20 商人ギルド
種麹を作り終えた俺たちは、王都へと帰ってきた。
そしてアンジェリカ様から正式に男爵の称号と、ハイン村の領地を授かった。
それから、だらだらと怠惰な日々を過ごしている。
なにせ酒造りが始まるのは冬だ。
今はまだ六月。
一番のネックだった種麹が完成したのだから、あとは急ぐ必要はない。
と、油断しきっていた俺だが、
「そうだ。箒と簓を作らなきゃ」
ふと気が付いてベッドから跳ね起きた。
「……急に何よ……もっとゆっくり寝ましょうよ」
布団にくるまったハルカが眠そうな声を出す。
しかし、十分にゆっくりしただろう。
ほら、九時を知らせる鐘が響いている。
普通の市民なら、六時には起きるのだ。三時間も惰眠を貪ったのだから、十分だろう。
「昨日夜更かしした分は取り戻しただろ。ほら、起きろ。箒草と竹を探しに行く」
「……なにそれ?」
ハルカは頭だけ布団からだし、気だるそうに呟く。
「お前、雑学大魔神のくせに知らないのか? 箒草はその名の通り、箒の材料になる草だよ。西部劇でコロコロ転がってるあれみたいに丸く育つんだ。まさか竹も知らないとか言い出さないよな?」
「どっちも知ってるわよ。私が聞きたいのは、どうして急に箒草と竹を探そうなんて言い出したかってこと」
「そりゃお前。酒造りには箒を使いまくるからだよ」
日本酒を造る酒蔵は、もう神経質といっていいほどに清潔にされる。
ホコリやゴミなど論外。
一日に何度も何度も掃除される。
使い終わった桶を洗うための、小型の箒も必要だ。
とにかく酒蔵は掃除、洗浄、掃除、洗浄の繰り返し。
酷使された箒はすぐに駄目になってしまう。だから何本も必要なのだ。
「じゃあ、簓ってのは?」
「簡単に言うと、竹で作ったブラシだ。これも桶を洗うのに使う。日本酒造りは雑菌との戦いだからな。熱湯をぶっかけてから、簓でこすって洗う」
「へえ……知らなかったわ……」
ハルカはちょっぴり悔しそうに言った。
「まあ、今は掃除機とかデッキブラシとか使ってるからな。知らなくても無理はない。俺だって、杜氏のじっちゃんに教えてもらったら知ってるだけで、実際に使ったことはないんだ。箒はともかく、簓なんて博物館でしか見たことないし」
「……なるほどね。けど、箒はその辺で売ってるんじゃないの? 何でわざわざ材料の箒草から集めるの? 箒そのものを買えばいいじゃない」
「いや、駄目だ。酒蔵で使う箒は、夏のうちに酒蔵で作るんだ。そういうものだと杜氏のじっちゃんが言っていた!」
「ツカサってそういうところ頑固よね。まあ、分かったわ。行きましょう。けどその前に……」
布団の中から、ぎゅるるる、とお腹の音が部屋に広がった。
「……朝ご飯食べましょ」
頭だけを出した賢者様は、照れくさそうに呟く。
それがあんまり可愛いものだから、俺は辛抱たまらずベッドにダイブした。
「もう。ツカサのせいでお昼になっちゃったじゃないの」
「いや、俺だけのせいじゃないだろ。お前だって喜んでたろうが」
「あ、あれは、だって……」
王都の通りを歩きながら、ハルカはうつむいてブツブツ言う。
それがまた可愛くて、抱きしめたくなってしまう。が、人通りの多い真っ昼間にそんなことをするのは、いくら俺でもためらわれる。
夜まで我慢しよう。
「ところで、箒草ってどこに行けば売ってるんだ? 箒屋か?」
「箒屋は箒を売るところだから、材料はまた違うと思うんだけど……」
「うーん。じゃあ箒屋にどこから材料を仕入れているか聞いてみよう」
俺たちは箒屋に行き、店先に並んでいた箒を一本買う。
