11 スケルトンの群れ
「大変だ、豚が食い殺されたぞぉっ!」
そんな大声が聞こえてきたのは、村長の家に帰る最中だった。
何事かと思いその方角に向かうと、森の中で立ち尽くす男がいた。
「どうしたのだ?」
村長が彼に問いかける。もっとも、大声の理由は見ただけで分かってしまった。
彼の前に、豚の死体が一つ転がっていたのだ。
頭が大きくへこんでいる。何か固い物で撲殺されたらしい。だが、人間の仕業には見えなかった。
なぜなら、豚の腹が食い破られていたからだ。
「うわ……まさに食い散らかしたって感じ。何かの動物?」
「いや、この辺りには狼も熊も出ないはずですが……」
ハルカの疑問に村長が答える。
すると立ち尽くしていた男が、青い顔で叫んだ。
「ゴブリンだよ! ゴブリンが俺の豚を殺して噛みついていたんだ! けど俺が声を出すと、森の奥へ逃げていったんだ……!」
ゴブリン。
それはモンスターの中でも最も繁殖している種であり、同時に、最弱の部類だった。
クワやツルハシなどがあれば、一般人でも一対一なら戦えてしまう程度の強さしかない。
よって普段は人里離れた場所に住み、よほど大規模な群れにならなければ、人間に戦いを挑むことはないはずだ。
しかし、豚の食われ方からして、相手は少数だ。
「そのゴブリン、何匹でした?」
「一匹だよ! だから俺がぶっ殺してやろうと思ったのに……よくも俺の豚を、チクショウ!」
それを聞き、俺とハルカは顔を見合わせた。
ゴブリンがたった一匹で人里に来た? 妙な話だ。何らかの理由で巣を追い出された、はぐれゴブリンか?
あるいは――。
「あなたは森に入らないでください。豚の仇は俺たちが伐ってきます。それと村長、ルシール。村の人たちに、森へ入らないよう伝えてください」
「分かりました。お任せします」
「勇者様、賢者様。お気を付けて……」
「安心しろ、ルシール。俺たちは魔王を倒したんだぜ? 今更ゴブリンが何匹出てきても、遅れをとるかよ」
「そういうこと。任せときなさい」
俺たちが自信たっぷりに言うと、豚を殺された男は目を白黒させる。
「え……勇者と賢者って、あの英雄の!?」
驚く気持ちは分かる。
俺だって、隣に有名なプロ野球選手が立っていたらビビる。そしてサインをねだる。
「ほらツカサ。行くわよ」
「おう」
既に歩き始めていたハルカのあとを俺はついていく。
ちなみに、当てもなく森を進んでいるのではない。
ゴブリンが血の跡を残していてくれたのだ。
これをたどっていけば、いずれは巡り会えるはずだ。
だが、あえて全力で走らず、常人レベルの速度で追いかける。
もし、ゴブリンが〝はぐれ〟ではなく群れに属していたら、巣まで案内してくれるだろう。その前に捕まえたら損だ。
やがて、二時間ほど歩くと――。
「洞窟があるな」
「ええ……そして腐臭がここまで漂ってくるわ」
もう既に俺たちは、洞窟の中で何が待ち受けているのか察していた。
そして、なぜゴブリンがたった一匹で村に近づいてきたのかも。
「ハルカ。お前はここで待っていてもいいぞ。俺一人で問題ない」
「私も行くわよ。魔王を倒す旅をしていた頃は、もっと酷いものだって二人で見たじゃない」
「だからってわざわざ……いや、そうだな。一緒に行くぞ」
二人でこの世界に飛ばされてきてから、俺たちは何をするのも一緒だった。
力の使い方を覚えるのも、生き方を探るのも、魔王を倒すのも、ずっと一緒だった。
たかが〝死体の山〟が待ち受けている程度では、ハルカを置いていく理由にはならないのだ。
「とはいえ、ハエとかウジの中に特攻するのも嫌よね。炎をまとっていきましょう」
ハルカはそう言って、賢者の神刻を発動させた。
その左目から光が漏れ出す。そして天使の翼のような模様が瞳に浮かび上がる。
それこそが神の刻印。賢者の力の源。
地上で最も魔術に秀でている証だ。
賢者の力を以てして、ハルカは炎を身にまとう。
比喩ではなく、言葉通りの意味で、彼女は紅蓮に包まれた。
まるで火刑にされた聖女のようだ。
しかし、ハルカの体は火傷一つ負わない。それどころか着ている服も焦げたり焼けたりする気配がなかった。
自分の体を守りつつ、その周囲だけを燃やすという、地味だが器用な芸当だ。
「なるほど。それなら虫を焼き殺せるし、光源にもなるな。俺も真似しよう」
俺の神刻は右の手の平に宿っている。
念じれば、剣の形が浮かび上がり、ハルカの左目と同様に輝いた。
