10 硬水発見
ワイン醸造所はハイン村の外れにある。
いや。あった、と過去形で言うべきか。
その石造りの建物は十年も放置されたせいで、ツタに覆われ、内部まで雑草が生えていた。
完全に廃墟である。
「これじゃ再利用するより、壊して新しい建物作ったほうが早いわね」
「だな。それにワイン用の酵母菌が生き残っていたら嫌だし」
そもそも俺にとって酒蔵というのは木造であり、石造りはイメージが違う。
きっと温度管理も変わってくるはずだ。
この建物は利用しないことに決定だ。
しかし、その近くにある井戸は別。
枯れていないどころか、今でも農民たちが飲み水にしている現役の井戸だと村長は言う。
「水を汲んで飲んでみてもいいですか?」
「どうぞどうぞ、お好きなだけ。この井戸は今までいくら使っても、枯れたという記録がありませんからな」
村長の許可を得て、俺は持参したガラスのコップに水を注いだ。
完全に透明だ。目に見える不純物はなし。
ならば味は? 成分は?
もし軟水だったら、また地図とリストを見比べる作業が始まる。
それは絶対に嫌だ。
俺は女神に祈りながら水を口に含んで、舌の上で転がした。そして飲み込む。
「……硬水だ。しかも、俺の実家の水に近い」
俺は驚きと共にポツリと呟く。
するとハルカが笑顔で抱きついてきた。
「やったじゃない! これで酒造りが出来るわ!」
「ああ……いや、しかしビックリだ。ここまで同じ味のが見つかるなんて」
「……私としては、水の味が分かるツカサにビックリよ」
「そうか? 分かるだろ。何となく」
「普通は分からないものなのよ」
そう言ってハルカは俺の手からコップを取り上げて、ゴクリと水を飲み込む。
「うん。サッパリ分からない。美味しいってだけ」
「ま、俺が分かってればいい話だけど」
俺とハルカが硬水の発見を喜んでいると、かたわらに立っていた村長とルシールがポカンとした顔を見せた。
「勇者様。どうやらその水を探していたようですが……何のために? 酒造りと言っていましたが……まさかワイン造りを復活させるおつもりですか?」
ルシールが尋ねてくる。
秘密にすることでもないし、いざ酒造りが始まったら村民の協力も必要だから、打ち明けてしまおう。
「ワインじゃない。米で酒を造る。俺たちの故郷の、日本酒という酒だ」
「ニホンシュ……? お米で……勇者様と賢者様の故郷のお酒……それは凄いですわ!」
何かを想像したらしいルシールは、興奮した様子で声を上げる。
「噂によると、お二人は異世界から来たのでしょう? 異世界のお酒をハイン村で造るなんて、とても名誉なことですわ。それも勇者様と賢者様の手で。素晴らしいです! ぜひ、わたくしにもお手伝いさせてください!」
「ご迷惑でなければ、ワシも手伝いたいですな。ワインを作っていた頃の活気が懐かしい。それと米の酒というものに興味があります」
思っていた以上に、好感触だった。
実のところ、水が見つかっても地元の人に拒否反応をしめされたらどうしようと心配していたのだ。
なにせ、このアルバーン王国において、米はマイナーな食材だ。それを使って酒を造るなどと言っても、普通なら相手にされない。
それがこうやって興味を持ってもらえるのは、俺が勇者で、ハルカが賢者だからだろう。
魔王を倒したという名声が、無条件に信用を生んでいる。
大変だったけど……世界を救って本当によかった。
これからの酒造家は、世界を救うスキルも必要なんだな。
うん、そんなわけはない。
「しかし勇者殿。酒を造るには女王陛下の許可が必要ですぞ」
「それは問題ありません。既に許可は下りている……というか、早く造れと命令されたくらいです」
「おお、流石は勇者殿。それで、いつ造るのですか?」
「冬に。温度の関係で、それ以外の季節は無理です」
「好都合ですな。雪が積もると農民はやることがなくなります。冬の仕事をもらえるなら誰もが喜ぶでしょう」
「よろしくお願いします。けど、畑が使えなくなったら、狩りなどをするのでは?」
「森は領主様の所有物です。勝手に狩猟を行なうことはできません。それに、奥にはまだモンスターがいますから」
「ああ、なるほど……」
モンスターの凶暴さはかつてよりずっと低下した。それでも熊や狼よりは遥かに恐ろしい相手だ。わざわざ近づく意味はない。
「では勇者殿、賢者殿。今日はワシの家に泊まってください。村の者たちとともに、歓迎いたしましょう」
「ありがたい話ですが……どうするハルカ? 今からでも日没までには王都に付くと思うんだが」
「うーん……ギリギリね。目的の水源も見つけたし、そう急がなくてもいいんじゃない?」
確かに急ぐ必要はない。
だが、暇なわけでもないのだ。
大工に頼んでハイン村まで来てもらい、酒蔵を建ててもらう。無論、設計は俺たちで行なう。
それと発酵タンクや貯蔵タンク。洗米などに使う桶も用意しなければ。
あと、忘れてならないのは米を蒸すのに使う巨大な釜だ。
どれもこれも特注品になるだろう。
作ってくれる人を探すだけでも一苦労である。
「改めて考えてみたら、やることが山積みだぞ?」
「私もそれ思ったわ……ここの領主にも一応、話を通しておいたほうがいいし」
「あ、それもあるか」
やはり、急いで帰るべきかもしれない。
なんて考えている俺とハルカに向かって、ルシールは微笑んで呟いた。
「美味しいビールが飲み放題ですわよ」
その次の瞬間。
「今日はお世話になります」
「ごちそうになります」
と、二人で即答してしまった。
しかし、これは仕方がない。
なにせ、この村の人たちには酒造りで協力してもらうのだ。
つまりこれは、交流を深めるためであり、決して美味しいビールの飲み放題につられたわけではない。