それから「この店の品はどれも素晴らしいですね」なんてハルカにべた褒めさせてみた。
すると店主のオッサンは狙い通りデレデレになる。
そこですかさず質問だ。
「これだけの箒を作るということは、材料にも気を使っているんでしょう? どこから箒草を仕入れているんですか?」
と、俺が質問すると。
「いや。箒草の仕入れは商人ギルドに任せてあるから」
店主のオッサンは、非常につまらない答えを返してきた。
「そ、そうですか……」
俺とハルカはがっかりし、トボトボと商人ギルドに向かう。
「最初から商人ギルドに行けばよかったわね……あそこ、何でもあるもの」
「そうなんだけどさ……個人商店だと、面白い独自のルートを教えてもらえるかなぁと思って」
「無理だと思うわよ。私たちの酒米だって、商人ギルドに頼ってるじゃない」
「ううむ……このままだと世界の流通が商人ギルドに支配されちまうぜ!」
「魔王出現前から支配されてたはずよ。だからこそ、モンスターが暴れても物流が止まらなかったんだし。ぼったくってるわけでもないし、何が気にくわないの?」
「いや、ただ言ってみたかっただけだから。深い意味はない」
「……ツカサってそういうとこ子供よね」
商人ギルドといっても、その組織はいくつかある。
俺たちが住んでいる大陸西方では、アルバーン商人ギルドが最大の規模を誇る。そして東方から米を運んで来たことから分かるとおり、その力は大陸全土に及んでいた。
もちろん、東方にも北方にも南方にも、それぞれ強力な商人ギルドがあり、日々縄張り争いを繰り広げている。
そういう競走があるから、品物の価格が釣り上がらないで済むわけだ。
庶民のため、大いに争え商人たち。
「相変わらず、ここの活気はすげぇな」
王都にあるアルバーン商人ギルド本部は、五階建ての大きな建物だ。
その前の広場には様々な露店が並び、大陸各地の珍しいものを売っている。
仕入れてきた商品を積んだ馬車がギルドの倉庫に入っていき、また別の馬車が倉庫にある商品を積んでどこかに走って行く。
「ロランはまだ帰ってきてないよな」
「当たり前じゃない。東方に出発してから一ヶ月も経ってないし。誰か適当に捕まえて、箒草と竹がないか聞いてみましょ」
ギルドの建物に入ると、ロビーの椅子で小麦粉の取引をしている商人が二人いた。
どちらも悪そうな顔なので、小麦粉が何かの隠語に聞こえてしまう。
だが、本当に小麦粉なのだろう。多分。信じてるぞ。
それから、どこかの小国と小国で小競り合いが起きそうだから、今のうちに武器や鉄、馬の餌になる干草を買っておいた方がいいなんて話もちらほら。
興味深い話だが、俺らには関係がない。
立ち話してる商人たちを擦り抜けて、俺とハルカは受付に向かう。
「遠くまで行商に行くので保険に入りたいのですが……はい、受取人は妻で……」
「南方に向かうキャラバンってありませんか? え、昨日出発したばかりで、次の予定はない? とほほ……」
受付からは、商人たちの切実な声が聞こえてくる。
そして俺たちが並んだ列は、中でも壮絶だった。
「融資してくれるって言ったじゃないですかァぁァァあああアアッ!」
オッサンが受付カウンターに身を乗り出し、大粒の涙を流しながら絶叫していた。
一目でどういう状況か分かってしまう。
分かってしまうからこそ、胸が痛い。
「何か誤解をされているようですね。私どもは『検討する』と言っただけでして。審査の結果、融資は不可能であるという結論に至りました。というわけで、お引き取りください」
美人の受付嬢は、完璧な営業スマイルを崩さず、残酷な言葉をスラスラと吐く。
