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次の日。
午後からの芝居の時間までは自由行動ということで、ブルック先輩とルート先輩の3人でサンガレア商会に来ていた。
目当ての油と瓶を買い、このまま食い倒れツアーに行くことになった。
一軒目は拉麺屋である。
他の地域にはない料理のため、お試し用の小ぶりなセットがあるので、それとデザートに桃饅を頼んだ。お試しセットは、醤油、味噌、塩の三種類の拉麺が一口ずつ碗に盛られているものだ。
箸が使えない人用にフォークも用意してある。
「結構うまいな」
「俺、この味噌のやつ好きです」
ルート先輩が汁まで飲んで、味噌拉麺を追加で注文する。
「俺は醤油のやつだな」
ブルック先輩も醤油拉麺を追加注文した。
「トッピングも追加できますよ」
「トッピング?」
「卵、ネギ、焼き豚、野菜、あと辛めが好きなら唐辛子味噌があります」
「へぇ。まぁ、今日はいいかな」
ミーシャは醤油拉麺をトッピング全部追加で注文した。
先輩達はフォークと深めのスプーンで器用に食べているが、ミーシャは箸で食べていた。
「器用に食べるな」
「慣れですね」
「慣れか。ここは同じ国とは思えないほど独特だな」
「王都近辺とはだいぶ気候も違いますし、母の影響も大きいので」
「神子様の?」
「はい。服にしろ食事にしろ、母が故郷のものを此方に合わせて新たに作ったものが多いんです。なんでも、気候が故郷に似ているから、合うんじゃないかと思ったそうです」
「あぁ。だから異国情緒があるのか」
「はい。サンガレア領が今のように出来上がる過程を知りたいのでしたら、博物館の隣にサンガレア領資料館がありますよ。彼処に写真とか詳しい解説が展示してあります」
「そういえば、パンフレットに書いてあったな」
「旅行中に一度行ってみるか」
話ながら食べ終えると、店を出た。
2軒目は、ピッツァが評判の店にした。
トマトと香草のピッツァを頼んで、3人で分けて食べる。
「これも旨いな」
「元々は風の神子のフェリ様の故郷の料理らしいですよ。土の国じゃ、多分うちの領地くらいでしかないでしょうけど、風の国じゃ広まって、普通に食べられてるらしいです」
「へぇ。風の国か。遠すぎてどんな所か、想像もできないな」
「大陸の端ですからね」
「聞いた話ですけど、冬は物凄い雪が降るらしいですよ」
「昨日、他の神子様方もいらっしゃったが、仲がいいのか?」
「はい。ほぼ家族と言っても差し支えないです。ここは元々は神子様方が集まる保養所みたいな所だったそうでして。私が生まれる前からフェリ様やマルク様はよく来てたみたいです。マルク様はお医者さんで、私が生まれたとき、取り上げてくださったらしいです」
「水の神子様に取り上げてもらったとは、凄い話だな」
「それを言うなら、ミーシャ君は土の神子様の娘だろう」
「……そういえば、そうでした」
「なんというか、普段がよく働くし、普通過ぎて、つい忘れてしまうよな」
「そうですね」
「私も普段、神子の娘とか公爵令嬢とか意識しないですね。母の方針で使用人とかもいませんし、かしづかれたり、畏まられたりするのに慣れてません」
「使用人、いないのか?」
「いませんよ。家のことは、母を中心に家族でやってます。一応、公爵家ですけど、庶民的な生活してますね。母が野菜も育ててますし」
「神子様がかっ!?」
「えぇ。土の神に仕える神子たるもの土に触れずにどうする、ということらしいんですけど、多分単に畑仕事が好きなだけなんじゃないかって踏んでます」
「ここに来るまで、神子様とは、それこそ深窓のお姫様のような暮らしぶりをされているかと思っていた」
「俺もです」
「いやぁ?普段は土の神子様というより、普通にお母さんって感じですよ」
「……お母さん……」
「そうなのか」
「主婦業以外にも色々仕事もしてますし」
「そうなのか?」
「はい。花街と教育・研究機関は母の管轄ですから、それなりに忙しいみたいです」
「教育機関は兎も角、花街もなのか?」
ブルック先輩が戸惑った顔をした。
「本人曰く、愛とエロスの伝道師、豊穣を司る土の神子ですから、そっち方面の知識も豊富だそうで。男が集まったら自然とそういう場所ができるものですから、いっそ領営で作ってしまったらしいです」
「そうなのか」
「こないだも言ったが、若い娘が言うことじゃなくないか?」
「そうですか?」
ミーシャはキョトンとした。
自称・愛とエロスの伝道師を母にもつミーシャは性的なアレコレに関しては知識だけは、しっかりあった。
割りと開けっ広げな人が周囲にいた分、そういった話題に対して抵抗感もなかった。
「なんにせよ、母が仕切ってますから安全に遊べますよ。男しかいませんけど」
