02 どぶろく、大好評につき品切れ
王都ミヤゾノンは活気ある街だ。
人口が多いからその需要を狙って商人が集まり、その商人たちが販路を作ってくれるから職人も定住する。人が集まれば必然的に物も集まり、それを狙って更なる発展が促される。
半年前に魔王が倒れて以降、その流れは加速しているように見えた。
人々はその溢れる活気を仕事だけでは発散できない。ゆえに夜な夜な集まって騒ぎ、更なる活力を得て帰る場所があった。
居酒屋である。
そして俺とハルカの行きつけの居酒屋は、小さな通りにひっそりと建っていた。
店の名は、オールドマザー。
その名とは裏腹に、店主のエレミアさんは若く、そして美人である。
「え? どぶろく? ツカサくんが造ったお酒?」
「ええ、俺が造りました。ぜひエレミアさんの店に置いてくれませんか? 無料で差し上げますから」
「お願いエレミアさん! 皆の反応を見てみたいの!」
俺とハルカは開店前の準備をしているエレミアさんを訪ね、そして頭を下げる。
「うーん……二人の頼みなら仕方ないわね。その代わりツカサくん。ハルカちゃんを少し借りるわよ」
「へ、私をですか?」
「どうぞどうぞ。こいつを貸したくらいで協力してもらえるなら、いくらでも」
「ちょっとツカサ! 私の扱い酷すぎるでしょ!」
というわけで、どぶろくをお試しで置いてもらうことに成功した。
その対価としてハルカは、オールドマザーで働くことになった。
それも黒いロングワンピースに白いエプロン、すなわちメイド服を着て。
「へ、変じゃないかしら……?」
ハルカは奥でメイド服に着替え、恥ずかしそうに、もじもじしながら店に戻ってきた。
「変じゃない。大丈夫。似合ってるから堂々としろ」
「本当……? ならいいけど……」
まだ若干の照れが残っているが、俺の一言でハルカは安堵の息を吐いた。
ちなみに、似合っているというのは嘘ではない。
なにせハルカは、誰の目から見ても文句なしに美少女だ。
髪は黒く艶やかで、腰の辺りまで伸ばしているのに癖毛一つない。
肌は白くきめ細やかで、まるで吟醸酒レベルまで精米した米のようだ。
そんなハルカがメイド服を着て、似合わないはずがない。
「あらまあ。よかったわねハルカちゃん。ツカサくんに褒めてもらえて。私も絶対に似合うと思ったのよ~~」
「べ、別にツカサに褒めてもらったからって……それよりエレミアさん。どうして私がこんな格好を!?」
「だって、この店の制服なのよ」
「エレミアさんは普通の服じゃないですか!」
「私は店長だからいいのよ」
横暴な店長だ。
しかし、そのお陰でハルカの可愛い姿を見ることが出来たわけだから、俺としてはむしろ賞賛したい。
そして開店時間がやってきた。
馴染みの客たちが一人、また一人とやってきて、メイド姿のハルカを見て目を丸くしたり、鼻の下を伸ばしたりする。
「おいテメェ。なにハルカに色目使ってやがる」
俺は見知ったガラス職人見習いの肩に手を乗せ、ドスを利かせた声で呟く。するとそいつはビクリを震えた。
「あ、ツカサさん! いたんですか!」
「こらツカサ! お客さんにメンチきってんじゃないわよ!」
「けどハルカ。こいつスケベな目をしていたんだぞ」
「ツカサくん。営業妨害で追い出すわよ」
「はい、ごめんなさいエレミアさん。大人しくしています」
「なんでエレミアさんが言うと従うのよ!」
なんでって、そりゃエレミアさんはこの店の主で、どぶろくのマーケティングに協力してくれて、そして美人だからだ。
逆らう方がどうかしている。
俺はそんな神にも等しいエレミアさんの一言で、男性客がハルカをジロジロ見ても、指をくわえて黙っているしかなかった。
「ビールをくれ、ビール」
「こっちもビールだ」
店に来た客は、ビールばかりを注文する。
どぶろくを頼む者は一人もいなかった。
当たり前だ。存在を知らないのだから。
ゆえに、俺かハルカが宣伝しなければならない。
問題はそのタイミング。
仕事を終えて居酒屋に来た彼らは、まずはビールで喉の渇きを癒やしたいはずだ。そもそも、知らない酒をいきなり飲むというのは勇気がいる行いだ。
よって今、どぶろくを飲んでくれと頼むのは気が早い。
ならば二杯目か? それとも三杯目?