勇者の刻印。それはこの地上で最強だという証だ。
ゆえに賢者には劣るものの、魔術にも秀でている。
今のハルカの真似事をするくらい、造作もなかった。
「行くぞ」
入り口に立つと、既にハエがぶんぶんと羽音を立てていた。それを全て炎で焼き尽くす。
おかげでハエと触れ合う心配はなかったが、光景と音だけで不快だった。
とっとと奥に進んで、終わらせてしまおう。
「見て、ツカサ……やっぱり、ここはゴブリンの巣だったのね」
ハルカは過去形で呟いた。
その視線の先には、ゴブリンの死体がいくつも転がっていた。
胸を貫かれたもの、首を刎ねられたもの、胴体が真っ二つになったもの。
全てが腐っている。
死んでから、もう何日も経っているのだろう。
「多分、冒険者の仕業だな。ゴブリンの巣を潰せってクエストがあったんだろう」
「ハイン村の人が依頼したのかしら?」
「いや。だったら俺たちにそう教えてくれるだろ。それに、ハイン村からかなり離れている。一応、普通の人が走るくらいの速さで二時間かかったわけだしな。誰かがこの巣を偶然見つけて、それで冒険者ギルドが動いたんだろうさ」
理由はなんにせよ、ここのゴブリンは死んでいる。
俺たちは洞窟を歩き回ってみたが、ひたすら死体があるだけだった。
それはつまり……。
「お前だけが生き残ったということか」
洞窟の行き止まりで、小さなゴブリンが震えていた。
人間なら八歳くらいの大きさの、子供のゴブリンだ。死体の下にでも隠れられたら、よほど注意しない限り見逃してしまう。
小さすぎて、ここを襲った冒険者たちは、これを発見できなかったのだろう。
親も仲間も失った生き残りの子供ゴブリンが、食料を求めてさまよい、ハイン村までやってきたのだ。
「狩りの仕方も知らないのか? 村に近づかなければ死なずに済んだのに……だが、見つけた以上は殺すしかない」
俺は勇者の神刻を使い、右手に身の丈ほどもある大剣を顕現させた。
水色に輝く不思議な刃。宝石で装飾された柄。これそこが聖剣だ。
それを見た瞬間、ゴブリンは震えを止め……そして牙を向き出して威嚇の声を上げる。
絶対に見逃してもらえないと悟ったようだ。
戦って勝つ以外に、生き延びる道がない。
しかし、俺に勝つなど、それこそ不可能である。
「慈悲はない。死ね」
一振り。
それでゴブリンは脳天から股まで切断され、そして刃が放つ光と俺が身にまとう炎で焼き尽くされ、消滅した。
当然の結末だ。俺は大型ドラゴンすら一刀両断する力を持っている。
ゴブリンなど百匹いても塵と同じ。
初めから分かっていたことだ。
「モンスターとはいえ、なんか後味悪いわね」
「……深く考えるな。やることはやったんだ。帰ろう」
俺はハルカを連れて洞窟の外に出た。
いつの間にか空が暗くなり始めている。
黄昏時だ。
そして洞窟の出口には、スケルトンが待ち構えていた。
骸骨に悪霊が乗り移って動き出したアンデット。
そんな奴らが、三十体ほど、わらわらと。
「何だこりゃ? どこの墓地から這い出してきやがった」
「ねえ……このスケルトン。全員武器を持ってるわよ。もしかしてゴブリンの巣を全滅させたのって……」
「ああ。冒険者じゃなくて、こいつらなのかもな」
俺の頭の中に、新しい仮説が浮かんできた。
つまりこうだ。
どこからか移動してきたゴブリンの群れは、この洞窟に巣を作った。そして、この一帯の動物なんかを補食して生活していた。そこまではいい。
しかし洞窟の近くに、スケルトンの発生源になる墓地なり合戦の跡地なりがあった。
スケルトンを初めとするアンデットが活動するには条件がある。
最強のアンデットである吸血鬼ですら、太陽の下では動けない。
スケルトンやゾンビだって、夜に活動すると相場が決まっている。更に満月でなければ駄目だとか、逆に新月がいいとか、雨が降っていなければならないとか……その条件は、そいつらがアンデットになった理由によって変わったりする。
そしてアンデットに共通する特徴は一つ。生者を襲うことである。
だからゴブリンは襲われたのだ。
「今日は三日月……三日月の夜だけ活動するスケルトンの群れってことか? あとで冒険者ギルドに報告して、もろもろ調査してもらわないと」
「何でもいいじゃないの。こいつらで憂さ晴らししましょう。粉々にしてから浄化してやるわ」
「おお、流石は賢者様。頼もしいぜ。んじゃ、始めるか」
俺たちは再び神刻を呼び覚まし、スケルトンの群れを蹂躙した。