そもそも男女比が6:4のこの世界で花街に女がいる方が珍しい。数が男より少ない分、特に大切に育てられるものだからだ。
花街にいる女など、精々、王都の高級娼館にごく少数いるくらいだろう。
サンガレア領では、例え女が娼館に売られてきても、領地で借金を肩代わりして、普通の飲食店などで働かせ、良き相手と結婚することを奨励している。
また、花街で働く男娼達も皆、中学校までは学校へ行き、文字の読み書きは勿論、教養も身につけさせる。
全て、マーサの方針に基づいて行われている。
その事を話すと、ブルックが感心したように溜め息をはいた。
「素晴らしいな。花街の人間まで文字の読み書きができるとは」
「文字の読み書きなんて、一般でもできない者が多いですしね」
「うちは小学校までは義務ですし、他所から来た人でも、夜間学校があるので、そこで読み書きを覚えてもらうんです。ですから識字率は多分土の国一だと思います」
「だろうな。現状、学校なんて大きな街にしかないからな」
「将来的には、学校を沢山作って、もっと教育に力を入れたいらしいんですけど、中々難しいみたいですね」
「そりゃそうだろうな。戦ばかりの頃に比べたら豊かになったが、それでもまだ余裕があるわけではないからな」
「そうらしいですね」
「……しかし、本当に素晴らしい方だな、マーサ様は」
「自慢の母です」
しみじみと言ったルート先輩に、胸を張って答えた。
次に行く前に公衆浴場に行って一汗流し、3軒目に行った。
3軒目はクレープの美味しい甘味屋である。店は女子供や甘味好きの男性客で賑わっていた。
「随分、人気なんだな」
「ここのクレープ美味しいんです」
「クレープ?」
「小麦粉を薄く焼いたものなんですけど、ジャムを塗ったり、果物やクリームを入れて食べるんです。夏場だと、アイスを入れたものが人気ですね」
3人は今一番人気の夏限定どっさり果物とバニラアイスのクレープを頼んだ。ミーシャはクリーム大盛りで。
「お前、本当によく食べるな」
「食べ盛りなもので」
「昨日あれだけ動いたからにせよ、よく入るなぁ」
「先輩方もよく召し上がってらっしゃると思うんですけど。あ、そうそう。聞いた話ですけど、魔力が大きい人って大食いの人が多いらしいですよ」
「だからか」
「ブルック先輩も健啖家でらっしゃますものね」
「あぁ。まぁそうなるか」
可愛らしいエプロンをつけた店員がクレープを運んできた。礼を言って受けとる。
「あ、旨い」
「こういうものは初めて食べるが、意外とイケるものだな」
「普段甘いものは召し上がらないんですか?」
「普段はほとんど食べないな」
「俺も」
「そうなんですか。私は3日以上、甘いもの食べないと発狂しそうになります」
「どんだけ甘いものが好きなんだよ」
「かなり好きです」
「そこは普通のお嬢さんなんだな」
「先輩。普通のお嬢さんとは食べる量が段違いです」
「食べ盛りなもので」
「はははっ」
穏やかに話ながら、3人でクレープにパクついた。
甘いクリームが実に美味である。
ミーシャは上機嫌にクレープにかぶりついた。
クレープ屋を出ると、時刻はちょうど昼飯時であった。
「お昼は何にしますか?」
「この近くでお薦めはあるか?」
「そうですねぇ……」
ミーシャは顎に手をやって、考えた。
「揚げ物が美味しい店と、冷たい麺が美味しい店、カレーが美味しい店とありますが、何処がいいですか?」
「さて、何処にしようかな」
「カレーって何だ?」
「肉や野菜を香辛料と一緒に煮込んだものです。パンや炊いた米と一緒に食べます」
「へぇ」
「あぁ。話には聞いたことがあるが、そういえば食べたことはないな」
「カレーにしますか?」
「そうだな。カレーとやらを食べてみるか」
「カレーですね。分かりました」
2人を先導して、近くのカレー屋へ向かった。店内は昼飯時故、とても混雑していたが、なんとか待たずに3人座れた。
「今日のお薦めってありますよ」
メニュー表をルート先輩が指差した。
「カボチャと茄子のカレーか……これを頼んでみるか」
「俺もそれにしてみます」
「じゃあ、私もそれで。あ、ここパンか米か選べるんです。あと、大盛りもできますよ」
「そうなのか」
「じゃあ、俺は大盛りにします」
「私も大盛り頼みます」
「2人ともあれだけ食べておいて、よく入るなぁ。俺は普通盛りにしておくよ」
ブルック先輩が呆れたように笑った。
忙しそうな店員に注文を伝えて、料理が来るのを待っていると、背後から軽く肩を叩かれた。
振り向くとアマーリエとナターシャがいた。
「や。ミィ姉様」
2人は先輩方に軽く頭を下げた。
「こんにちは」
「こんにちは」
「どうしたの?2人だけ?」
「2人でバイト中なの。今は昼休憩」
