に祭り上げられやがって……その伝説を今日で終わらせてやるよ!」


 なぜか知らないが、急に女同士のケンカが始まった。

 これは何に起因する争いなのだろうか。

 やはり、俺なのか。

 しかし、ハルカが俺のことで熱くなるのは当然だが、ソフィアまでどうして。

 とにかく止めないと店が大変なことになってしまう。

 だが、二人とも神刻持ちだ。

 更に俺が加わって三つ巴になったりしたら……最悪、王都が消し飛ぶぞ。


「ツカサさん、早く何とかしてくださいよ」


 ロランはいつの間にかカウンターの裏に逃げていて、無責任なことを言ってくる。

 お前がソフィアを連れてきたくせに。

 見れば、他の客も自分のジョッキを持って壁際まで逃げていた。

 ハルカとソフィアの剣幕がよほど恐ろしいらしい。

 無理もない。なにせ俺も怖い。

 なんてビビっている場合じゃないな。

 とりあえず、二人同時になでてみるか。


「ほら、お前ら。平等に扱ってやるから、機嫌直せよ。鎮まりたまえ」


 俺はヤケクソ気味に、ハルカとソフィアの頭に手を伸ばす。

 そして、なでなで。

 もちろん、こんなことで解決するなんて思っていなかった。

 だというのに――。


「……ツカサがそう言うなら、仕方ないわね」

「くそ……今日はツカサに免じて引いてやるよ」


 何やら解決してしまった。

 はて。

 結局、どうしてこの二人はケンカしていたのだろうか。

 女子の考えることは分からない。


「怒鳴ったら喉が渇いたぜ……おい、どぶろくのお代わりだ。あとキュウリの漬物も追加だ」

「あ、私もどぶろく下さい」


 ハルカとソフィアはさっきまでケンカしていたくせに、今は普通に向かい合ってどぶろくを飲み始めた。

 どうやら、もともと根の深い争いではなかったらしい。


「ところでロラン。エルフ米は無事に手に入ったんだな?」

「ええ、もちろんです。手紙にもそう書いたでしょう。ご注文通り二千キロゲラム。今は商人ギルドの倉庫に保管しています」

「そうか。ありがとう。ついでにハイン村まで運ぶ手配もしてくれ。しかし、よく二ヶ月で持ってこれたな。トラブルがあったりしなかったのか?」


 俺が質問すると、ロランの代わりにソフィアが答えた。


「無論、あったぜ。だがオレたちクー・シー傭兵団がついているんだ。モンスターだろうが盗賊だろうが、問題にならねぇ」

「へえ、流石だな。けど、無茶するなよ。ソフィアの神刻は、反動が大きいからな」

「お、おう……気をつけるよ……」


 ソフィアは妙に小さい声で呟き、キュウリの漬物をパリパリ食べる。

 それにしても顔が赤いな。どぶろくで酔ったのか?


「それはさておき。ツカサさん、ハルカさん。私なりに東方で、米の酒にかんする情報を集めてきたのですが……聞きたいですか?」

「それはもちろん聞きたいが……情報料を取るとか言い出すんじゃないだろうな」

「取りたいところですが、今回は商売抜きでいきましょう。私は純粋に、美味しいニホンシュを飲んでみたい。そのお役に立てれば幸いです」

「お前さんにしちゃ随分と殊勝だな……いや、すまん。疑ってるわけじゃないんだ。それで?」

「結論から言えば、東方には既に米を使った酒造りがありました」

「なに?」


 それは俺にとって、少しショックだった。

 米で酒を造るのは、この世界で俺とハルカが最初だと、勝手に自負していた。

 だが、東方には既に日本酒があったのか?

 考えてみれば当然かもしれない。

 なにせ、ご飯として食べている米も、酒造りに使う酒米も、東方から仕入れているのだから。

 しかし、ビールやワインに比べて日本酒の作り方は独特だ。

 米があるからといって、必ずしも発明されるとは限らないと思うのだが。


「ただし、それはどぶろくに比べて……非常に不味かったです。その点はご安心ください。そもそも人間が飲むことを想定していませんでしたから」


 ロランの一言で、俺は安堵した。

 いや、仮に日本酒がこの世界に既にあったとしても、俺たちがやることは変わらない。

 ハイン村で日本酒を造るだけだ。

 そして、誰よりも美味い酒を造ってみせる。


「ロランさん。人間が飲むことを想定していないって、もしかしてお供え用?」

「ええ。流石は賢者。そのとおりです。東方で造られていた米の酒は、女神エレミアール様へのお供え用でした。同じ神を信仰しているのに、その祭り方は随分と違いましたね」


 それを聞いて、俺はピンと来た。

〝口噛み酒〟だ。

 日本酒のように米を使って造る酒で、どぶろくより更に古い。

 たまにこれを日本酒の起源だと言っている人がいるが、製造方法が違いすぎるので、無理のある主張だと俺は思う。


 そんな口噛み酒の作り方は単純極まる。

 まず米を口に入れる。そしてよく噛む。すると唾液が米のデンプンを糖化させる。

 噛んだ米を容器に吐く。すると野生酵母が糖をアルコールに変えてくれる。

 これだけだ。

 技術も何もない。

 古来の日本でも、神に捧げる酒、すなわち御神酒として造られていたという。もしかしたら人間も飲んでいたのかもしれないが……多分、美味しくはなかっただろう。


「どんな味だった?」

「どうにも酸っぱくて。飲めたものではありません。あれは商品になりませんね」

「ま、そんなもんだろうな」


 俺とロランが語り合っていると、横からハルカとソフィアが話に入ってきた。


「そもそも、他人が口に入れて吐いたものを飲むとか、正気の沙汰じゃないでしょ。お供え用はお供え用」

「全くだ。常識的に考えて汚ねぇだろうが」


 と、少女二人は口裏を合わせたように同じことを言う。

 だが、味はともかく、汚くはないだろう。

 なぜならば。


「東方の口噛み酒。もちろん、処女が噛んで吐くんだろ?」

「ええ。人間の里でも、エルフの里でも、処女が造っていました。しかも美人でなければならないという鉄の掟があるそうです」

「おお、そりゃ日本より徹底してる。処女の美人が噛んだ米なら、汚いわけがない」

「はい。なにせ処女の美人ですから」


 俺とロランは頷き合った。

 そんな俺たちを見た少女二人は、汚いものを見るような表情になる。


「男って……」

「馬鹿じゃねーのか?」


 なんて呟いてから、ハルカとソフィアはガシッと手を握り合う。

 何だ、お前ら。

 実は仲良しか。

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