オッサンの切羽詰まった様子から見る限り、おそらく人生がかかっている。
そんな人を前にして、あの笑顔。プロの受付嬢ってすげぇな。
「お願いします、私には妻子がいるんです。もう財産は全て使ってしまいました……あと少しなんです……あと少しで事業が形になるんです。絶対に成功しますから……ですから融資を!」
「それはお気の毒に。個人的に同情します」
「で、では!?」
「しかし、当ギルドとは何の関係もないので」
受付嬢は満面の笑みで、オッサンを地獄に突き落とした。
「うがあああああ! なんで、なんで誰も俺の計画を理解してくれないんだぁぁあ! 絶対に上手くいく……需要はあるんだ! 美少女の抱き枕を作って売るんだ! アンジェリカ陛下とか、賢者ハルカたんの抱き枕を作るんだァァァッ!」
突如、オッサンはカウンターを乗り越え、受付嬢に掴みかかろうとした。
危ない! と、俺とハルカが走り出そうとした、その刹那。
受付嬢がオッサンの腕を捻り、そして合気道のように投げ飛ばした。
そして床に叩き付けられたオッサンを、警備の人たちがどこかへ連れて行く。
「ちょっと待て。今の一連の流れ、つっこみどころが多すぎて追いつかない。何だよ、美少女の抱き枕って。それもアンジェリカ様とハルカの……?」
「あの人、ハァハァ言いながらハルカたんと言ってたんだけど……」
「抱き枕で妻子を養おうってのがもうアレだが、そもそもこの世界の技術力で抱き枕って作れるのか?」
「……一枚一枚、手書きなんじゃない?」
「そりゃ融資も断られるわ!」
「それ以前に、女王陛下の抱き枕とか、不敬罪で捕まるでしょ」
「ハルカの抱き枕なんか市場に流したら、捕まる前に俺が殺す」
「……需要ないから大丈夫じゃない?」
「は? お前、自分が絶世の美少女だって自覚しろよ」
「ぜ、絶世!? さ……流石にそれは……」
「いいや、絶世の美少女だね。そして、そんなハルカを独占する俺!」
「もう! こんなところで変なこと語らないでよ……!」
「そんな嬉しそうな顔で嫌がっても説得力ないぜ?」
「嬉しそうな顔なんてしてないし……でも、私の抱き枕が量産されなくてよかった……私はツカサだけのものだから……」
「そうだ、お前は俺だけの抱き枕だぜ」
「ツカサ……」
「ハルカ……」
俺とハルカは見つめ合い、そして口づけをかわそうとした。
そのとき、「オホン」と大きな咳払いが聞こえる。
見れば、受付嬢が笑顔のまま殺気を放っていた。
こいつ……強いぞ。
もしかして元冒険者か?
「当ギルドで子作りはご遠慮願えますか?」
「あ、済みません……せめてキスする間だけでも待ってもらえませんか?」
「お願いします……私、我慢できそうにないの……!」
俺だけでなく、ハルカまで熱っぽい声で懇願した。
が、聞き入れてもらえない。
それどころか、受付嬢は笑顔のまま指の骨をポキポキ鳴らし始める。
「さっきの方と同じ場所に連れて行かれたいのでしょうか?」
「……さっきの人はどこに連れて行かれたんでしょうか?」
「それは業務上の秘密です」
怖い。商業ギルド、怖い。
「それで。本日はどのようなご用件ですか?」
「えっと、箒草と竹が大量に欲しいんですけど」
「なるほど……少々お待ちください」
受付嬢はリストを眺め、二番倉庫に行けば、どちらも山ほどあると教えてくれた。
「あとは倉庫にいる者と交渉してください……ところで、箒草と竹でどんなプレイを?」
ずっと営業スマイルだった受付嬢が、頬を赤らめて興味深そうに聞いてきた。
「そういうんじゃありません!」
ハルカは悲鳴のような声を上げた。