俺がタイミングを掴みかねていると、エレミアさんがパンッと手を叩き、皆の注目を集めた。
「さて。皆さん一杯目のビールを飲み終えた頃だと思うんだけど、一つ私からお願いがあるの。どぶろくっていう新しいお酒を入荷したんだけど……試しに飲んでくれないかしら。お代はいらないから」
エレミアさんはよくとおる声で、客たちにお願いする。
「新しい酒かぁ……どんなのか知らないが、タダだってんなら飲んでみるかな」
「お前、チャレンジャーだな。俺は次もビールでいいや」
店には十人ほどの客がいたが、どぶろくを頼んだのはその半分だった。
十分だ、と俺は思う。
あのどぶろくは冒険者五人の好評を既に得ている。更に五人の意見が加われば、データとして信頼していいだろう。
「ほう、白い酒か……ドロッとしている。香りは……何かのフルーツか?」
ヒゲを生やした衛兵が、物珍しそうにコップを覗き込み、そして誰よりも早く口をつけた。
そして「ほう」と声を出す。
「甘い。しかしワインとも違う。飲んだことのない味だ。うん、これは美味いぞ」
彼の一言で、まだ躊躇していた者たちも一口二口と飲み始める。
どうやら皆、美味しそうに飲んでいるようだ。
それを確認して、俺とハルカは笑い合う。
「そんなに美味しいなら……エレミアさん。俺も次はどぶろくだ」
「あたしにも、どぶろくちょうだい」
「はーい。ハルカちゃん、お願いね」
「分かりました、少々お待ちください」
店内に次々とどぶろくが行き渡っていく。
客たちがあんまり美味しそうに飲むものだから、俺まで飲みたくなってきた。
「おい、ハルカ。俺にもどぶろくな」
「あんたは空気でも吸ってなさいよ」
「は!? 扱い酷すぎんだろ!」
かくして、俺が持ってきたどぶろくの瓶は、あっという間に空になってしまった。
そして、あとからやって来た客に対し、どぶろくを飲んだ客が自慢を始める。
「実はよ。さっきすげー珍しい酒を飲んでさ。滅茶苦茶美味しかったぞ」
「それは興味深い。エレミアさん。俺にも同じものをくれ」
「ごめんなさい。もう品切れなのよ」
「な、何ということだ……」
「けど、ツカサくんがそのうちまた持ってきてくれるはずよ。だって、ツカサくんが造ったお酒らしいから。ね?」
エレミアさんは俺に向かってウインクしてみせる。
同時に、店中の視線が俺に集まった。
「ツカサ。あのどぶろくって酒、お前が造ったのか?」
ヒゲの衛兵が真剣な顔で言う。
「そうだ。米から造った酒だ。今すぐは無理だが……二週間あれば樽で持ってきてやるぞ」
「なるほど、米か。俺は米を食べたことがないが、だから白かったんだな……しかし、勇者であるお前に酒造りの特技があったとは驚きだな。モンスターをぶっ殺すだけの男だと思っていた」
衛兵の言葉に、他の客までうんうんと頷き始める。
どんだけ失礼なんだよ、こいつら。
俺は一応、ハルカと一緒に魔王を倒した英雄だぞ。
他の場所に行けば、尊敬とかされてるんだからな。
まあ、この店は魔王を倒す前から来ているから、常連たちも今更、俺に対する態度を変えられないのだろう。
俺自身、皆に英雄様扱いされたら居心地が悪くて困る。
「ちょっと皆、酷くないかしら? ツカサは馬鹿だけど、皆が思ってるほど馬鹿じゃないわよ! 酒を造らせたら凄いんだから! ちゃんとした設備があれば、もっと美味しいお酒を……」
ハルカは店の雰囲気に気分を害したらしく、俺を擁護する発言をした。
が、すぐにハッとして口元を手で隠し、真っ赤になって弁解する。
「べ、別にツカサが馬鹿にされて怒ったとかじゃないのよ! 私はツカサがどう思われたって気にしないというか……なんというか……」
「もう、ハルカちゃんったら素直じゃないのね。ハルカちゃんがツカサくんを大好きなのは皆が知ってるから。今更、隠しても意味がないのよ?」
エレミアさんがそう言うと、また客の全員がうんうんと頷いた。
「にゃ、にゃにを言ってるんですかエレミアさん! ツカサ、あんたも何か言いなさいよ! 誤解されちゃうじゃないの!」
「いや。お前が俺のこと好きなのは知ってるし。俺もお前のこと好きだし」
むしろ、未だに隠しているつもりなのが驚きだ。
口でどう言おうが、ツカサのことが好きだとハルカの顔に書いてある。
俺たちが相思相愛なのは周知の事実なのだ。
「ふぁ!? ば、馬鹿じゃないの! 皆の前で……はわわわ」
何かこういうやり取り、十回くらいやった気がする。
「何だかこういうやり取り、百回くらい見た気がするわ」
エレミアさんが呆れたように呟いた。
「まあ、お前らのノロケなんかどうでもいいんだが。それよりもツカサ。どぶろくは造れるだけ造れ。つーか、造ってくれ。多分、この街の名物に出来るぞ。それとエレミアさん。どぶろくに合う料理を考えなきゃな。このソーセージは絶品で、ビールを飲みながら食べると最高だが……どぶろく向きじゃない」
ヒゲの衛兵の言葉に、エレミアさんは頬に手を当て「そうねぇ」と呟く。
「私もさっき飲んで、同じことを思ったわ。干物……鍋……何がいいかしら」
そうだ。
酒には、それに合った肴が必要なのだ。
この店、オールド・マザーの客は今までビールばかりを飲んでいたから、エレミアさんが作る料理も、それに合わせていた。
だが、どぶろくを扱うなら、また違うものを考えねばならない。
もっともそれは俺の仕事ではないだろう。
俺はまず、どぶろくの大量生産をしなければ。
そして俺の頭に、とある野望が浮かんでいた。
この世界で本物の日本酒を造るという、無茶な野望だ。