「バイト……ですか」
「えぇ。家はおこずかい制じゃないから、自分で働いておこずかいを稼ぐんです」
「そうなんですか、それもマーサ様の方針ですか?」
「はい。将来どんな生き方をするにしろ、労働とお金の大切さを身をもって知れ、ってことらしいです」
「今日は商会の女性用の小物とか扱ってる店で働いているんです」
「どうりでいつもより気合い入れた格好してると思った」
「ふふっ。いいでしょ。これ去年の母様の旅行のお土産なの」
ナターシャが、淡い青色の綺麗な髪飾りを自慢げに見せた。
「とても似合ってるわよ」
ナターシャが先輩達に話しかけた。
「お店、結構混んでるから、同席させてもらってもよろしいですか?」
「勿論です。どうぞ」
ブルック先輩が立ち上がって、彼女達のために椅子を引いてやった。
「ありがとうございます」
2人ともにこやかにブルック先輩に笑いかけた。
ちょうど、ミーシャ達の頼んだものを運んできた店員に同じものを大盛りで2つ頼んだ。
「ルート先輩は会うの初めてですよね。こちらは水の神子様の長女のアマーリエです」
「アマーリエです。初めまして」
「ルート・ノヴィアと申します」
ルート先輩が頭を下げた。
先に食べるよう2人に勧められて、3人は食べ始めた。
食べ始めて、然程待たずにナターシャ達の分も運ばれてきた。
「いただきまーす」
「お腹すいたー」
2人とも、がっつり食べ始めた。
気持ちいいくらいの食べっぷりに、ミーシャ達のスプーンも進む。
「カレー、旨いですね」
「あぁ、少々辛いのがいいな」
「香辛料の中に薬の原料になるものも含まれていて、夏バテ防止にいいんです」
「なるほど」
「美味しー」
ナターシャ達も美味しそうに食べていた。
「今日の夜もカレーありますよ。昨日獲ってきてくれた鹿肉のやつ。母様が昨日仕込んでました」
「それは楽しみですな」
「鹿肉のカレーなんて久しぶりだわ」
「ブルックさん達が色々獲ってきてくれたお陰で、今夜は豪勢です。ありがとうございます」
「いえ、同行してくれた2人の腕が良かったお陰です」
山盛りのカレーを食べながら、ナターシャが軽く頭を下げた。それにブルック先輩が返礼した。
「夜もカレーがあるのに、昼もカレーで良かったの?」
「私、三食カレーでもいいもの」
「アミィはカレーや丼もの大好きだもの」
「そういえば、そうね」
「丼ものとは何ですか?」
黙々とカレーを食べていたルート先輩が聞いた。
「炊いた米の上に、おかずがのっている料理のことです。牛丼や親子丼とか、色々種類があります」
「へぇ。ミーシャ、俺それ食べたか?」
「いや、多分まだ食べてないですね。美味しい店知ってますよ」
「なら、明日はそれがいい」
「了解です」
「ミィ姉様はルートさんとブルックさんといつも行動しているの?」
アマーリエが小首を傾げながら尋ねた。
「ルート先輩は私の指導役をしてくださっているのよ。ブルック先輩も」
「そうなの。姉がいつもお世話になっています」
ナターシャがペコリと頭を下げた。
「いえ、ミーシャ君はとてもよく働いてくれるので、こちらとしても助かっています」
「そうですか。だって、姉様。良かったね」
ナターシャが笑顔で此方を向いた。口許にはカレーが少しついている。
ミーシャは苦笑しながら、ナプキンを手渡した。
アマーリエが興味津々という体でブルック先輩に話しかけた。
「王宮薬師局って何人いらっしゃるんですか?」
「今はちょうど10人です」
「あら、意外と少ないんですね」
「私ももっと多いのかと思ってたわ」
「そんなに少ないんじゃ、忙しいんじゃありません?」
「そうですね。普段はそれなりに忙しいです。ルートのように細身で非力な者もいますから、力仕事要員が増えて、本当に助かっています」
「ガリ勉もやしっこですいません」
「こないだ見た感じ、肉体労働要員はブルックさんとミィ姉様だけっぽかったわよ」
ナターシャが肩をすくめた。
「あら、そうなの?」
ブルック先輩が苦笑した。
「ミーシャ君が入ってくるまでは、私一人でした」
「まぁ、大変そう」
結局、ナターシャ達の昼休憩が終わる頃まで、カレー屋で彼女達も交えて話をしていた。
店先で別れると、彼女達は元気にバイト先の店へと走っていった。それを苦笑して見送る。
「すいません。妹達が騒がせて」
「いや、構わない。元気なお嬢さん方だな」
「うちは皆、元気なのが取り柄なんです」
「ははっ。それはいいことだな」
ブルック先輩が楽しそうに笑った。
ゆったりと歩いて、劇場の方へ向かう。
道中、ポツリポツリと他の兄弟の話をした。先輩達は2人ともそれを可笑しそうに聞いていた。
ルート先輩が、やっぱり型破りだな、と楽しそうに言った。
それにミーシャは苦笑で答えた。